東京はここ数日、気温が上がり、春の気配を感じるようになった。隣家の玄関先の沈丁花(じんちょうげ)の花が春の香りを漂いさせてきた。この香りを嗅ぐと、僕は35年前、足掛け10年勤務した北海道のテレビ局を50歳で定年前に辞め、生まれ故郷の東京に引揚げて来た時を想い出す。昭和56年3月、僕は関係先への挨拶状で”久方ぶりの東京、公害も遠のき、街には沈丁花の花の匂いが春を告げています”と書いている。
サラリーマンにとって、長年勤めた会社を中途で退職するには決心がいる。当時、一般会社の定年は55歳であった。あと5年勤めれば、退職金がもらえ、無事退職できることは判ったいたが、僕の場合、最初に勤めた会社の都合で、すで二つも別の会社に出向し、そのつど退職金を頂戴しているから、最後の退職金もそんなに多くない。それより、定年後の勤め先のメドが、北海道では全くない事であった。
将来への具体的な展望もなく、仕事を辞めたのは無謀であったが、今、考えると人生の転換期であったのだろう。退職して1年間、僕は失業保険を貰いながら、昔、若い時に勤務したインドネシアについて勉強しなおそうと思い、その手始めとして、リンガフォンを買い求めで独学で勉強した。運はどう拓けて来るものか判らない。そのインドネシア語が後半、僕の生活の具になり、人生の横軸になるとは35年前には想像もしていなかった。、