「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

叔母の103回忌と無縁墓

2016-03-20 05:44:38 | 2012・1・1
”今日は叔母さんの祥月命日です”と老妻に指摘された。あまり信仰心のない僕はすっかり忘れていたが、老妻は善光寺のお膝元で育ったこともあって僕とは違う。毎朝、仏壇の過去帳を見てお参りしている。叔母は大正3年(1914年)27歳で夭折している。もちろん、僕は生前の叔母を知らないし、最近までどこにお墓があることさえはっきり知らなかった。

なんとはなく言い伝えで、お墓は入谷のの朝顔市が開かれる鬼子母神(真源寺)の境内だと、聞いていたので、数年前尋ねたことがったが不明だった。ところが、仏縁なのだろう。亡父の残した日記を調べていたら、昭和15年に27回忌を、浅草「酉の市」で有名な長国寺で催していた。早速、老妻は娘を連れて長国寺にお伺いしたところ、叔母の俗名と戒名がお寺の過去帳に記載されていた。しかし、大正12年の関東大震災の後、無縁墓として整理されていた。

東京は関東大震災と昭和20年の大空襲で大被害を受けている。浅草にあるわが菩提寺も全焼したが墓地は幸い無事だった。江戸時代から続く古刹で、墓地内には昔、修身の教科書にも出てきた、地理学者伊能忠孝と師、高橋至時の師弟愛の墓や,侠客、幡隋院長兵衛のお墓もあるが、最近、この古刹でさえ無縁墓なのかお彼岸にも花が捧げれていなお墓が増えてきた。

少子化や過疎化などの現象で、お墓の引き継ぎ手がなくなってきたのだそうだ。他人事ではない。わが家も内孫は一人もいない。将来どういうことになるかわからない。子孫が信仰心の厚い老妻のDNAを受け継いでくれることを期待するだけだ。今日はお彼岸の中日、老妻は墓参に行き、叔母にも彼岸の想いを馳せてくる。