「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

忘れられた”わが師の恩” 

2016-03-25 06:15:39 | 2012・1・1
戦前、東京では公立校の卒業式は3月25日と決まっていた。73年前の昭和18年3月25日(木)、僕は東京の国民学校(小学校)を卒業”六年間の蛍雪の功なり想い出の校門を後にした”(亡父の日記より)。今でも僕はクラスの仲間と一緒に「蛍の光」と「わが師の恩」を歌った卒業式をはっきりと覚えている。

「蛍の光」や「わが師の恩」が卒業式で歌われなくなったのは、いつごろからであろうか。
♯ 「蛍の光」(スコットランド民謡 明治14年 小学唱歌)
  蛍の光 窓の雪 書読む月日 重ねて
  何時しか年も すぎの戸を
  開けてぞ今朝は別れ行く
♯ 「わが師の恩」(米国の歌”song for close school"明治17年小学唱歌)
  仰げば尊し わが師の恩 教えの庭には早やいく年月
  思えばいとし この歳月 今こそ別れめ いざさらば

ウィキペディアによると、卒業式でこの二つの歌が嫌われるようになったのは歌詞が文語調で理解しにくいこととか”身を立て名をあげ”が民主主義に反するとかを理由づけしているが、やはり、僕は戦後の一時期、君が代が学校教育の中で敬遠された、あの変な流れの一環のように思われるが、どうだろうか。

今、学校では「卒業ソング」として「旅たちの日」や「贈る言葉」が歌われているようだが、子供たちが、その歌に過ぎし学園生活に想いを馳せ歌うのならそれで好い。野暮なことは言わないが、明治、大正、昭和に生を受け、”蛍の光、窓の雪”で象徴される貧しい学校生活を送った世代にとっては寂しい限りだ。確かめたわけではないが、台湾の学校の中には今でも「仰げば尊し」が卒業で式で歌われているそうである。