「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        都会の小さな"植木だめ”

2007-05-11 06:10:30 | Weblog
明治時代からの小学唱歌「茶摘み」から「夏はきぬ」までの、この
季節が僕は好きだ。梅雨入りまでのいっとき、梅雨の晴れ間のいっ
ときの好天だ。
          ◇「茶摘み」(作詞・作曲者不明)
        夏も近ずく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る
      あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅の笠

         ◇「夏はきぬ」(作詞佐々木信綱 作曲小山作之助)
        卯の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)早くも鳴きて  
        忍び音もらす夏はきぬ
 
都会に季節感が失われてから久しい。東京の郊外では野も山も住宅街に
変容、若葉も消えた。忍び音で鳴いていた時鳥もどこかへ行ってしまった。
そんな中で、わが家の小さなベランダの”植木だめ”が僅かに季節を告げ
ている。

老妻のつくった足の踏み場もなく、雑然と置いたポットの”植木だめ”には
確実に季節がやってくる。先日、君子蘭が赤い花を咲かせたと思ったら、今
は白梅と白桃が小さな実を五つ六つとつけている。都会育ちの僕はあまり
関心がないが、田舎生れの老妻は毎朝、水をやり眺めている。

昭和30年代ころまでは、僕の家の界隈にも”植木だめ"がアチコチにあった。
庭をもつ広壮の”お屋敷”が多かったが、代が変わり、敷地が二分割、三分
轄されて植木の需要がなくなった。それにつれて今は”植木だめ”は僅か一
箇所だけになってしまった。老妻の”猫の額”のような”植木だめ”で季節の
移り変わりを知るにすぎない。




「靖国神社」の勉強会

2007-05-10 05:07:42 | Weblog
安倍晋三総理が靖国神社の春の祭礼に供え物をしたというので
またマスコミが騒いでいる。総理は私人として戦没者への追悼の
念を表したものである。しかも自分のポケットマネーから出してい
る。マスコミが騒げば中国、韓国も抗議せざるをえない。
だが、今回は小泉前総理の"参拝”の時と違って抗議のトーンは
低いようだ。マスコミの”御用評論家”は、したり顔して、事前に”密
約”があったのだといっていたが、真偽は知らない。 

日本遺族会が「A級戦犯」分祀の是非について勉強会を開くという。
結構な話だ。6年前だが、あの「国際女性戦犯法廷」が遺族会の関
係する九段会館で開催され、天皇陛下に”有罪”判決をくだした。
九段会館の沿革、歴史を知っていれば、あの連中に3日間も会館を
貸し”占拠”されなかったはずだ。今さら勉強会と思うが、なぜ神社
側が分祀を教義上できないとしているぐらいは勉強して貰いたい。

僕の関係者には直接戦争でなくなった者はいない。しかし、靖国神社
については戦没者の英霊を祀る神域として参拝する。大方の平均的
日本人はそうだと思う。僕は”A級戦犯”だからダメなどとは言わない。
あの時代は日本人全体が”狂気”になっていたのだから。

遺族会に限らず、靖国神社の周辺には、かっての職業軍人を中心に
自分たちだけが”英霊”を守り、これに応える事業をしている、と思って
いる連中が多い。しかし、日本人全体があの時代は戦争犠牲者なのだ。
特定の連中の特定の"靖国発言”が多すぎる気がする。



75歳以上のガンはどうでもよい!?

2007-05-09 05:21:02 | Weblog
毎朝お世話になっているラジオ体操の会長さんがガンで亡くなった。
まだ72歳の若さである。体操をやるぐらいだから人一倍健康には
気を使っておられたが、やはり病魔には勝てなかった。今年になっ
て僕は二人も自分より若い人に先だたれている。

厚生労働省の「ガン対策推進協議会」が75歳以下のガンによる死亡
率を今後10年間で20%削減する案を決め、一般からの意見募集を
開始するという。新聞によると、75歳以上の高齢者はガンによる死亡
率が急激に高まるため、75歳未満を指標としたものだという。
この書き方は、とりようによれば、75歳以上の年寄りは削減計画をた
ててもムダだ。なるようになるより仕方がない。老人のひがみかもしれ
ないが、そうとも考えられる。

6年前、僕は膀胱ガンで入院、1・5cmぐらいの患部を幾つか摘出した。
幸いその後の経過は良好に推移している。喫煙による肺ガン、暴飲暴
食による胃ガン、大腸ガンと違い、膀胱ガンには何が原因なのかはっき
りしない。僕の場合は、出血による痛みから早期発見できた。

厚労省の死亡率削減案がどんなものかしらないが、やはり、ふだんの予
防PRと早期発見だと思う。しかし、僕の周囲にもまだ依然として喫煙者が
いる。彼らの言い分は”自分の身体は自分が一番よく知っている”という
勝手な意見が多い。いま問題になっている”受動喫煙”を理解していない。
政府もタバコ会社などに配慮せず喫煙者に罰金を科すべきである。

愛国心と修身教育の評価法

2007-05-08 05:27:29 | Weblog
道徳教育の評価法をめぐって”甲論乙駁(ばく)”なことをテレビで知った。
大方の意見は他の学科と同じような評価は出来ない、ということのよう
だった。戦前、戦中には修身教育があった。その教科書もあったし、通
信簿にも成績が記されていた。僕の記憶では修身の試験はなかった気
がする。どんな基準で評価していたのであろうかー。どうも他の学科がよ
ければ修身の成績もよかったみたいだ。多分当時の先生方も評価に困
ったのだと思う。

昭和20年度の僕の通知表(中学3年)が手元に残っていた。戦前に印刷
されもので、修身は国語、漢文、文法作文、歴史、地理とともに「国民科」
というグループに入っていた。国民として必要な科目ということなのだろう。
しかし、成績の記述はない。一学期は工場動員で授業はなかった。二、三
学期は修身は廃止されたからだ。興味深いのは戦後も「操行」(日頃の行
い)が通知表に残っている。ただ他の学科の評価が秀、優、良なのに対し、
「操行」だけは甲、乙で評価していた。「操行」も評価できるものではなく苦
肉の策だったのであろう。

教育関係者の一部には道徳教育は、戦前の「教育勅語」の復活だと誤解し、
愛国心の度合いをどう評価するのかーと心配している。修身教育にはそんな
基準も評価もなかった。愛国心は国民として当然なことだ。問題は道徳の評
値基準をどうするかといった枝葉の問題ではなく、いま日本人の誰でもが心
配している道徳の荒廃をいかにすべきかである。


ジェットコースターはいらない!

2007-05-07 05:52:02 | Weblog
ジェットコースターなど老人にはいらない。極論すれば廃止すべきである。
大阪吹田市の万博記念公園の事故は、素人がみても目茶苦茶だ。事故
の原因となった車軸は1年以上も無点検、15年前に出来てから1回も交換
されたこともなかった。車軸は文字通り車の軸である。人命を預かる業者
にしてはあまりに無謀で無責任である。

臆病者の僕は過去にジェットコースターには1度しか乗ったことがない。外
国人の研修に立ち会う関係で、やむなく乗ったが,こりごりだ。おカネを出し
てまで乗りたいとは思わない。

新聞にこの10年間の主な遊園地の事故一覧がのっていた。ほとんどがジェ
ットコースターによるものだ。それもほぼ毎年1回起きている。万博記念公園
の事故があった日も福井の遊園地で追突事故が起き、ケガ人が出ている。
こちらはマニュアル無視だった。

こう事故が頻発すると、遊園地だけの問題ではない気がする。監督官庁の
国土交通省は、事故の原因究明と同時にジェットコースター自体についても
もう一度安全性を総点検すべきだ。たかが遊園器具といっても、人の命にか
かわる問題である。

若者がスピードにスリルを求める気持ちはわかる。しかし、生命を落としてま
では。幸い僕らが子供時代、スリルを求めるとしたら、東京では二子玉川の
落下傘訓練塔から10m下の地上に降りる程度。遊園地にはメリーゴランドか
豆自動車しかなかった時代であった。

大型連休は”単身赴任”の生活

2007-05-06 05:10:25 | Weblog
大型連休も今日で終わり、ご苦労様でした。”ご苦労様”は連休中
留守を預かった僕にもいえる。とはいえ、家族が外泊しても僕には
いっこう平気である。同じ世代の中には洗濯はおろか料理もできな
い者もいるそうだが。僕は海外1回、国内2回の単身赴任、それに長
期出張専門の仕事を10年近くしている。老妻たちはそれを見越して
僕に留守役をさせるらしい。

先月、30数年前単身赴任していた東北の町でOB会があった。会まで
の時間を利用して駅前通りの昔住んでいたマンション界隈を訪れた。
当時僕は30代、若さに任せての暴飲暴食、新会社設立という多忙さ
もあってダウンしてしまったが、そのマンションがそのまま残っていた。
新築のマンションだったが、30年の歳月で老朽化し、まるで現在の自
分をみるような気持ちで複雑な思いがした。

単身赴任ぐらい非人間的な制度はない。サラリーマンとして避けて通れ
ない関門である。多くの場合、その時期が子供の教育期とぶつかる。年
老いた親と同居のケースが多い。会社から多少補助があっても、二重生
活を強いられ無駄な出費が多い。

しかし、年金生活が長くなり、昔を顧みる余裕ができると、元気だった昔
が懐かしくなる。娘から”お祖父ちゃんは料理上手”とおだてられながら
自分の好きな肴を買ってきて、独酌するのもまんざらでもない。残念なの
は、かってのように飲めないし、食べられなくなったことだ。


端午の節句 羽織の紐丈は何センチ?

2007-05-05 05:04:43 | Weblog
東京のきのうは夏日、大型連休の後半に入っても老人には、こ
れといって行くところはない。家族は皆出払っている。僕も新緑
に誘われて、まだ多少緑の残る皇太子妃の実家方面へ自転車
で出かけた。この当たりは環状7号線が出来るまでは一戸建て
の瀟洒な住宅街だったが、いまは”甍”(いらか)の屋根は消え、
高層の集合住宅に変容した。橘の香りも失せ、鯉のぼりも青空
に泳いでいない。

端午の節句、昔はどこの家でもちまきを食べたものだ。環7が出
きるまでは栄えた、昔ながらの和菓子店で5本が1巻となったちま
きを925円で買った。高いのか安いのかわからないが、子供の時
のあの味だった。

男の子の節句には「鯉のぼり」の歌とともに「脊くらべ」の歌を想い
出す。
            「脊くらべ」
               (作詞海野厚 作曲中山晋平 大正12年)
                
      柱のきずはをととしの 五月五日の脊くらべ 
      ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれた脊の丈 
      きのうくらべりや何のこと やっと羽織の紐の丈

この季節になるといつも歌っている歌だが大正時代の日本が凝縮
している。都会ではもう柱のある家が少ない。”兄さん”のいる家庭
も少ない。羽織の丈といっても着物は今では、女性が成人式に着る
ぐらいだ。いわんや羽織の紐の丈が何センチなのかわからない。
老妻に聞いたら紐の丈はは約二寸、7センチとのことだ。作詞家、海野
厚の家庭は三男四女、いまはそんな大家族は減ってきた。

「高野連」の石頭 野球の衰退

2007-05-04 05:23:00 | Weblog
「日本高野蓮」が全国の加盟校773校について特待生制度を調べた
ところ376校が”ある”と申告してきた。半分近くの学校がである。
高野連は特待生制度は野球憲章に反するとして、違反校に春の大会
出場停止、野球部長の交代を命じるそうだ。脇村春夫・高野連会長
は違反校の数の多さに驚いているが、時代遅れの憲章は変える、つ
もりはないとしている。

戦後まだももない、昭和25年に制定された野球憲章13条は"野球
部員はいかなる理由にせよ学費、生活費を貰ってはいけない”と規定
している。が、現実には半分近くの学校が特待生制度を設けていた。
60年もの間、高野連はなぜ今まで放置し、問題にしなかったのだろう
かー。特待生制度は他のスポーツでは認められており、野球でもなか
ば公認されていた。

脇村会長は昭和24年全国優勝した湘南高の三塁手であった。戦後の
あの頃は小倉中学が22,23年と連続優勝したり、地方の公立名門校
が圧倒的に強かった。21年の東京予選で僕の中学は甲子園出場校の
東京高師付属中と当たったが、歯が立たなかった。こちらはユニフォーム
もないのに相手は立派な装具を持っていた。当時の公立校は私立校に
比べて野球環境に恵まれていた。

高野連が特待生制度を問題にしているのは、他地域からの越境留学のよ
うだ。しかし、脇村会長時代と野球は変わってきた。あのころ日本の野球
は米国の2Aのチームにも勝てなかった。脇村氏ほか高野連の幹部は昨年
WBCで日本チームが優勝したときの日本中の湧き立ちを思い出して欲しい。
チームの大半は特待生制度の恩恵に預かっている。時代が変わってきている。
いつまでも石頭では、野球は衰退を招くだけだ。




新憲法施行60年 あの頃のこと

2007-05-03 05:21:52 | Weblog
新憲法が施行されてから今年で60年である。きのうある新聞のコ
ラムに銀座4丁目の交差点でMP(米憲兵)が交通整理をしている
写真に関連、当時は目抜通りの交通整理さえ日本人の手で出来な
い状態だった、と書いていた。しかし、これは誤解を呼ぶ。同じ頃、
日本橋白木屋デパート(当時)前の交差点では日本の警察官が、き
ちんと交通整理をしていた写真が残っている。(石井光陽著「昭和 
の東京」朝日文庫)。銀座4丁目角には当時PX(米軍の店)があっ
て、ここだけは進駐軍が多く”特区”だった。

昭和22年5月3日、東京は雨だった。新憲法施行を祝う会場の皇居
前広場には雨にもかかわらず1万人を越す人が集まった。僕は旧制
中学5年(今の高校2年)だったが、残念ながら何故かこの日の記憶
がない。

手元に古ぼけた冊子がある。学校の部活動「地理歴史」班の創刊号
で、当時、謄写版印刷で発刊したものだ。内容は地理、歴史の研究
から時事評論まであるが、憲法施行直後の発刊なのに憲法については
ふれていない。部長の若い先生は、発刊に当たり次のような書出しで
原稿を寄せている。
「日本人はある一部の者の煽動によって神の子孫であり、世界の最優
秀民族だと吹聴されてきたが誤りである」

僕らはこの発刊した部誌を持って日比谷にあった進駐軍のオフィスへ
検閲を受けにいった。こんな中学生の雑誌にまで検閲が必要だった。
公園のあちこちに野球場やテニス場があって、進駐軍がプレイをして
いた。吉田内閣が辞任し、社会党の片山内閣が誕生した頃である。

山崎拓氏はNATO政治家か?

2007-05-02 05:19:29 | Weblog
自民党の山崎拓氏が大型連休を利用して中国を訪問していた。
NHKテレビで垣間みたのだが、山崎氏は北朝鮮の拉致問題につ
いて"拉致”の定義づけ、つまりどこまでが"拉致”なのか、はっき
りすべきだ、という意味のことを言っていた。が、今さら”拉致”の
定義づけとは何なのかー。"拉致”とは日本政府が認定した被害
者の全面解決だ、と国民は思っている。

山崎氏は先日も北朝鮮に出かけたが、これといった成果もなく帰国
してきた。拉致問題は手詰まり状態に見え、妙手に期待したいが、政
治には素人の僕がみても、山崎氏の場合ははスタンドプレイである。
もし妙案があれば黙って実行すべきである。山崎氏が議員連盟の会
長を務めるインドネシアでは、口先だけの政治家を”NATO"と呼ぶそ
うだ。”NATO"とは”No action talk only"(行動がなく口だけ)の意味
である。

連休中、拉致被害者家族会代表がワシントンを訪問、帰国した。問
題解決のため、国際世論に訴えるという趣旨はよく理解できるが、や
はり日本の問題である。安倍内閣の最重要政策の一つである。その
ため専門の補佐官まで置いている。僕らの知らない水面下で解決への
交渉が進んででいるものと期待しているが、与党の”大物”とされる議
員が勝手に勝手なことを言うのはどんなものかー。僕には”NATO"政
治家に見えるのだがー。