昨日、川崎の多摩川堤に近い宿河原の二ヶ領用水へお花見に出かけてきた。用水に添って植えられた染井桜は約400本、満開には少し早く7分咲きだったが、陽気もようやく春らしくなりお花見を満喫できた。
この二ヶ領用水は慶長2年(1597年)川家康の命により武蔵の国稲毛領と川崎領の二ヶ領にまたがる農業用水として14年の歳月をかけて完成した。慶長2年といえば、家康が秀吉の国替えによって江戸に入城してから2年、城造りに先立って、神田上水や河川の整備などに着手したころである。多分この用水も江戸の人口の増加を見越しての新田開拓、インフラ整備の一環だったのであろう。
400年の歳月を経て用水は本来の役目を終え、すっかり都会化の波にのまれ、一部は暗渠に変った。が、戦前、昭和10年代にはまだ、このあたりは農村の面影を残しており、”歩け歩け”運動の指定コースで、僕らは下流の二子玉川から用水にそって上流の向ヶ丘まで列を作って競歩したものだった。
僕ら老夫婦は、15年前に早逝された親友の夫人と三人で用水脇に腰かけて弁当を開いた。花弁の中にはすでに散って筏となって流れていくものもある。何故か僕は用水の川面を眺めながら、”行く川の流れは絶えずして、元の水はあらず”(方丈記)を想い出し、来し方、行く末の人生の妙味に感傷的になった。