「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

70年前房州の海の民宿の想い出

2013-08-13 05:49:50 | Weblog
まさに夏の真っ盛りである。いつもこの時季になると、戦争がはげしくなる前の昭和の初め、房州(千葉県)の海へ避暑に連れてかれたことが懐かしく想い出される。老父の残した日記によると、僕は昭和13年から15年までの3年間、千葉県岩井町久枝海岸の漁師宅に毎年1週間ほどお世話になっている。12年も行く予定にしていたが、日支事変の勃発で直前電報を打ち中止となった。

房州の海へは当時、両国駅からSLで出かけたが、13年には芝浦の「汽船場」から葵丸という船に乗って勝山経由で行った、勝山には港がないので沖合に停泊、はしけに乗り換えて上陸した。葵丸は普段は伊豆七島航路の船だが、海水浴シーズンだけ特別に運航していた。汽車で行く時には”チッキ”といって鉄道の駅まで寝布団を運び、行く先まで運んでくれるサービスがあった。民宿先には布団がなかったのである。

70年前で記憶も薄れてきたが、食事も自炊だったようだ。当時は貴重品だった新鮮なタマゴを使って姉が目玉焼きを使ってくれたのを今でも覚えている。滞在中、毎朝ビンに入った牛乳が届けられ、おいしく飲んだ記憶もある。それよりも海水場近くに臨時に建てられたヨシズ張り小屋で食べた砂糖水をかけただけの“スイ”というかき氷のおいしかったことが、昨日のように思い出される。

浜辺に近い草叢にはキリギリスやマツムシ?などが一杯とれた、カブトムシも民宿の裏山にいて、これを虫かごにいれて東京に土産として持ち帰った。戦後、僕は一度も岩井海岸には訪れたことがない。80歳をすぎて再訪したい気持ちもあるが、何か遠い日の少年の日の想い出として、そ―っと取っておきたい気持ちもある。