ウッフィツィ美術館とは全く違った面で、印象度がひときわ高かったのがサン・マルコ美術館です。
朝8時15分の開館とほぼ同時に入館しました。サン・マルコ教会に隣接し、かつてはドメニカ修道院だったという建物は、中世の建築らしく、中庭を取り巻くように建物が建っています。外界と遮断された旧修道院の中庭に朝日が降り注ぐ空間は、美術館に来たことを忘れさせ、それだけで気持ちを厳粛なものにしてくれます。
建物内には、ここの修道僧であったフラ(ベアート)・アンジェリコとその弟子によるフレスコ画で飾られています。
1階は集会場や食堂に使われていた部屋があり、祭壇画、フレスコ画、板絵が飾ってあります。
圧巻は2階。まずは2階に昇りきったところに現れるアンジェリコの『受胎告知』。1442年頃作成のフレスコ画にしては色がとても綺麗ですので、相当な修復作業があったことを伺わせます。絵全体を覆う美しい色使い、マリアの茫然とした(ように見える)表情、何か反射の材料が画材に混ぜてあるのか光に微妙に反射する天使の羽、見る者を穏やかに、柔らかい気分に満たしてくれます。
『受胎告知』を見て、2階に昇ると、そこには長い廊下を挟んで、全部で40程の四畳一間程の僧坊が並んでおり、各僧坊には聖書の場面から取ったフレスコ画が描かれています。その昔、この僧坊で信者たちは何を思ってこれらの絵を見、何を願い、何を考え、何を祈っていたのか?そんなことを考えるだけで、この21世紀を生きる自分との時間の距離感とともに、同じ絵を見る自分との空間の連続性を感じます。
朝一の見学なので見学者も少なく、廊下は静寂に満ちています。窓からは朝日が差し込み、隣接する通りにバスやオートバイが通る音に満ちているのですが、かえってそのけたたましい音が、廊下の静けさを引き立ててくれるようです。
廊下途中の踊り場のベンチで休んでいたら、隣にスケッチブックを持ったおじさんが座り、ベンチから見える中庭の風景のスケッチを始めました。向かいのベンチでは、警備のお兄さんが、何を考えているのか、正面を見据えて座っています。同じ警備をするならひで一杯のウッフィツィ美術館の警備よりも、この平穏な空間での警備の方がどれほど心安らかな警備ができることかなどと、くだらないことを考えていました。
一通り2階を見た後で、1階に下りると、見学者も大分増えていました。イタリアの高校生の団体が美術の実習でしょうか。スケッチブックを持って、思い思いの場所で、自分の気に入った絵や風景を描いていました。
建物、絵、空気らが全て過去から現在までの歴史という空間の中に溶け込んでいるような錯覚に捕らわれる生きた美術館でした。
朝8時15分の開館とほぼ同時に入館しました。サン・マルコ教会に隣接し、かつてはドメニカ修道院だったという建物は、中世の建築らしく、中庭を取り巻くように建物が建っています。外界と遮断された旧修道院の中庭に朝日が降り注ぐ空間は、美術館に来たことを忘れさせ、それだけで気持ちを厳粛なものにしてくれます。
建物内には、ここの修道僧であったフラ(ベアート)・アンジェリコとその弟子によるフレスコ画で飾られています。
1階は集会場や食堂に使われていた部屋があり、祭壇画、フレスコ画、板絵が飾ってあります。
圧巻は2階。まずは2階に昇りきったところに現れるアンジェリコの『受胎告知』。1442年頃作成のフレスコ画にしては色がとても綺麗ですので、相当な修復作業があったことを伺わせます。絵全体を覆う美しい色使い、マリアの茫然とした(ように見える)表情、何か反射の材料が画材に混ぜてあるのか光に微妙に反射する天使の羽、見る者を穏やかに、柔らかい気分に満たしてくれます。
『受胎告知』を見て、2階に昇ると、そこには長い廊下を挟んで、全部で40程の四畳一間程の僧坊が並んでおり、各僧坊には聖書の場面から取ったフレスコ画が描かれています。その昔、この僧坊で信者たちは何を思ってこれらの絵を見、何を願い、何を考え、何を祈っていたのか?そんなことを考えるだけで、この21世紀を生きる自分との時間の距離感とともに、同じ絵を見る自分との空間の連続性を感じます。
朝一の見学なので見学者も少なく、廊下は静寂に満ちています。窓からは朝日が差し込み、隣接する通りにバスやオートバイが通る音に満ちているのですが、かえってそのけたたましい音が、廊下の静けさを引き立ててくれるようです。
廊下途中の踊り場のベンチで休んでいたら、隣にスケッチブックを持ったおじさんが座り、ベンチから見える中庭の風景のスケッチを始めました。向かいのベンチでは、警備のお兄さんが、何を考えているのか、正面を見据えて座っています。同じ警備をするならひで一杯のウッフィツィ美術館の警備よりも、この平穏な空間での警備の方がどれほど心安らかな警備ができることかなどと、くだらないことを考えていました。
一通り2階を見た後で、1階に下りると、見学者も大分増えていました。イタリアの高校生の団体が美術の実習でしょうか。スケッチブックを持って、思い思いの場所で、自分の気に入った絵や風景を描いていました。
建物、絵、空気らが全て過去から現在までの歴史という空間の中に溶け込んでいるような錯覚に捕らわれる生きた美術館でした。