「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

母校の野球応援と老人力

2014-07-16 07:28:37 | Weblog
昨日、炎天下、66年前卒業した母校(旧制中学)の野球の試合に出かけてきた。結果は初回に8点と大量得点されたのがたたり13対7で大敗したが、9回までコールドにならず試合は続けられた。83,84老の僕ら3人は超OBである。自分の娘より若い応援のお母さんたちからメガホンと母校の名前入りの団扇を渡され”声を限り”の応援を楽しんできた。

戦中から戦後すぐの時代に中学(高校)生活を送った僕らにとってスポーツの応援といえば野球しかなかった。その応援も昔ながら伝統の応援歌を歌い「三三五拍子」であったが、今は違う。男子校なのが残念だが、数十人のブラスバンドでの賑やかな応援だ。相手はかっては女子高であった新しい学校である。母校の敗色がこくなり、僕はいらいらして”女子高なんかに負けるな”と声を出そうと思ったがやめた。女性への侮蔑野次で辞職した都議の例もあるからだ。

試合の終わった後、僕ら三人は大森駅近くの居酒屋で軽く一杯飲み残念会を開いたが、後ろの席で一人飲んでいた男性が、僕らの話をきいて自分も同窓で同じ野球帰りだと名乗ってきた。聞けば、僕らが戦後復活第一回の東京都予選に参加した、昭和21年生まれだという。といっても70歳近い老人である。言わずもがな、4人は母校の敗戦はどこへやら、時代を越えた母校を酒のさかなに杯を重ねた。母校は創立151年の伝統校である。これが伝統校の良さというものだろう。

「小樽ドリーム.ビーチ」と張碓海水浴場

2014-07-16 05:28:37 | Weblog
「小樽ドリーム.ビーチ」近くの市道で、酔っ払い運転の車が海水客の女性4人を死傷させた。運転していた男は、なんと12時間もビーチで飲酒し、おまけにケータイを使いながらの無謀運転、しかも女性たちをはねたのを知りながら、コンビニに煙草を買いに行っていたという。目茶苦茶な話である。

「小樽ドリーム.ビーチ」と聞いても、すぐに僕は何処なのか判らなかった。1971年(昭和46年)から81年まで10年間、札幌に勤務していた僕は、ちょくちょく小樽に遊びに出かけたが「ドリーム.ビーチ」などいったしゃれた名前の海水浴場はなかった。しかし、事故現場の写真を見ると、在勤中何回ともなくプレーしたことがある小樽国際カントリー.クラブのコースが映っていて、大浜海水浴場の事だと知った。

札幌在勤中はまだ子供が小さかったので、海水浴に出かけた。老妻が子供たちを連れてよく行ったのは、札幌から小樽に向かうJR沿線にある張碓駅前の海水浴場であった。湘南や房州の海に馴れた子供たちには、波のない岩場の海は物足りなかったが、海の色のきれいなことには驚き、岩場遊びを楽しんだ。この張碓海水浴場は平成になってから、廃駅になり、今は海水浴はできなくなったそうだ。

北海道の夏は短かった記憶がある。海水浴を楽しめるのは、せいぜい小樽の潮まつりがある7月下旬から8月上旬の数日であった。母親が83歳で亡くなる前年、僕は母親と子供たちを連れ、大浜海水浴場へ札幌の自宅からタクシーで出かけた。しかし、海浜には海の家がほとんどなく鎌倉や逗子の賑わいはなかった。それに気温も低く、早々に引揚げたが、帰りのタクシーが拾えず苦労した想い出がある。

当時の札幌の人口は100万人だったが、今は150万人に増えている、地球温暖化の影響なのか7月中中旬から海水浴が楽しめるようになった。つくづく30年の歳月の流れを感じる。