昭和20年前3月10日の未明、東京の下町はB-29の空襲にあい10万人以上が犠牲になっている。僕は幸い当時五反田(品川区)に住んでおり被害に会わなかったが、下町の東北方向に上った、あの、ものすごい業火は、71年経った今でも僕の記憶に鮮明だ。そのためであろう。僕は、このブログを始めた2006年以来、1年を除いて毎年この東京大空襲を題材にしてきた。
3年前の小ブログで、石原慎太郎知事(当時)に対して、記者の一人が、東北大震災が起きたため東京大震災が風化してきたのではないかと質問したと書いた。記者は自分の印象を知事に尋ねたのであろうが、僕と同世代の知事は頭からこれを否定していた。しかし、残念ながら風化まではいかないが、マスコミの扱いが年々小さくなってきているの事実だ。今年もわが家で購読している二紙は、地域版(東京版)で犠牲者供養式を小さく扱ったに過ぎない。
昭和1ケタ世代にとって3月10日は「陸軍記念日」でもあった。小ブログは、過去に何回か「陸軍記念日」について書いたが、戦前までこの日は明治38年(1905年)、日露戦争で日本陸軍がロシア軍を破り、奉天(瀋陽)を占領した記念日であった。同じように海軍が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した5月27日は海軍記念日であった。「陸軍記念日」も「海軍記念日」も今では、ほとんど知る日本人はいなくなった。
東京大空襲が「陸軍記念日」と同じように風化するとは思えないが、学校で教える歴史教育の中では、きちんと正しく後世に伝えて貰いたいものである。
3年前の小ブログで、石原慎太郎知事(当時)に対して、記者の一人が、東北大震災が起きたため東京大震災が風化してきたのではないかと質問したと書いた。記者は自分の印象を知事に尋ねたのであろうが、僕と同世代の知事は頭からこれを否定していた。しかし、残念ながら風化まではいかないが、マスコミの扱いが年々小さくなってきているの事実だ。今年もわが家で購読している二紙は、地域版(東京版)で犠牲者供養式を小さく扱ったに過ぎない。
昭和1ケタ世代にとって3月10日は「陸軍記念日」でもあった。小ブログは、過去に何回か「陸軍記念日」について書いたが、戦前までこの日は明治38年(1905年)、日露戦争で日本陸軍がロシア軍を破り、奉天(瀋陽)を占領した記念日であった。同じように海軍が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した5月27日は海軍記念日であった。「陸軍記念日」も「海軍記念日」も今では、ほとんど知る日本人はいなくなった。
東京大空襲が「陸軍記念日」と同じように風化するとは思えないが、学校で教える歴史教育の中では、きちんと正しく後世に伝えて貰いたいものである。