「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

安倍晋三総理の英霊への尊崇の念

2013-08-15 06:04:47 | Weblog
今日は68回の終戦記念日。昭和20年8月15日、やはり暑い日であった。電力不足から動員工場が休みで家にいた僕は亡母と二人で防空壕で、天皇陛下の”玉音”を複雑な気持ちで聞いた。今年もかしましかった安倍総理の靖国神社参拝は取りやめとなった。小ブログは何回も述べてるように、何もこの日に総理が”靖国参拝”にこだわる必要はまったくないのだ。

安倍総理がこの日”玉串”だけで参拝しないからといって誰も総理が”英霊に対して尊崇”の念を持っていないとは思わない。しかし、総理の言う「尊崇の念」は、終戦の日の”靖国参拝”だけではないと思う。新聞に激戦地ガダルカナル島で「日本青年遺骨団」の大学生らがジャングルに眠る英霊の遺骨収容に当たるという記事があった。

戦後まもなくの昭和30年、当時の政府は南太平洋の激戦地を中心に「大成丸」を派遣して遺骨5000対を収容した。そして各地に慰霊碑を建ててきた。「南方各地慰霊碑一覧」によると、東ニューギニア地区(現在のパプアニューギニア)だけで、この時九碑が建立された。しかし、その後移転されたり壊されたりして、完全には維持されていない。厚労省は海外の民間が建てた慰霊碑については管理者がいないものについては整理する事業を進めている。しかし、政府が関与した碑については、いったい、どうなっているのか

日本国内には戦時中捕虜で死亡した英連邦各国の霊を祀る墓地が横浜市保土ヶ谷区にあり、エリザベス女王やサッチャー首相も訪日の際、参拝に訪れている。福岡県水巻町にも戦時中筑豊炭田に就労中事故や病気で死んだオランダ人の捕虜816人の名前を刻んだ「十字架の碑」があり、外務大臣も参拝に訪れている。これに対して日本では在マニラ大使館が、カリラヤ戦没者慰霊園で大使が臨席、在留邦人が集まって参拝している以外あまり聞いたことがない。慰霊碑が遠隔の地であるのは解るが、年に一回ぐらい在外公館の代表が参拝したらどうだろうか。