《愛の反対は 憎しみではなく 無関心です》
マザーテレサの言葉。
《愛》の反対は、《憎しみ》と言われるけれど
マザーテレサが言うように
《愛》の反対は、《無関心》だと
私も、本当にそう思います。
《憎しみ》を抱いている相手には、元々
《愛》する感情があり、
《愛》する感情があるから、
《愛》して欲しいとも願う。
欲したにも関わらず、相手から《愛》してもらえない時、
《愛》が変形して《憎しみ》に変わる。
怒りだけでなく、深い悲しみと一緒に閉じ込められた感情が《憎しみ》。
一方、《愛》する人から《愛》してもらえないのを《無関心》という。
だから、愛の反対は 憎しみではなく 無関心。
《無関心》は、苦し過ぎるから、まだ怒られた方がマシ。
暴れて怒られた方がマシ。
弟や妹をいじめて怒られた方がマシ。
病気して関心を持ってもらう方がマシ。
だって、自分がここに居ることが確認できるから。
《無関心》では、自分の存在をも確認できない。
「日めくり マザーテレサのことば」
女子パウロ会より引用
マザーテレサの言葉。
《愛》の反対は、《憎しみ》と言われるけれど
マザーテレサが言うように
《愛》の反対は、《無関心》だと
私も、本当にそう思います。
《憎しみ》を抱いている相手には、元々
《愛》する感情があり、
《愛》する感情があるから、
《愛》して欲しいとも願う。
欲したにも関わらず、相手から《愛》してもらえない時、
《愛》が変形して《憎しみ》に変わる。
怒りだけでなく、深い悲しみと一緒に閉じ込められた感情が《憎しみ》。
一方、《愛》する人から《愛》してもらえないのを《無関心》という。
だから、愛の反対は 憎しみではなく 無関心。
《無関心》は、苦し過ぎるから、まだ怒られた方がマシ。
暴れて怒られた方がマシ。
弟や妹をいじめて怒られた方がマシ。
病気して関心を持ってもらう方がマシ。
だって、自分がここに居ることが確認できるから。
《無関心》では、自分の存在をも確認できない。
「日めくり マザーテレサのことば」
女子パウロ会より引用