認知症老人(91)が列車に轢かれて死亡した事故について、妻{85)や息子に監督義務があるかどうかで争われていた裁判で、最高裁は”家族に監督義務なし”として上告を棄却し無罪を言い渡した。僕ら80歳代の老夫婦は、特別な思い出で判決文を読んだが、無罪を知り、ほっと胸を撫で下ろした。超高齢化時代、2025年には、認知症老人は700万人を超えるといわれているが、対策が遅れ、ほとんどが在宅介護を強いられているのが現状だ。
認知症という言葉が日常的に使用されてきたのは、ここ10年ほどだが、老人の痴呆(ぼけ)は昔からあった。戦前、江戸時代末期生まれの母方の祖母が屋敷の周りを徘徊、家族を悩ませていた。しかし、人生50歳時代、老人の数が少なかった。認知症が社会問題化してきたのは昭和38年(1963)老人福祉法が施行され、同じころボケ老人とその介護を扱った、有吉佐和子の小説「恍惚の人」が世に出て森繁久弥主演の映画がヒットしたころだった。しかし、今のような大きな問題ではなかった。わが家では昭和43年、父が84歳で死去、51年母が83歳で死亡しているが、二人とも自宅で病床にあったのは数か月で、認知症の症状はなかった。
厚労省のHPによると、平成14年の認知症数は僅か150万人であった。統計は見つからなかったが、多分「恍惚の人」の時代はもっとその数は少なく”恍惚の人”で済んでいたのであろう。しかし、今から10年ぐらい先には5人に1人が認知症の老人だという。それも政府は在宅介護を推奨している。徘徊老人が列車に轢かれて、家族が監督責任を問われなかったと、胸を撫で下ろしているだけの問題ではない。幸い、われわれ夫婦は、今のところ二人とも介護1ながら他人のお世話になっていない。が、5人に1人の認知症時代の到来をを考えると他人事ではない。ぞーっとする。
認知症という言葉が日常的に使用されてきたのは、ここ10年ほどだが、老人の痴呆(ぼけ)は昔からあった。戦前、江戸時代末期生まれの母方の祖母が屋敷の周りを徘徊、家族を悩ませていた。しかし、人生50歳時代、老人の数が少なかった。認知症が社会問題化してきたのは昭和38年(1963)老人福祉法が施行され、同じころボケ老人とその介護を扱った、有吉佐和子の小説「恍惚の人」が世に出て森繁久弥主演の映画がヒットしたころだった。しかし、今のような大きな問題ではなかった。わが家では昭和43年、父が84歳で死去、51年母が83歳で死亡しているが、二人とも自宅で病床にあったのは数か月で、認知症の症状はなかった。
厚労省のHPによると、平成14年の認知症数は僅か150万人であった。統計は見つからなかったが、多分「恍惚の人」の時代はもっとその数は少なく”恍惚の人”で済んでいたのであろう。しかし、今から10年ぐらい先には5人に1人が認知症の老人だという。それも政府は在宅介護を推奨している。徘徊老人が列車に轢かれて、家族が監督責任を問われなかったと、胸を撫で下ろしているだけの問題ではない。幸い、われわれ夫婦は、今のところ二人とも介護1ながら他人のお世話になっていない。が、5人に1人の認知症時代の到来をを考えると他人事ではない。ぞーっとする。