「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「海の日」 戦時中の「国民皆泳」だった時代

2014-07-21 06:25:23 | Weblog
今日7月の第3月曜日は国民の休日「海の日」だそうだ。”そうだ”というのは最近、なにかあまり意義のない休日がが増え、それに”ハッピー”○○制度もあって老人には何の休日だか判りにくくなってきたからだ。。改めてインターネットで調べたら”海の恩恵に感謝し、海洋王国日本の繁栄を祈る”日で、平成8年から実施されている。

戦時中の昭和13年8月28日、「国民皆泳の日」が制定されたのを覚えている。休日ではなかったが、戦争の時局を反映して全国各地で色々な催しが展開された。戦地に向かう輸送船が沈没された場合を想定して、国民は皆泳げなくてはならぬ、という趣旨だった。だから今のように五輪を目指してスピードを競うのではなく、いかに長く安全に泳ぐかというのが目的だった。欧米のクロールではなくて、昔から伝わる「抜き手」であり、跳び込みも頭からではなくて、銃を持ち足から水にはいる「順下」が奨励された。

戦前東京の区部でもまだ江戸時代から続く水泳道場があった。JR総武線の荒川放水路にかかる平井鉄橋下とか月島の埋め立て地にもあった。昭和15年の夏休み、海洋少年団の行事で、僕はお台場(たしか第四)で講習を受け、その時”横のし”で泳ぐ写真が残っている。

「海の日」前後になると新聞に”悲しい水の事故”が大きく伝えられる。原因を見ると、遊泳禁止の場所で泳いだり、準備体操もせず、時には酒を飲んで溺れている。無茶である。昔の「国民皆泳」時代の道場では、水泳が達人の師範がいて、泳法だけではなく、水の怖さも同時に伝授していた。”海の恩恵に感謝する”だけでなく、海の怖さも改めてPRしてもよいのではないかー。

日本人の戦争責任

2014-07-20 05:45:17 | Weblog
旧制中学時代の級友から卒業後初めて電話があり、僕が編纂した戦時中の動員記録を譲って欲しいとの所望があった(既述)。残念ながら残部がないのでコピーして送ったところ礼状が届いた。礼状には”80歳の半ばに差し掛かり、ようやく「人生の大反省」という事業に取り組み始めた、という書き出しで次のように書いてあった。「これから先、私は自分の責任で、私独自の思索を重ねて日本人の戦争責任を自らの身を振り返って厳格に検討してみるつもりです」

級友とは卒業後66年間会っていない。どのような人生を歩んできたのか知らないが、僕は礼状の中の”戦争責任”という言葉にひっかかった。”戦争責任”とは何なのだ。もちろん、僕は海外各地で日本の戦争に巻き込まれ犠牲になった人々に対しての責任は日本人として感じている。しかし、僕個人は戦争を起こした世代ではなく、戦争により被害を蒙った世代である。

集団自衛権行使反対で、いつまでも国会周辺で”ママゴト”をしていう老人力がいる(「産経新聞」コラム産経抄)。老人力といってもデモをしているのはノーベル賞作家、大江健三郎で代表される僕らより若い世代である。集団的自衛権は憲法九条の改正につながり、若者を戦場に送り込むことになるという主張だ。如何にも短絡的である。彼らは戦前生まれといっても、直接戦争を体験していない。が、何故か大江健三郎の本を読むと戦争について自虐的な表現が多い。

戦争が終わって来年は70年。僕も級友と同じように、一つの区切りとして戦争について改めて考えてみたいと思っている。しかし、同時に戦後の日本が歩んできた70年も振り返り、まとめてみたい。国としても何らかの方法で戦後70年の歴史まとめ世界に示すことは意義あることだと思うが。

成果がなかったのが成果 海江田訪中使節団

2014-07-19 06:16:18 | Weblog
海江田万里民主党代表が訪中を終えて帰国した。何も成果はなかったようだが、成果がなかったのが逆に成果だ。それにしても民主党も中国側から冷たくコケにされたものだ。海江田代表が北京で会った相手は、中国共産党のNO.5の男、6月訪中した社民党の吉田忠智党首でさえNO.4と会っている。まさに落陽の民主党だ。

想い出すのは2009年12月、当時の民主党幹事長が同党の国会議員143人、一般人483人、計626人を引き連れて訪中、人民大会堂で、胡錦濤国家主席(当時)と会い、議員たちが胡錦濤と喜々として”ツーショット”の写真に収まっていた。まさに”朝貢外交”の絵を見るようだった。その後輿石東幹事長が訪中したが、この時の一族ロウトウはたったの10人。それなのに訪中使節と別に、鳩山由紀夫外交最高顧問(元首相)が、中国の幹部と会談、党の支離滅裂さを露呈した。

中国側からみれば、民主党を蔑視するのは当たり前だ。尖閣諸島の国有化宣言をした”張本人”なのだから。新聞報道によれば、海江田代表は中国側から提案のあった”尖閣問題”棚上げに反対したそうである。幸い、今回の海江田訪中について、今のところ党内から強い反対の批判の声はない。しかし、党内野党が多く、おかしな意見の首相経験者を持つ党だけに解からない。

ちなみに、民主党の国会議員数は衆院56人、参院59人、合計115人で、小沢訪中使節団に同行した132人より少ない。胡錦濤主席との〝ツーショット”写真も過去の想い出ばかりになってしまったのだろうかー。

新暦の東京のお盆は終わったが

2014-07-18 05:49:39 | Weblog
茶の間に仏壇から下げられた花模様の乾菓子を見つけた。信仰心の薄い僕は、これをみて今年のお盆が終わったのを知った。東京の区部では新暦によりお盆を行う家が多いが、最近わが家では、せいぜい菩提寺に行き、お墓参りをする程度で、昔ながらの行事は一切しなくなってしまった。昭和30年代までは、家の前で迎え火を焚いて”おしょろさま”(先祖の精霊)を家に招き歓待し、同じように送り火で送ったものだった。

先日資料の整理をしていたら駆け出し時代の新聞のスクラップ貼が出てきた。昭和29年から30年にかけて上野警察の記者クラブにいた頃のものだが、警察発表の事件モノに混じって、管内に上野のほか浅草、蔵前、入谷(下谷)、谷中と歴史的な寺社が多く、祭りや行事が多かったため、その記事が写真入りで沢山残っていた。三社様の祭りから始まって、ほうづき市、植木市、朝顔市など季節を告げる行事をきちんと取材している。

当時はテレビが始まったばかりであまり普及していなかった。まだ記事よりは写真を中心にした「写真新聞」もあった頃である。時代は違うが新聞の紙面に”うるおい”があった気がする。最近の新聞は、昔、僕らが”町ダネ”とか”閑タネ”と呼んでいた、季節を伝える年中行事の記事が少なくなってきた。代って目立つのは、警察官の強制わいせつとか検察官のセクハラとか、タレンンとのくだらない脱法ハーブの詳報である。

首都圏の梅雨はまだ明けない。梅雨入りが早かったせいか、今年は例年に比べて梅雨が長く感じる。年齢のせいだろう。これから夏本番かと思うとぞっとする。”朝顔に釣瓶とられて”的な風情が、紙面にもあらまほしきかなーである。

朗報 後期高齢者保険窓口負担が1割に

2014-07-17 05:22:18 | Weblog
二人合わせると165歳になる僕ら老夫婦にとって朗報である。昨日、この8月から通用する新しい「後期高齢者医療保険証」が届いたが、二人ともこれまでの窓口負担の”現役並み”3割が1割に変更になっている。期待はしていなかったのだが、二人とも「介護1」僕に至ってはさらに「身障者4」の認定を受けている。それなのに年金以外、多少収入があるとはいえ”現役なみ”とは酷ではないかと思っていた。

これまで地元の役所に何度か1割に変更してくれと申請したが却下されてきた。今回、1割に変更された理由は、はっきりしていないが多分、僕が「身障者4}に認定され、税制上多少優遇された結果だと思っている。

高齢者にとって窓口負担3割は、ずっしりとした重みがある。僕の場合、膀胱ガンの治療のため、抗ガン剤を患部に注入していたが、1回、治療費を合わせると1万円もする。それに膝の人工関節後の定期診断、さらに慢性的な高血圧と糖尿病の治療と薬代など家計にも響いてくる、それに「後期高齢保険料」が二人で合計年間3万円近く支払っている。

不思議で有り難いことだ。1割負担への通知と前後して、僕の”病状”がよくなってきた。膀胱ガンの経過がよく抗ガン剤の注入が終わって年に数回の内視鏡検査に移行したこと。高血圧も数値が安定し降圧剤を飲む必要がなくなったこと。さらに糖尿病も薬を飲むほどでもないと診断された。”病状”がよくなったのは、昨年暮の入院のさい、指導を受けた食事療法と、これを受けた家族の支援だと思っている。食事を野菜中心に切り替え、間食を減らしたこと、それに晩酌の量を抑えたことだ。こんなことで、高齢者の医療費高騰の抑制には多少役立っているのでは。

母校の野球応援と老人力

2014-07-16 07:28:37 | Weblog
昨日、炎天下、66年前卒業した母校(旧制中学)の野球の試合に出かけてきた。結果は初回に8点と大量得点されたのがたたり13対7で大敗したが、9回までコールドにならず試合は続けられた。83,84老の僕ら3人は超OBである。自分の娘より若い応援のお母さんたちからメガホンと母校の名前入りの団扇を渡され”声を限り”の応援を楽しんできた。

戦中から戦後すぐの時代に中学(高校)生活を送った僕らにとってスポーツの応援といえば野球しかなかった。その応援も昔ながら伝統の応援歌を歌い「三三五拍子」であったが、今は違う。男子校なのが残念だが、数十人のブラスバンドでの賑やかな応援だ。相手はかっては女子高であった新しい学校である。母校の敗色がこくなり、僕はいらいらして”女子高なんかに負けるな”と声を出そうと思ったがやめた。女性への侮蔑野次で辞職した都議の例もあるからだ。

試合の終わった後、僕ら三人は大森駅近くの居酒屋で軽く一杯飲み残念会を開いたが、後ろの席で一人飲んでいた男性が、僕らの話をきいて自分も同窓で同じ野球帰りだと名乗ってきた。聞けば、僕らが戦後復活第一回の東京都予選に参加した、昭和21年生まれだという。といっても70歳近い老人である。言わずもがな、4人は母校の敗戦はどこへやら、時代を越えた母校を酒のさかなに杯を重ねた。母校は創立151年の伝統校である。これが伝統校の良さというものだろう。

「小樽ドリーム.ビーチ」と張碓海水浴場

2014-07-16 05:28:37 | Weblog
「小樽ドリーム.ビーチ」近くの市道で、酔っ払い運転の車が海水客の女性4人を死傷させた。運転していた男は、なんと12時間もビーチで飲酒し、おまけにケータイを使いながらの無謀運転、しかも女性たちをはねたのを知りながら、コンビニに煙草を買いに行っていたという。目茶苦茶な話である。

「小樽ドリーム.ビーチ」と聞いても、すぐに僕は何処なのか判らなかった。1971年(昭和46年)から81年まで10年間、札幌に勤務していた僕は、ちょくちょく小樽に遊びに出かけたが「ドリーム.ビーチ」などいったしゃれた名前の海水浴場はなかった。しかし、事故現場の写真を見ると、在勤中何回ともなくプレーしたことがある小樽国際カントリー.クラブのコースが映っていて、大浜海水浴場の事だと知った。

札幌在勤中はまだ子供が小さかったので、海水浴に出かけた。老妻が子供たちを連れてよく行ったのは、札幌から小樽に向かうJR沿線にある張碓駅前の海水浴場であった。湘南や房州の海に馴れた子供たちには、波のない岩場の海は物足りなかったが、海の色のきれいなことには驚き、岩場遊びを楽しんだ。この張碓海水浴場は平成になってから、廃駅になり、今は海水浴はできなくなったそうだ。

北海道の夏は短かった記憶がある。海水浴を楽しめるのは、せいぜい小樽の潮まつりがある7月下旬から8月上旬の数日であった。母親が83歳で亡くなる前年、僕は母親と子供たちを連れ、大浜海水浴場へ札幌の自宅からタクシーで出かけた。しかし、海浜には海の家がほとんどなく鎌倉や逗子の賑わいはなかった。それに気温も低く、早々に引揚げたが、帰りのタクシーが拾えず苦労した想い出がある。

当時の札幌の人口は100万人だったが、今は150万人に増えている、地球温暖化の影響なのか7月中中旬から海水浴が楽しめるようになった。つくづく30年の歳月の流れを感じる。

滋賀県知事選挙の敗因は候補者の名前!

2014-07-15 06:22:44 | Weblog
集団自衛権に関する閣議決定を受けて最初の衆院決算委員会の模様を昨日、テレビ中継で見てたら海江田民主党代表の質問に答えて安倍総理が滋賀県知事選挙の自民.公与党推薦候補の敗因は”集団自衛権の論調が影響していないとは申し上げたい”と答弁していた。集団自衛県そのものではなくて、その”論調”が原因しているかもしれないといういうわけだ。

先日来、僕も素人なりに安倍総理のいう”集団自衛権”について考え、だいたい閣議決定の内容については理解している。しかし、昨日の国会審議を聞いていると、次から次へと解釈が拡大してゆくような印象を国民に与える。ホルムズ海峡の機雷掃海についての武力行使の新要件といっても、テレビをみている国民には理解できない。逆にこれによって”総理の武力行使の拡大の可能性は強まった”(毎日新聞)という意見まで出てくる。

NHKの最新の世論調査によると、安倍内閣の支持率は6月より5ポイント下がって47%、内閣発足以来初めて50%を割った。世論調査を頭から信じるわけではないが、”集団自衛権”行使は、憲法改正、戦争につながるものだ、そして若者を戦場に送るものだという意見がある。滋賀県知事選挙は国政選挙ではないが、このような政治背景下で行われた。

不見識かもしれないが、当選した三日月大造氏に対して、落選した鑓田哲史氏のお名前は選挙結果に多少影響していたのではないだろうか。お名前の「鑓」は、三省堂「大辞林}によると、戦国時代の武器の一つで、長い柄の先端に剣用の刃物がついた武器だという。字も画数が多く、選挙では「やりた」を使用されたと思うが、相手候補の「三日月」に比べて損をされた。これが選挙結果の1万票の違いになって現れたのではー。神戸のおかしな県議のお粗末な泣きっらを見て、そう思いたくもなる。

新聞が悪いのか、それとも年寄りのボケが悪いのか

2014-07-14 09:47:33 | Weblog
母校の野球応援についてブログで書いたが、試合当日と思っていた朝、友人からメールが入り、試合は明日だという。友人は高校野球を主催する朝日新聞の購読者だが、今朝の今朝まで今日だと思っていた。僕も別の新聞だが、東京東西両大会のスケジュール表には14日とはっきり書いてあった。多分何かの都合で延期になったのだろうか、変更の記事が新聞に載らないのは不親切である。PCがあるから、変更を紙面で伝えなくてもよいと思ったのであろうか。年寄りが二人ともボケることはありえない。

”蒼海転じて球場”母校の野球応援

2014-07-14 06:02:33 | Weblog
66年前卒業した母校(旧制中学)の野球の応援に旧友二人と出かける。自分でいうのもおかしいが、元気なお爺さんたちだ。球場は東京湾の埋め立て地にある太田スタジアム。自宅からバスで大森まででかけ、それから三人、割り勘でタクシーに乗り、800円支払ってネット裏で観戦する。

旧友の一人は戦後復活第一回(昭和21年)の大会でエースだった男だ。残念ながら一回戦で、この年都大会で優勝、甲子園に行った、東京高師付属中学(筑波大付属)に当たり大差で敗退した。今でも覚えているが球場は、高師付属の砂利の校庭であった。当方はまだユニフォームもなく、一塁手はファースト.グローブもなかった。もちろん応援席などなかった。

大田スタジアムのある埋立地は、戦後「平和島」と呼ばれた人工島のさらに海上延長線にある。「平和島」は昭和14年から埋め立てが始まり、戦争中はここに連合軍の捕虜収容所があり、戦後は代わって、東條首相らの”戦争犯罪人”が処刑までの一時期収容されていたバラックもあった。当時は大森海岸から木の仮橋一本で結ばれていた。

昭和30年代になって「平和島」の開発は進み、ここに温泉リクリエーション施設ができ、さらに競艇場も出来た。連合軍の捕虜収容所があったのは、競艇所入口付近で、平和観音像が建っている。昭和50年代、大森海岸と「平和島」との間の運河も埋められ、完全に陸地となった。「平和島」ができる以前、大森海岸は、東京屈指の海水浴場であり、料亭が立ち並ぶ歓楽街でもあった。世の中の急変することを”蒼海転じて桑畑”というが、桑畑どころではない。立派な球場ができ、周囲には倉庫群が立ち並んでいる変わりようだ。