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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         韓国朴槿恵大統領のパラドックス(矛盾)

2013-05-13 05:37:26 | Weblog
韓国の朴槿恵大統領が先日、米国の上下両院合同会議で演説”歴史に目を閉ざす者は未来がみえない”と安倍内閣の「アジア.パラドックス(矛盾)を批判した。大統領のいう”歴史”とは自国がにほんに併合されていた1910年(明治43年)から45年、独立までの35年間を指すものと思うが、改めて大統領に問う。日本は決して、近時代の”歴史”に目を閉じてはいない。手っ取り早い話だ。インターネットで簡単にみられる日本の併合前のソウル南大門前の写真と併合時の写真を見比べてもらいたい。

大統領一家の個人史でもよい。大統領の父親、朴正煕大統領は日本統治下の1917年、大邱近くの寒村の生まれだそうだが、墓守で生活をたてていたほど貧しかった。しかし、統合後の教育改革で、朴正煕少年は小学校に入学、学費タダの大邱師範学校を卒業、さらに満州士官学校にも入学、日本の士官学校にも留学、敗戦時には”高木正雄”陸軍中尉であった。

韓国が独立してから、すでに68年、父親,朴正煕大統領が締結した日韓基本条約からでも48年の月日が経過している。日韓併合の35年よりも長い月日だ。大統領は日韓統合時代について、一方的な史観にたたず歴史を検証してもらいたい。そして独立後68年の日韓関係の歴史に目を閉じないで欲しい。そうすれば、李承晩ラインによる竹島の不法占拠も理解できるし”従軍慰安婦”のインチキ性も理解できる。「アジア.パラドックス」は安倍内閣でなくて朴槿恵政権である。

               「慰安婦」か「性奴隷」か

2013-05-12 08:53:50 | Weblog
”安倍晋三内閣やその内閣の歴史問題に関する発言や行動は地域の国際関係を混乱させ米国の国益を損なう懸念を生じた!といった趣旨の米国議会調査局報告書の抜粋を新聞で読んだ。その中でクリントン前国務長官の”慰安婦ではなく性奴隷という用語を使うべきだ”と指示したことをも紹介している。

「性奴隷」という言葉は、僕の知る限り日本では2000年12月、東京の九段会館で催された「女性国際戦犯法廷」で、昭和天皇に有罪判決を下した時に初めて使用された。当時この模擬裁判を正面から報道したのはNHKと朝日新聞だったが、インドネシアの「kompas」というカトリック系の日刊紙が、判決全文を一面全部使って報道している。そして、そのあと「性奴隷」と日本語で書いカードを掲げて日本大使館の入っていた建物に抗議している。

九段会館の模擬裁判を主催したのは、朝日新聞の松井やよい元編集委員(故人)らの「女性への暴力日本ネットワーク」という団体だったが、この模擬裁判に支援団体として名前を連ねている中に圧倒的に多いのは救世軍本営をはじめ国内外のカトリックの諸団体である。修道院の名前まである。

韓国の人口の3割がキリスト教徒である。その中でも多いのがカトリック教徒である。インドネシアは人口の8割以上がイスラム教徒だが、何故かカトリック系の「kompas」が知識人の間で人気がある。模擬裁判の判決文が、どのようにして「kompas」の手に渡ったのか。そして、何故「kompas」が大々的にこれを報道したのか不明だが、インドネシアでは有力な英字紙をはじめ華僑資本が多い。

たまたま英文に翻訳中の戦争末期ブルネイから山奥のソパンまで220㌔の邦人のジャングルの中での助け合いながらの逃避行の中には、慰安婦も出てくる。慰安婦の一人が自分の赤ん坊を亡くし、泣き叫ぶ姿が痛ましい。これでも「性奴隷」なのだろうか。

            クールビズと議員のバッジ多用

2013-05-11 05:15:15 | Weblog
今年は5月1日から10月31日までがクールビズの着用シーズンだそうだ。でもテレビを見ていると、安倍晋三総理をはじめ背広にネクタイ姿が多い。ノータイでも菅義官房長官のように、ほとんどがしっかりとジャケットを着こんでいる。元々、クールビズの発想は省エネだから、個人が暑さに耐えられるのなら、問題はない。しかし、見た目には、おかしなもので、ノータイがいかにもだらしなく映る。

クールビズの期間は、確か室内温度を28℃に設定しているはずだ。スタート当初は7月、8月の2か月間だったが、次第に延長されて今年は4か月になった。実施してみてそれだけの省エネ効果があったのだろう。デパートの売り場でも、この時期になるとクールビズの特設コーナーができるそうだから、定着してきたとみるべきだろう。多分、霞が関の中央官庁では、ほとんどがクールビズを着用しているのだろう。

僕が見る限り、国会議員のクールビズの着用率は半分半分といったところだ。何故なのか、僕なりに推察してみたが、シャツだけのクールビズでは、議員バッジなどバッジ類のつける場所がないのだ。安倍総理は、いつも左胸に、議員バッジ、拉致被害者救済連隊の青色バッジ、それにもう一つ白色のバッジをつけている。大方の議員が同じようだが、中には昔の軍人の勲章みたいに幾つも胸にしている。

これから盛夏に向かって、シャーツ姿のクールビズになると、バッジ類をどこに着けるのか余計な心配をしているが、議員が依然として背広やネクタイにこだわるのは理解できる。やはり長年の慣習で、ノーネクタイではしまりがないのである。第三者の僕がみても国政を審議する国会は例外として、きちんとした姿で事に当たって貰いたい気がする。

           おばあちゃんだけの老人会旅行

2013-05-10 05:31:16 | Weblog
老妻が今日から1泊2日の予定で地域の老人会主催のバス旅行で福島に出かけた。朝7時半、近くの集合場所まで送って行ったが、男性の参加者、おじいさんは一人もいない。21人の参加者はすべておばあさんだけである。

老妻は先月も僕と一緒に福島に旅行しており、最初は遠慮したのだが、老人会のお稽古仲間の強い誘いがあって参加することになった。1泊2泊の旅行の費用は往復のバス代込みで21,500円、個人で行くよりは安い。老人会会員以外の参加は23,000円だから、行政側からの若干の補助があるみたいだ。

今、全国的な傾向として老人会組織が曲り角にきているらしい。高齢化が進んで老人の数が増えているのに、会員が減ってきている。その原因は60代の、いわゆる団塊の世代が老人会に入らないからだ。”老人”という言葉に抵抗があることと、この世代の特徴である個人主義によるものらしい。地域との連帯感がなく、個人で活動したいという考え方によるものらしい。それに同じ老人といっても60代と80代、90代とでは親子ほど年齢も違い、考え方も異なる。

わが地域の老人会も会長の男性は85歳、副会長の女性は92歳。副会長は元気に旅行にも参加し、旅行先のホテルでみんなと一緒に踊りを披露するらしいが、会長は男性の参加者がないので不参加である。おばあちゃんたちは、日頃老人会のお稽古や催し事を通じてお仲間がいるが、おじいさんたちにはそれがない。平均寿命が8歳も違うのは、こんなことにも原因しているのかもしれない。可哀想なおじいさんたちだ。

        川口委員長解任 女の意地 政治家の意地

2013-05-09 06:24:54 | Weblog
川口順子参院環境委員長が9日の参院本会議で野党八党が提出した解任決議案が可決され解任された。ここ二、三日この”解任劇”の動きをみていて、国民は改めて政治家に対する不信感を抱いたに違いない。川口氏は4月23,24日の二日間、世界の元.元首や外相などが参加する「静かなる外交」(silent diplomacy)会議に出席するため北京を訪れたが、中国の都合で会議が25日にまでずれ込んだ。川口氏の「中国訪問に関する経緯」というHPの弁明によれば、川口氏はこの時点で、自民党を通じて出張延期を申し入れている。

僕は最初この話を聞いたとき、川口氏の”ドタキャン”だと思い、電話やメールもあるのに国会軽視も甚だしいと本当に思った。しかし、弁明によれば、やむを得ない事情がある。尖閣問題をめぐり、日中関係がギクシャクしている折であり、先方からは外交担当の国務委員も出席するという会議なら、外務大臣経験者の川口氏なら会議出席を一日延長するのは当然の決断だろう。

国会の常任委員長の解任は憲政史上初めてだという。政府与党の一部には川口氏の自主的辞任を期待していたが、川口氏はこれを断ったのであろう。川口氏にすれば、きちんと手続きを踏み、自分の政治家として信念に基づいての行動である。何か不都合なことをしたとは思っていない。僕はこれは川口氏の女の意地であり、政治家としての意地とみる。川口氏の赤の”戦闘服”にそれが感じとられる。それに引き替え、野党の行動はなんだろう。僕のような政治の素人からみても、解任決議案は、野党の参院選向けの党利党略ではないかと映る。もう少し柔軟性のある”大人の政治”を国民は望んでいる。

                 ”隣の家の赤いバラ”

2013-05-08 06:49:11 | Weblog

”隣の家の赤いバラ”という諺がある。三省堂「慣用句ことわざ辞典」によると”他人の物はよく見えて羨ましい”という意だそうだ。わが家の隣の玄関先のバラが今真っ盛りである。(写真)道行く人を楽しませ、住む人の気持ちの優しさがわかる、
その昔学校で習った吉田兼好の「徒然草」の中に”おほかたの家居にこそ、ことざまは推量できる”(第十段)というのがあった。大体の家の構えを見れば、その人の人柄まで推量できるといった意味だ。兼好は家の構造について関心の持ち主だったようで”家の造りやうは夏をむねとすべし(第五十五段)ともある。”暑き頃、あしき住居は耐え難き事”だと書いている。
今年の夏も暑そうである。階下に住む娘一家は、すでにごうやの苗を買ってきた。暑さ除けにごうやで”緑のカーテン”を造ろうというわけだ。都会育ちの僕はあまり植物には関心がない。それとも戦中戦後の食糧難時代の”かぼちゃ”造りの体験が災あいしているのだろうか。
兼好は鎌倉時代末期に生きた僧侶で、当時としては69歳と長寿だったが、今の僕の年齢からみれば、はるかに若い。しかし、書いていることは、ずーっと僕より悟りが開けている。たんに時代が違うという、だけなのだろうか。

            何故シリア人はケンカ好きなのか

2013-05-07 06:10:37 | Weblog
「アラブ人の気質と性格」(サニア.ハマディ著 笠原佳雄訳 サイマル出版)の中にこんな記述があった。「アラブ人は社会との関わりあいの中で、しばしば敵意を示す。これは主として密着すぎる社会から生まれる摩擦、構造的な徒党根性、それにアラブ人がその戦闘性を外面に表わすことなどに起因している。また彼らの気難しさ、一癖ある性格にも関係がある」(争いを生む風土その戦闘性23ページ)

2年余りに渡るシリアの内戦をみると、まさに上の記述がぴったりだ。アサド政権と反政権は、互いに徒党を組み、敵意を表に出して戦闘を続けている。解決の糸口も見つからず泥沼状態である。すでに7万人が死に200万人の難民が国外に逃れている。なのにここへ来てイスラエルがダマスカスの郊外へ爆弾を打ち込んだという報道があり、シリアがこれに報復するという報道も流れている。

かって、この地に栄えたウマイヤ王朝(661年―750年)は西はイベリア半島、東はインドまでを版図に持つたイスラム史上最初の世襲王国であった。、その王国時代の歴史的な建築物が今内戦によって、危機にさらされている。4月末には北部の都市、アレッポにあった世界遺産の一つであるウマイヤ.モスクのミナレ(尖塔)が砲撃にあい完全に破壊された。

約半世紀前の1962年、僕は新聞社の移動特派員でとして首都ダマスカスを訪れ、世界最古のウマイヤモスクの偉容に圧倒された。まさか、あのモスクが戦火によって灰塵にきすとは思わないが、戦争だからわからない。世界遺産はシリア人だけのものではない。人類全体のものだ。世界の国々は、その利害を超越してシリアの戦火を終息させなければならない。

         国民栄誉賞 自民党と民主党演出の違い

2013-05-06 06:20:00 | Weblog
野球の長嶋茂雄&松井秀樹両氏に対する国民栄誉賞授与式をテレビで見た。見事な演出であった。5月5日の「こどもの日」、舞台は東京ドームのグランド、役者は師弟の絆で結ばれた長嶋.松井。すべてがそろっている。なかでも始球式の演出が良かった。長嶋がバッターボックスに入り、巨人軍の原監督がキャッチャー、安倍総理が歴代総理96番目の背番号をつけて球を投げるのかと思ったら、審判に回り、代わって松井が始球した。まさに巨人ファミリー”美しき日本”の演出だ。

3年3か月の民主党政権下も俳優の森繁久弥さん、大相撲の納谷幸喜さんこと大鵬、レスリングの吉田沙保里さん、FIFA日本女子チームの3人1チームが国民栄誉賞を受章している。しかし、このうち森繁さんと大鵬は没後の受賞である。巷の言葉で恐縮だが”死んで花実が咲くものか”である。授賞された方々には悪いが、生前に受け取られたほうが喜ばれたに違いない。それにパーフォーマンズ好きの民主党なのに、授賞式も通り一遍で、国民にあまり感銘を与えなかった。

その民主党が11日に”公開大反省会”を開くという。与党政権下、政治の中枢にいた菅直人元総理、枝野幸雄元官房長官、長妻昭元厚労相の三人を呼び、反省しようという会だ、30歳以下の青年を対象に、ケータイからの匿名の批判も受け付ける一方、三人の基調演説やスピーチは一切ないとのことだ。政権の座を降りてから、すでに5か月、この時期になってまだ”反省”という意味が僕には判らない。政治仕分けというのもあったが、パーフォーマンスの割には人気が出なかった。脚本は好いのかもしれないが、この党には演出がなく下手だ。

             失せた大型連休の金色の輝き

2013-05-05 06:36:46 | Weblog
大型連休も後半に入ったが、80歳過ぎの老人には一向に喜びも楽しみもない。せいぜいテレビで野球観戦し、夕方、甲乙混和の安焼酎でほろりとする程度だ。昔はよく、この春の連休のことを”ゴールデン.ウィーク”といったが、最近はあまりこの言葉を聞かない。大型連休であっても、かってのような金色の輝きが失せてきたのであろうかー。

”ゴールデン.ウイーク”の語源をウイークぺディアで調べてみたら、もともとは昭和26年(1951年)映画会社の松竹と大映が新聞の人気小説「自由学校」を競作し、この時期に上映したところ、ともに好成績であったのが語源だという。「自由学校」について僕も変なことが、まだ記憶にある。それは夫婦喧嘩のあげく家出した主人公の南村五百介が、お茶の水の外濠の横穴でホームレスのような生活をしていたことだ。今思うと、まだ戦後の焼け跡時代で、流行歌も「私は街の子」(美空ひばり)「東京シューシャン.ボーイ」(暁てるこ)が流行していた。

当時は大型連休でも一般庶民は、泊りがけで行楽に出かけたり、郷里に帰る余裕はなかった。せいぜい映画館が満員になるぐらいの楽しみであった。サンフランシスコ条約が発効し、独立が復活したのも、この年だったのだが、人々の生活は貧しく連休でも楽しむ余裕はなかった。昭和30年代にはいって”ゴールデン.ウイーク”の言葉は定着したが、その”ゴールデン”の輝きを実感できたのは、いつごろだったであろうか。バブルの時代だと思うが、老人は再び、その輝きの恩恵に浴せなくなった。