「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

老後の生活 ”人生想定外40歳代からの備え”

2016-03-27 06:27:05 | 2012・1・1
産経新聞が連載中の「にっぽん再構築」高齢者をいかせ⑤(首都圏版3月26日付3面)の見出しに”人生想定外40歳代から備え”という記事があった。大手生保会社のエリート社員が”想定外”の腎臓がんに倒れ、それを契機に退社して、新しい人生を選んだ話だが、そのエリート社員の言葉を借りれば"(サラリーマン)は一人一人が「自分株式会社」の社長のつもりで40歳代のうちから’老後”を備えるべきだというのである。

年金(厚生)生活に入って25年、半生を振り返ってみて僕もその通りだと思う。僕がサラリーマン生活にピリオドを打ったのは50歳の時であった。当時定年は55歳であったが、勤務地の北海道で定年を迎えても将来が見えないので思い切って退職した。具体的な転職先があったわけではないが、生まれ故郷の東京には、すでに最低限度の生活が保証できるアパート収入があった。42歳で、北海道への転職が決まった際、従兄の勧めで自宅をアパートに改築していた。

明治17年生まれの父親は昭和14年、50歳で定年を迎えた。戦前は公務員には恩給制度があったが、今のような年金制度はなく、民間のサラリーマンは、退職金を貰って、それぞれに老後の生活を計画したものだ。父親は母親の勧めで、東京の郊外だった今の地に銀行から借金して借家を6軒建てた。多分、両親はこれで自分たちの老後は保証出来たと思ったに違いない。しかし、想定外の事は起るもので、16年には戦火は太平洋にも拡大、さらに悪いことは、敗戦後のインフレによる物価統制令で、抑えられた家賃では生活ができなくなってしまった。

僕が42歳でアパートを建てたのは、こういった両親の体験によるものだが、長い人生何が起こるかわからない。産経新聞の記事ではないが「自分株式会社」の社長になったつもりで、40歳代から「人生経営」に当たる気持ちは必要な気がする。僕の場合は、幸運にも帰京後も新しい仕事が見つかり65歳まで年金をもらいながら仕事ができた。