昨日、炎天下、66年前卒業した母校(旧制中学)の野球の試合に出かけてきた。結果は初回に8点と大量得点されたのがたたり13対7で大敗したが、9回までコールドにならず試合は続けられた。83,84老の僕ら3人は超OBである。自分の娘より若い応援のお母さんたちからメガホンと母校の名前入りの団扇を渡され”声を限り”の応援を楽しんできた。
戦中から戦後すぐの時代に中学(高校)生活を送った僕らにとってスポーツの応援といえば野球しかなかった。その応援も昔ながら伝統の応援歌を歌い「三三五拍子」であったが、今は違う。男子校なのが残念だが、数十人のブラスバンドでの賑やかな応援だ。相手はかっては女子高であった新しい学校である。母校の敗色がこくなり、僕はいらいらして”女子高なんかに負けるな”と声を出そうと思ったがやめた。女性への侮蔑野次で辞職した都議の例もあるからだ。
試合の終わった後、僕ら三人は大森駅近くの居酒屋で軽く一杯飲み残念会を開いたが、後ろの席で一人飲んでいた男性が、僕らの話をきいて自分も同窓で同じ野球帰りだと名乗ってきた。聞けば、僕らが戦後復活第一回の東京都予選に参加した、昭和21年生まれだという。といっても70歳近い老人である。言わずもがな、4人は母校の敗戦はどこへやら、時代を越えた母校を酒のさかなに杯を重ねた。母校は創立151年の伝統校である。これが伝統校の良さというものだろう。
戦中から戦後すぐの時代に中学(高校)生活を送った僕らにとってスポーツの応援といえば野球しかなかった。その応援も昔ながら伝統の応援歌を歌い「三三五拍子」であったが、今は違う。男子校なのが残念だが、数十人のブラスバンドでの賑やかな応援だ。相手はかっては女子高であった新しい学校である。母校の敗色がこくなり、僕はいらいらして”女子高なんかに負けるな”と声を出そうと思ったがやめた。女性への侮蔑野次で辞職した都議の例もあるからだ。
試合の終わった後、僕ら三人は大森駅近くの居酒屋で軽く一杯飲み残念会を開いたが、後ろの席で一人飲んでいた男性が、僕らの話をきいて自分も同窓で同じ野球帰りだと名乗ってきた。聞けば、僕らが戦後復活第一回の東京都予選に参加した、昭和21年生まれだという。といっても70歳近い老人である。言わずもがな、4人は母校の敗戦はどこへやら、時代を越えた母校を酒のさかなに杯を重ねた。母校は創立151年の伝統校である。これが伝統校の良さというものだろう。