「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

インドネシア独立当時の日本人たち

2013-08-17 05:45:26 | Weblog
東京五反田にある駐日インドネシア大使館公邸で行われた第68回独立式典に参加した。昭和20年8月17日、インドネシアはジャカルタのスカルノ(初代大統領)邸前庭で、高らかに独立を宣言した。当時僕はインドネシアにいたわけではないが、独立当時ジャカルタに駐在、直接、間接的に独立に関与した日本の先人たちをよく知っており、例年、この日には式典に参加し独立を祝い、彼らを偲ぶことにしている。

その一人は独立宣言起草に当たった西嶋重忠氏(海軍武官府嘱託)で、独立前後のことは著書「インドネシア革命」(昭和50年新人物往来社)に詳しい。もう一人は当時、陸軍第16軍政監部の軍政官であった斉藤鎮男氏(戦後インドネシア大使)で、やはり独立時について著書「私の軍政記」(日本インドネシア協会昭和52年)で触れられている。僕は1966年、斉藤氏が大使だった時代ジャカルタに勤務、北スマトラ石油会社の常務をしていた西嶋氏とも面識があった。

西嶋氏はインドネシア独立時、前田精海軍武官府司令官の下で、実際独立宣言を起草するなど推進派であったが、斉藤氏は軍政官として敗戦後連合軍との関係を配慮して独立に対しては慎重であった。西嶋氏の著書によると、事前の陸海軍の話し合いの席上、斉藤氏は海軍からの独立容認要請に対して”君らのやっていることは国賊だ”とまで言い切った。この発言に対して西嶋氏はポッケットからピストルを持ち出して撃とうとまで思ったと書いている。

インドネシアの独立は17日午前10時(日本時間)スカルノ邸前庭で行われたが、危惧された日本側(陸軍)からの妨害はまったくなく、紅白の国旗が高らかに掲揚され、国家「インドネシア.ラヤ」が高らかに歌われた。陸軍も独立を消極的ながら容認した結果となった。(写真は、独立時の模様を再現した形で催された東京の式典)