「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

わが家の「ファミリー.ヒストリー」

2016-03-12 06:04:46 | 2012・1・1
書庫の奥に亡父の書いた、わが家の歴史”藤のえにし”が眠っている。先日久しぶりに読んでみたら序言に”息子よ、孫よ、曽孫よ、わが家が続く限り、歴史を書き残してほしい”旨記されていた。しかし、親不孝者の僕は85歳過ぎてもまだ”自分史”を書き残したい心境にはならない。しかし、そろそろ、自分が生きてきた証しとしても書くべき時期がきたのかも知れない。

”藤のえにし”には、人皇第30代、敏達天皇に源を発するわが家の系図(写し)が綿々と記されているが、僕がやっとたどれる先祖は江戸時代後期に生まれた祖父までである。その祖父も生涯もあまりはっきりしない。祖父が文久3年(1863年)横浜の写真館で撮った写真が残っている。ちょんまげ姿で二本刀を差し、もった扇子には年号と32歳という年号が記されている。

亡父の記述によれば、祖父は徳川幕府直藩の武士で、維新後は財務省の役人だったが、肝心な江戸幕府の役職がわからない。文久3年といえば、維新前、新選組が結成されたり、薩英戦争があったりした騒然とした時期なのに、なぜ祖父は江戸から横浜ででかけ、記念写真を撮ったのであろうか。数年前まで、僕にはこれが謎だったが、昨年読んだ古文書の中で、祖父が幕府の代官だったことが判った。代官なら貿易業務で横浜に出かけても不思議ではない。

自分の半生を振り返ってみて、特筆すべきものはないが、やはり生きてきた証しとして自分史を書くのは将来の子孫に対しても一つの義務なのかもしれない。遅まきながらそう感じるようにった昨今である。