内閣府の「外交に関する世論調査」(今年1月)によると、中国に親しみを感じない日本人は、前年比0.1%増で83.2%。これは昭和53年、調査を開始して以降、最高とのこと。尖閣をめぐる海洋進出、「南京虐殺」などの反日感情があって、”爆買”のお得意さんなのに、日本人は中国に親しみを感じていないようだ。
僕も今の中国には親しみを感じない一人だが、子供だった頃の支那には変な郷愁がある。昭和12年7月7日、日支事変が始まった時小学校1年生だった僕は、いってみれば戦争の申し子みたいな世代だが、よく落書きに蒋介石のハゲ頭や刃のかけた青竜刀(中国の伝統的な刀)を書いたりしたものだ。戦争ごっこでは、ジャンケンに負けた組は、洋服を裏返しにして支那服に見立てて捕虜にされ遊んだりした。敵愾心を煽るための世論操作の結果だが、子供だったせいか、支那を憎いという感情はなかった。
80年近く経った今、あの支那事変の頃が懐かしく想い出されることがる。南京陥落の提灯行列、駅前の花電車。”徐州 徐州へと人馬は進む 徐州いよいか住みよいか”(軍歌「麦と兵隊」)を学校の学芸会で歌ったこと。女の子の間で流行っていた”支那の子ったら支那の子”のまりつき唄etc。
近隣の中国と韓国観光を足腰が弱った時の最後の地として残していたが、10年旅行ビザも期限が切れてしまった。それに対日感情の悪い国に、歳をとってからわざわざ行く気にはならない。子供だった時代の郷愁の中の支那に留めておくことにしょう。
僕も今の中国には親しみを感じない一人だが、子供だった頃の支那には変な郷愁がある。昭和12年7月7日、日支事変が始まった時小学校1年生だった僕は、いってみれば戦争の申し子みたいな世代だが、よく落書きに蒋介石のハゲ頭や刃のかけた青竜刀(中国の伝統的な刀)を書いたりしたものだ。戦争ごっこでは、ジャンケンに負けた組は、洋服を裏返しにして支那服に見立てて捕虜にされ遊んだりした。敵愾心を煽るための世論操作の結果だが、子供だったせいか、支那を憎いという感情はなかった。
80年近く経った今、あの支那事変の頃が懐かしく想い出されることがる。南京陥落の提灯行列、駅前の花電車。”徐州 徐州へと人馬は進む 徐州いよいか住みよいか”(軍歌「麦と兵隊」)を学校の学芸会で歌ったこと。女の子の間で流行っていた”支那の子ったら支那の子”のまりつき唄etc。
近隣の中国と韓国観光を足腰が弱った時の最後の地として残していたが、10年旅行ビザも期限が切れてしまった。それに対日感情の悪い国に、歳をとってからわざわざ行く気にはならない。子供だった時代の郷愁の中の支那に留めておくことにしょう。