梅雨の合間の晴れ日をみて老妻と二人で屋根裏の物置に登りガラクタの整理したら木箱にはいった父の遺品が出てきた。20年ほど前、家を新築したさい、古いものを、整理もせずに、ぶちこんだのがアダになってしまった。
父の遺品は、今ではあまり見かけなくなった木箱に収められており、引っ越しの時の名残の整理番号が付いたままである。何が入っているのか楽しみに開けてみたら、生前、父が投稿した原稿や未刊の原稿に混じって戦前、戦中、戦後の昭和に時代に出版された節々の記念の雑誌がでてきた。一番、古いのは昭和9年(1934年)の 東郷元帥哀悼号」(アサヒ.グラフ)や「日露戦役回顧30年写真帳」(東京日日新聞社)である。
戦前の週刊誌は新聞社が発行しており、中には無料でサービスとして配っていた。父が蒐集していた雑誌も多岐にわたり「伊エ紛争写真画報」(週刊朝日臨時増刊)といったイタリアのエチオピア侵出の現地からの写真報告もあるが、戦争には無関係な「日米水上競技グラフ」や「The winnter sports冬の運動号」(いずれも報知新聞社)もある。
昭和12年7月、日支事変が始まってからは、内閣情報局が編集、発行した「写真週報」が中心で13年2月の創刊号から仏印進駐ら、節々の戦況を伝えた数冊が保存されていた。父は写真週報」と一緒に「週報」も購読しており、戦後も保存されていたが、僕の転勤、引っ越しで散逸してしまった。
父は昭和43年、84歳で他界しているが、戦後の週刊誌としては今上陛下がご結婚された34年4月24日号の「女性自身」と結婚が決定した前年33年12月7日の「週刊朝日」増大号が保存されていた。戦前、戦中、戦後の昭和。改めて父の残した週刊誌に感慨深く目を通した。
父の遺品は、今ではあまり見かけなくなった木箱に収められており、引っ越しの時の名残の整理番号が付いたままである。何が入っているのか楽しみに開けてみたら、生前、父が投稿した原稿や未刊の原稿に混じって戦前、戦中、戦後の昭和に時代に出版された節々の記念の雑誌がでてきた。一番、古いのは昭和9年(1934年)の 東郷元帥哀悼号」(アサヒ.グラフ)や「日露戦役回顧30年写真帳」(東京日日新聞社)である。
戦前の週刊誌は新聞社が発行しており、中には無料でサービスとして配っていた。父が蒐集していた雑誌も多岐にわたり「伊エ紛争写真画報」(週刊朝日臨時増刊)といったイタリアのエチオピア侵出の現地からの写真報告もあるが、戦争には無関係な「日米水上競技グラフ」や「The winnter sports冬の運動号」(いずれも報知新聞社)もある。
昭和12年7月、日支事変が始まってからは、内閣情報局が編集、発行した「写真週報」が中心で13年2月の創刊号から仏印進駐ら、節々の戦況を伝えた数冊が保存されていた。父は写真週報」と一緒に「週報」も購読しており、戦後も保存されていたが、僕の転勤、引っ越しで散逸してしまった。
父は昭和43年、84歳で他界しているが、戦後の週刊誌としては今上陛下がご結婚された34年4月24日号の「女性自身」と結婚が決定した前年33年12月7日の「週刊朝日」増大号が保存されていた。戦前、戦中、戦後の昭和。改めて父の残した週刊誌に感慨深く目を通した。