「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

新聞が週刊誌の取材力に驚いているだけでは困る!

2016-03-22 05:31:55 | 2012・1・1
産経新聞に”週刊文春スクープ連発なぜ”という記事(3月20日付け首都圏版総合面3面)が載っていた。世の中変れば変ったものだ。僕ら昭和30年代、第一線の新聞記者だった世代にとって、週刊誌など取材の競争相手ではなく、まして紙面で、その取材力を褒め称えることなどなかった。

ここ10数年、僕は自分のカネで週刊誌を買って読んだことはない。先日、床屋が混んでいて順番待ちの間に「週刊文春」と「週刊新潮」を拾い読みした。この二つが、日本を代表する週刊誌のようだが、どちらかといえば”右傾”を編集方針にしている「週刊新潮」に対して”スクープを連発している「週刊文春」の方が誌面に活気があるように僕にはみえた。

出版社系週刊誌が登場したのは、昭和30年代初めの頃で、当時まだ取材力がなかった週刊誌から僕ら若手の新聞記者に対して、内職原稿執筆の依頼があったものだ。自社の週刊誌と違って匿名で勝手なことが書けたし、何より、絶好な”飲み代”稼ぎになった。そのうちに出版社は、外部から”トップ屋”という専門の記者を見つけだし、出版社系の週刊誌が新聞社系の週刊誌を”駆逐”した。

新聞社系の週刊誌といえば、今や大学試験の合格者発表時だけ売れているようである。広告の見出しを見ると、出版社系の週刊誌と大して変わらないのだが、新聞社という看板からか、自主規制みたいなようなものが作用しているのかもしれない。特ダネやスクープがない。しかし、産経記事のように、週刊誌の取材力にただ驚いているだけでは困る。かって新聞は明治時代には社会に警鐘を鳴らす存在であった。