ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

PTSD対策講座

2011年03月22日 | メッセージ
人吉、唐津に引き続き、
今日も福岡市博多区ボランティアセンターで地震対策心のケア講座をしました。

3月27日日曜日に
「PTSD対策講座~地震後の心のケア実践法」
を無料で開催します。

カウンセラーの私に出来る支援は、
心のケア。
こどもが怖いと泣いたらどうしたら良いか、
など具体的なやり方を実演します。

福岡市博多区博多駅前4-13-8オクターブビル4階

対象は一般市民どなたでも。

お申し込みが必要です。

NPO法人再決断カウンセリングジャパン
info@saiketsudan.jp

定員50名です。

写真は、私の母が描いた絵。
テレビの映像を見て、

この「焼けの原」を思い出した。

被災地の山形県豊後高田市の映像。

津波の爪痕。

瓦礫の山が大きくて

歩く人が小さく見える。

悲惨な戦争の後みたいと思いました。


母が描いた原爆投下後の長崎。

母は、14歳で被爆し
爆心地近くの小学校に設けられた工場で
学徒動員で働く姉を見つけようと

この焼けの原を歩いた。

火傷で赤くただれた人々が
「水、水」と足元に縋り付く。

気味悪くなった自分を責めていた。

あの苦しむ人々に
責めて水をあげればよかった。
「水をあげたら死ぬ」
と聞いてあげなかったことを悔やんでいた。

毎夏、幼い私の手を引き
平和祈念公園にお参りに行ったが

人に原爆については
話すことはあまりなかった。


が、夏暑くなってくると
母は、夢で夜な夜なうなされていた。

幼い私は、真夜中にPTSD症状を見て、怖いと感じた。
何かしてあげたいと思った。

平和教育を受けて、怖いと感じてはいけないと思った。

写真の絵を描いたのは
母が60歳を過ぎて、トラウマの50年後のこと。

NHKのインタビューに答えたのは
60年経っていたと思う。

言葉にするのも辛かっただろう…。


被災者支援の強い気持ちは、
やはり、私自身の怖い体験と母を助けたい思いから来ていると再認した。

トラウマ後のストレス障害
=危うく死ぬまで、または重症を追うような出来事の後の不安や不眠なども

一ヶ月以上続く場合はPTSDと呼ぶ。

今回の震災も長い期間での心のケアを覚悟しなければいけない。
コメント
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