「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         大震災1年、政府の規範は鈍磨していないか

2012-03-11 07:25:56 | Weblog
東日本大震災からちょうど1年。仙台の「河北新報」によると、大震災で1万5854人が死亡、今なお3155人が行方不明。そして岩手、宮城、福島の被災3県で、依然16万余人が仮設住宅生活くらし、さらに原発事故の福島県では6万余人が県内外に避難している。大震災から出た瓦礫2253万㌧の最終処理率はなんと6.3%に過ぎない。

この現状をどう見たらよいのか。やはり、厳しいようだが、民主党政権の発生直後からの失政が原因しているように僕には思える。野田政権は発足に当たって、震災復興を政策の第一に掲げていたはずだが、僕には消費増税の党内の混乱だけがやたら目に映る。復興のほうは瓦礫処理一つとっても地方自治体との連携が進まず、果たして目標にしている2014年までに終了できるのであろうか。

これに対する国会審議はどうなっているのか。先日、参院の予算委員会を見ていたら自民党の義家良介議員が質問の開口一番”総理をはじめ閣僚の緊張感が足りない。私語などせずに真面目に答えてくれ”と注文をつけた。僕も前からテレビ中継を見ていて、全部の閣僚とはいわないが態度が悪い。さすがにケータイで自分の持ち馬をチェックはしていないが、質問者を無視して談笑したり、生あくびをかみしめたりしている。まさか前夜の深酒が答えているわけでもあるまい。

小沢一郎元代表の検察審査会の裁判で、検察官役の弁護士が小沢氏に対して”規範意識が鈍磨している”と3年の禁固刑を求刑した。規範が鈍磨しているのは小沢氏だけではないようだ。マニフェスト違反も、僕にいわせれば規範の鈍磨だ。せめて国会審議ぐらいは与野党含めて真面目にやってほしい。

           リメンバー3月10日の東京大空襲!

2012-03-10 06:50:16 | Weblog
先日石原慎太郎東京都知事の記者会見で、若い記者が”東日本大震災で3月10日の東京大空襲が風化しないか”と質問していた。質問の真意はよく判らないが、東日本大震災の衝撃が大きすぎて、東京大空襲がその陰に隠れてしまうのではないかという懸念からなのだろう。もう67年前の出来事だ。年々、直接大空襲を体験した世代も少なくなり、風化しかけているのも一面では事実だ。今朝の読売新聞には東京大空襲関係の記事は都内版の「展望室」という小さなコラム欄で”大空襲 母子の写真”という記事を扱っているだけだ。

石原知事は記者の質問に答えてB-29の大編隊(329機)が東京に飛来し低空から35万発の爆弾、焼夷弾を投下し、10万人もの非戦闘員が殺戮された大空襲だ。忘れようにも忘れられないと答えていた。

67年前の昭和20年3月10日、僕は東京の五反田に住んでいたが、あの夜のことはまだ昨日のように覚えている。風の強い夜だったが発令された空襲警報がいつまでも解除にならず、東北方向の空をみると、夜空が真っ赤にそまり、B-29が悠々と飛んでいた。
幸い、僕はこの日の空襲にもその後の4月15日、5月25日の東京大空襲にも直接被害はなかったが、あの空襲警報の不気味なサイレンの音や焼夷弾が落ちてくる、あのザワザワという音、また、勤労動員先の工場機銃掃射された米軍艦載機の乗組員の顔は忘れられない。

読売新聞の「展望室」氏は”東京大空襲を撮影した、写真家石川光陽の一枚の写真ーうつぶせに倒れた母親の足元に、天を仰いだ姿で事切れたた幼児の横たわる姿ーを見るたびに胸が締め付けられると記し、平和の尊さを共有するには、惨劇を語り続け記憶していかなければならないと結んでいる。僕もまったくその思いだ。リメンバー3月10日東京大空襲だ。

               なぜ起こる警察官の不祥事

2012-03-09 06:59:09 | Weblog
長崎県西海市で起きたストーカー殺人事件を重視した片桐警察庁長官が先日、全国のストーか事件担当者150人を呼び”市民は藁にもすがりたい気持ちで警察に来る。その気持ちを配慮しなければならない”と異例な訓示をした。ところが、皮肉なことに、これを伝える同じ新聞の紙面に二つも警察官の不祥事が載っていた。

一つは大阪府福島署の男性警部が事件の証拠品の煙草の吸殻を紛失してしまったため、事件とは全く関係のない別の吸殻を路上から拾い、証拠隠滅を図ったという。もう一つは東京警視庁湾岸書の男性巡査部長警察に届出があった遺失現金を2年間36回にわたり合計169万円もネコババしてポッケに入れていたというのだ。まったく考えられない事件だ。

昔は警察官の不祥事はあったのであろうか。あったにしても一日に2件も新聞に載るようなことはなかった。戦前僕らが子供だった頃、お巡りさんといえば”こわい”存在だった。いたずらすると、母親から”お巡りさんを呼んでくるよ”と脅かされた。しかし、一方では悪い人を捕まえてくれる正義の味方であった。

ところが今はどうだ。ネットで「警察官不祥事2011」を見たら、あるはあるはーである。▼女性のスカートの盗撮(神奈川)▼高齢女性からの財布の抜き取り(東京)▼スーパーでの万引き(千葉)▼路上でのひったくり(熊本)▼強姦未遂(北海道)まるで犯罪のデパートみたいだ。

どうも警察官ばかりではない。社会全体のタガが最近緩んできたように思えてならない。国家公安委員会のトップに外国の反日デモに参加して日の丸に拳を突き上げるような人物を選ぶ民主党政権の責任でもある。

      ”小沢一郎”に引っ張りまわされた3年間の政治空白

2012-03-08 07:11:21 | Weblog
小沢一郎氏の政治資金問題が表面化したのは2009年3月、公設秘書と贈賄側の建設会社の社長が検察側に逮捕されてからだ。すでに3年の年月が経過したが、まだ白黒結果が出ていない。その間、日本の政治はどうなっているのか。少し大げさに言えば”小沢一郎”に引っ張りまわされて空転している。

その”小沢一郎”をめぐって、またまた民主党が揺れている。先ほど開かれた民主党常任幹事会は、消費税率引き上げを巡って対立している野田総理と小沢一郎元代表との問題を解消させるため、二人の話し合いの場を持たせるべきだと喧々諤々やったそうだが、結局輿石幹事長の”もう暫らく時間を呉れ”の一言で結論がでなかったそうだ。いつもの如くいつもで、一体この党はどうなっているのであろうか。

検察審査会の裁判の行方が小沢氏に有利に傾いてきたという見方がある。これを受けてか最近の小沢氏の発言は強気で、”民主党は政権交代時の初心に帰るべきだ。それが出来なければ安定した政権を作るべきだ”と暗に政権の枠組み替えさえ匂わしている。これに力を得てか、新聞報道によれば、小沢一郎グループは消費増税阻止にむかって結束し、場合によっては、グループ所属議員の政務三役からの引揚も検討しているとのことだ。

野田総理は東日本震災からの復旧復興を政策の第一に掲げていたが、早くも復興庁の計画に対して被災地からの不満が出ている。政権与党が党内で内輪もめしている時期ではないと思うのだが。またトラブルの震源元は”小沢一郎”である。はっきり言って、もう国民は”小沢一郎”にうんざりしている。トラブル.メーカーにしか見えない。彼がかりに”白”であっても、これ以上彼に引っ張りまわされるのは、もう閉口である。

     小宮山厚労相、三割負担の後期高齢者もいます!

2012-03-07 06:58:57 | Weblog
昨日の衆院予算委員会で自民党の小泉進次郎議員が70歳から75歳までの医療費自己負担率を現行の1割から3割に引き上げるべきだと質問した。医療費の世代間格差を是正するためには僕もこれに賛成である。厚労省の医療費委員会からも確かそうすべきだと答申が出ているはずなのに民主党政権は、なぜそうしないのか疑問だ。選挙の際、票に響くとでも思っているのだろうか。

驚いたのは小宮山厚労相の答弁である。小泉議員の質問に対して75歳以上の後期高齢者の医療費自己負担率は1割だと、当然なように答えたことだ。冗談ではない。僕は80歳を越えているが、現実に病院の窓口では3割支払っている。確定申告には平成23年度分として19万円、老妻は5万円支払った証明書を添付した。後期高齢者保険、介護保険を支払った上での額である。年金生活が主体の老人にとっては、かなりの負担である。僕の親友の一人は91歳だが、6年間の戦地勤務の軍人恩給が年金に加算されて3割負担である。

超高齢者社会である。老人の医療費が社会保障費全体の足かせになっている。3割負担といっても残り7割は国が支払っている。年金以外に多少収入がある者が3割負担するのは仕方がないことだと思っている。しかし、後期高齢者医療制度が適用される以前は僕らも1割負担であった。75歳という年齢によって”線引き”するのは差別だというのが、この医療制度への反対理由とされているが、少数とはいえ、負担額が3倍になった犠牲者もいる。

70歳―75歳の前期高齢者の窓口負担を一律2割にすれば、確か6千億円が節約になるという。91歳の末期高齢者が3割負担していながら、20歳も若い前期高齢者が1割負担というのは小泉議員みたいな若い人だけでなく、後期高齢者の僕がみても不公平で理にかなわない。

              野田総理の”御用テレビ”

2012-03-06 07:25:34 | Weblog
「御用新聞」という言葉がある。ネットのwikipediaによると”政府権力を受けて、その政策方針を援護、宣伝的な立場をとる新聞”とある。戦争中の日本の新聞は、大政翼賛会の下すべて「御用新聞」であった。今はメディアが複雑化してきて、かってのように新聞の影響力が弱まってきたのだろう。民主党の代表だった、小沢一郎さんは、自分の政策発表の場に”ニコニコ.ネット”をもっぱら愛用しているようだ。

先日の日曜日の夕方、日本テレビ系の「真相報道バンキシャ」に野田総理が生出演していろいろ語っていた。総理が民放の番組に出演してはいけないという訳はないが、日テレといえば、例の読売新聞グループの総帥”ナベツネ”こと渡邊恒雄氏が率いるテレビ局である。過去において政治の黒幕役として色々噂される”ナベツネ”氏である。野田総理と谷垣自民党総裁との極秘会談との関係があるのではかと邪推されても仕方がない。

野田総理は、この番組でも極秘会談についてはきっぱり否定した。石原都知事がいうように”極秘だから本人が否定するわけはない”のだが、今や国民みんなが極秘会談は公然の秘密だと思っている。日本テレビが”御用テレビ”とまでは言わないが、野田総理は番組の中で、地方自治体が被災地の瓦礫を受け入れ処分場を造る場合には政府が補助金をだす”と発言している。この決定はNHKが夜のニュースでキャリーしている。それだけバリューがあるのである。問題はそんな価値なるニュースを一民放の番組で明らかにするのかだ。

”政局より大局と言っていた”野田総理が、どうも消費増税案と引き換えに衆院の”話し合い解散”に向かって舵を取ったように見られる。仲間内で”一升酒”を飲む気持ちはよくわかるが、党内をまとめられないでは、やはり退陣以外にはない。

         名古屋は南京との友好都市を解消せよ

2012-03-05 07:02:30 | Weblog
河村たかし名古屋市長の”南京虐殺事件はなかった”発言で中国側が怒り、今月予定されていた「日本文化ウィーク」が延期されるなど波紋を呼んでいる。河村市長は中国側の反発に対して発言を撤回する意思はないと言っている。それでいいのだ。ついでに友好都市関係も解消したらどうか。中国側が出張する30万人大虐殺などなかった。それなのに事件をでっち上げて喧伝している。こんな所と友好都市関係を結ぶのがおかしい。

名古屋市はメキシコ市、ロサンゼルス、シドニーと姉妹関係を結んでいるが、南京とはなぜか”姉妹”ではなくて”友好”都市である。理由は不明だが”姉妹”だと、どちらが姉でどちらが”妹”かと、中国側からクレームがついたからだという。名古屋が南京と友好都市関係を結んだのは昭和53年、日中平和条約が締結された年で、まだ南京虐殺事件はそれほど問題になっていなかった。名古屋市には日中友好の”バスに乗り遅れては”という気持ちがあったのではなかったのか。

河村市長は名古屋市を訪れた南京からの代表団に対して”自分の父親は戦争中、中国に7年も従軍、中国人にお世話になった。一つも中国のことを悪く言わなかった。これから見ても虐殺などあり得ない”と語ったのだという。しかし、これは友好都市関係の一方の市長が言わずもがなの話である。多分河村市長は、過去に南京を訪れたことがあると思うが、あの虐殺博物館を見たら友好都市関係など解消したいと思うはずである。

名古屋市だけではない。全国にはまったく意味の不明な姉妹都市が沢山ある。南京と友好都市関係を結ぶのならば、名古屋をわざわざ町の名前にしている、インドネシアのバンカ島のNagoyaと姉妹都市関係を結んだほうが市民にはわかりよい。

          あるインドネシア料理店主を偲ぶ会

2012-03-04 07:33:35 | Weblog
故中島慎三郎さんを偲ぶ会が先日都内のホールであった。中島さんは長年、新橋にあったインドネシア料理店「インドネシア.ラヤ」を経営されていたが、一方では「アセアンセンター」という名の民間研究機関を持ち政界にも広い人脈を持っていた。偲ぶ会にも小泉内閣の財務大臣で”塩爺”の名前で人気のあった塩川正十郎さん(90)をはじめ防衛大臣を務め、クール.ビズを定着させた小池百合子さん、それに尖閣諸島への上陸体験を持つ、立ち上がれ日本の西村真吾さんなど多士済々の方が顔をみせた。

中島さんは昭和16年12月8日、大東亜戦争勃発時、第5師団給水部隊の兵士としてマレー上陸作戦に従軍、シンガポール占領後は師団の移動とともにアンボン、セラム島など豪北地区に駐屯した。兵隊の位は伍長だったが、語学の才能があったのであろう。現地の住民からインドネシア語を独学で学んだ。

戦後復員してからは奥さんの実家の花屋を手伝い、焼野原の東京の繁華街を奥さんと一緒にリヤカーに花を載せて売り歩いた。それを元手にしてインドネシア料理店を新橋に開業した。一方、中島さんは得意のインドネシア語で政界にも接近した。ちょうど戦後の賠償協定締結にむかって日イ要人の往来が頻繁だったころだ。非公式ながら中島さんは福田赳夫元首相の通訳をしたこともあると自慢していた。

偲ぶ会の呼びかけ人の一人を仰せつかった僕は、中島さんと共通の友人である元インドネシア義勇軍のバンバン.プルノモさん(87)の弔電を席上で披露した。弔電は中島さんの死を悼み、中島さんがインドネシアと日本との友好親善に尽くした功績ははかり知れないものがあると結んであった。

       面白い石原慎太郎都知事の記者会見と瓦礫処理

2012-03-03 07:13:49 | Weblog
東京のローカル・テレビ局「Tokyo MX」が昨日、石原慎太郎都知事の定例記者会見を中継していた。僕はこの番組のファンである。下手なドラマや情報番組なんかに比べればはるかに面白い。野田総理の型にはまった会見の比ではない。さすがに年の功だ。孫や子供の年齢の記者たち相手に時には慇懃無礼、時には”恫喝”まがいの発言もある。また記者たちの質問も、若い世代の考え方がわかって僕には面白い。石原知事の若さの秘密は、こういった若い世代との接触にあるのかもしれない。

昨日の会見は知事の体調不良などもあって久しぶりだったそうだが、知事はノータイのラフなスタイルで応対していたが、とても80歳に近い後期高齢者とは思えない。東京では昨日から被災地の宮城県女川町から出た震災瓦礫の受け入れを開始した。9個のコンテナに積まれたおが屑が貨車に積まれてターミナル駅に到着、今日から焼却が始まるが、昨日の会見でも石原知事は、被災地の瓦礫の最終処理が、全国ほとんどの自治体の協力がえられず、進まないのは野田総理の政治力不足だと持前の批判を展開した。

東京では瓦礫の受け入れにさいし、万全の策を取り昨年12月から実験的に焼却灰や排ガスについて放射性物質が出るかどうかを綿密に検査している。そして、瓦礫受け入れの模様をDVDに収めて、これを全国の関係団体に配布しているそうだ。石原知事のトップダウン方式は強引だとの批判はあるが、震災から1年も経つというのに、瓦礫の最終処理がまだ5%だという。野田総理は先日の党首会談で、沖縄の仲井真知事にも瓦礫の受け入れはお願いしている、と言い訳を言っていた。野田政権が掲げる政策の第一は震災の復興ではなかったのか。政局より大局だと言っていた野田総理ではなかったのか。極秘会談の時間があるのなら東京の瓦礫受け入れ現場を視察したらどうか。

              慶長遣欧使節と巨大津波

2012-03-02 07:17:31 | Weblog
伊達藩の支倉常長らの慶長遣欧使節団が石巻の月の浦港を船出してから来年で400年になる。それを前にして日本とスペインとの間で両国に保存されている使節団に関係する資料をユネスコ(国連教育文化機構)に対して共同で記憶遺産として推薦することが決まった。

使節団の乗った「サン・ファン・バウティスタ」号は、現在復元されて石巻市内の記念博物館にあるが、昨年の大津波でもあまり被害がなく無事だった。が、周囲の使節団の関連展示棟は壊され、現在残念ながら博物館は休館中とのことだ。来年の400年記念までには復旧されてもらいたいものだ。

使節団に改めて関心をもち調べてみたら、使節団が月の浦を出港した慶長18年(1613年)の2年前にも、昨年の大震災と同規模の巨大津波が三陸海岸を襲っている。しかも、たまたま徳川幕府の許可を得て、現在の大舟渡沖の海域を調査していた、スペイン人のセバスティアン・ピスカイノらの乗っていた船がこの津波に遭遇している。幸い、海上だっため無事だったが、その時の模様が記録として残っている。ピスカイノらの乗っていた船は、翌年台風にあって破損。ピスカイノらは、二年後使節団の「サン・ファン・バウティスタ」号に同乗して帰国している。

この慶長三陸大地震では、伊達藩内だけで千数百人が、主として津波にのまれ死亡したという記録がある。伊達藩としては復興復旧に大変な時期だったと思うが、伊達正宗は、おそらく日本では初めてであろう外洋船を藩内の石巻で建造し、港を整備して使節団を派遣している。伊達正宗の狙いはなんであったのだろうか。震災後の復興を外国との通商に求めたのかもしれない。