「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

終戦記念日の事実 佐伯教授への反論

2013-08-20 06:14:05 | Weblog
京都大学の佐伯啓思教授が産経新聞のコラム「日の陰りの中で」(8月19日付首都圏版)の中で「事実を隠す終戦記念日」という一文を書いていた。教授の論旨は昭和20年8月15日をもって、あの戦争が終結し、戦後が始まったというのは事実と違い、事実は9月2日の東京湾上ミズリー号での降伏文書調印ではないかというものだ。正確にはそうかもしれないが、あの当時を知る日本人から見れば、あまりにも重箱の隅を突っいたような意見だ。

当時中学3年生の僕は、たまたま勤労動員先の工場が休電で家の防空壕で、天皇陛下の玉音を聞いたが、率直の気持ちは”これで工場へ行かずにすむ”という安心感だった。明治17年生まれの亡父は日記の中で将来への不安を感じているが、とりあえず空襲に悩まされず、夜安心して寝られると書いている。あれから68年経つが、今でも当時を知っている日本人は、あの日の事を記憶している記念日である。

米国では当時のトルーマン大統領によって、ミズリー艦上の降伏式のあった9月2日が「日本への勝利の日」(V-J day)と定められているが、負けたわが国にとっては敗戦の日である。亡父は日記の中で”まさに断腸の思いである”と記している。大方の日本人は同じ気持ちであった。しかし、この降伏式については、8月15日のような強烈な思い出はない。

佐伯教授は”8月15日は少なくとも戦後の門出ではないと書いているが、当時の日本人は誰も門出の日と思った者はいない。敗戦への屈辱感と同時に将来へ不安、また取り合えずの気持ちは、死なずにすんだという安堵感であった。僕は最近まで8月15日は「敗戦の日」と書いたことがあったが、正確には「終戦の日」なのだ。先人の命名の正しさにに改めて感心する。