ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

《依存か甘えか》

2016年01月06日 | こころ
《依存か甘えか》
「依存」か「甘え」かの見極めが難しいと言われます。

そこで、今日は、《依存と甘えの違い》について考えます。

熱烈な恋愛をして
「もう、この人が居ないと生きていけない」
と、思ったとしたら、
ひょっとしたら、お互いに依存しているかもしれません。

お互いに依存し合う関係は、親子関係・夫婦で、良く見られます。


お互いに依存し合う関係のことを《共依存》と、言います。

小さい頃の親子関係では、健全ですが、
子どもが自分で歩き、しゃべり、色んなことが出来るようになるにつれ、次第に手を放して行き

子どもが、励まし、支援を求めている時以外は、
親がいかに手を出さずに、励まし、見守っていくかが大事になってきます。


《共依存》している時、相手の面倒を看ている側、つまり与える側は、
一見「相手のため」に見えますが、

実は「自分が相手の面倒看ていることで自分の存在価値を見出しているという自己満足のため」であり、
過剰なコントロールで、様々な歪みを作り出します。

人から面倒看てもらっているばかりの人が「依存」していることは、分かりやすいです。

ところが、面倒看てもらうばかりの人も、
与えることに「依存」しているのです。

これは、本人にも自覚しにくいものです。


共依存の典型的な事例は、
アルコール依存症の夫を妻が
「この人は、私がいないとダメなんです」
と言って、甲斐甲斐しく夫の面倒を看るケースです。

世話をする側は、相手を依存させ、
生活力を奪って、自立を妨げ、支配しているのです。

与えるばかりで、心が疲れ果てぼろぼろになりながらも、
相手を支配する現在の状態を捨てられないのです。
本人は、無自覚かもしれませんが、これもひとつの依存です。

一方は、与えてくれる相手に依存して

もう一方は、受け取ってくれる相手に依存する
いう形で

お互いに依存し合っているので、《共依存》と言います。


与える側は、
・救済者の立場で、相手を無力と見なす
・矛盾するメッセージ、ダブルバインドでコントロール
・自分に対して、愛情を受け取ることを禁止している
・愛情を受け取れないので満たされない
・次第に心が疲弊してしまい、犠牲者になる

逆に、受け取る側は
・犠牲者の立場で、自分を無力と見なす
・甘えたい
・自分はラクしたい
・与えると、損した気分
・問題解決を自分で出来る自信がない
・次第に自由がなくなり、不安が大きくなる

という心理。

一方、《甘え》とは、

自分で問題解決を試みるが、
どうしても困った時には甘えられる。弱音が吐ける。
人に頼る。
愛情や思いやりを受け取れる。

相手が困った時には、勇気付け、手を差し伸べ、甘えさせてあげられる。弱音を聴いて慰め、支援してあげられる。
頼られることが出来る。
愛情を与えることが出来る。

親子の場合は、大人が与える側ですが、

大人同士の場合、特に夫婦の場合は、

健全な関係で、お互いが配慮し、甘えられる関係でいるためには、

二人が共に精神的に安定していて
自立していることが前提となります。世界的に著名な精神科医の土居健郎先生は、1950年代の米国留学時に受けたカルチャーショックをもとに
日本を把握しようと試みた本「甘えと構造」で、
日本語の「甘え」に該当する言葉が他言語に見つからないことに着目しました。この日本にしかない《甘え》という言葉は、

後の心理学者によると、
欧米で表現すると《愛》という言葉に相当すると言われます。

確かに《甘えたい》は、《依存したい》というよりも《愛されたい》と表現すると
ピッタリくる。

確かに、いくつになっても、《愛》は、欲しいものですよね。
コメント
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