昨夜は「用海将棋会」の例会日。
強烈に寒かったが歩いて行った。少しでも運動になるかと。
先ず子どもの部を指導してから二階の大人の部へ。
そこでKさん(二、三段ぐらい?)と対局。
一戦目は序盤で優勢になり完勝。
二戦目はこちらが序盤で失敗して劣勢に。
わたし受けは苦にならないので粘っているうちに徐々にややこしくなり、終盤は一手争いに。
で、必死をかけて勝ちかと思ったら、必死をかけるために手放した銀が相手の持ち駒になり、こちらに即詰めが生じているのを発見。相手の考慮中に「負けました」と言ってしまった。相手は「どうして?」と聞く。そこで、こうして王手で竜を捨てられて…と手順を言うと、「なるほど」と。
でもこれ、わたしのマナー違反ですよね。指した以上は相手の次の手を待ってから「負けました」と投了すべき。
すみませんでした。
原さんの話。
パチンコ屋で友達になった奴がおってな。そいつ顔色が悪なってきたから「いっぺん、病院で診てもらえよ」てゆうてたんやけど「ちょっと胃が痛いだけ。薬のんどく」ゆうてそのままにしてたんや。そしたら半年ほどして死んでしもた。俺、葬式にも行ってやったんや。ほんで、そのオカンや。そのオカンもパチンコに来よったんやけど、そいつが死んでからは4円パチンコしとるんや。元々一円パチンコやったのにな。そんなことしてたら毎日何万円も要るがな。あいつの保険金が入ったんやな。辛い気持を紛らすためかも知れんけど、それはアカンやろ。ほんで俺、そのオカンに説教したった。「そんなことしてたらアイツ喜ばんで。エエ加減にしとき」ゆうて。そしてらそのオカン「スンマセン」ゆうて、それから来んようになった。
と、こんな話である。ゴンタの親分みたいな原さん、たまにはいいことするのだ。いやもとへ。彼はいつもイイコトをしている。
昨日、初めてのお客様が。
神戸の詩人江口節さんです。
大阪での詩の教室からの帰り。
教室では田中冬二を講義してきたとおっしゃる。
田中冬二ならうちに直筆の手紙がありますよと、宮崎修二朗翁宛のそれを見せてあげた。
で江口さんだが、先日、足立巻一先生の色紙「人の世やちまた」を送ってきて下さったのだった。
これは元々、大阪の詩人、島田陽子さんが所有しておられたもの。
あ、島田さんですが、この人は知る人ぞ知る、というよりも誰もが知っている、あの三波春夫さんが歌って大ヒットした「世界の国からこんにちは」の作詞者です。「♪ こんにちは、♪ こんにちは」と大阪万博で歌われたあの歌の。
江口さんはその島田さんの「叢生」でともに長く詩を書いて来られた人。
で、この色紙は島田さんの遺品として形見分けの形で頂かれたのだった。
でも、足立先生に縁の深い人にと以前から思っていて、今回わたしのところへと。
このあたりのこと、いずれもっと詳しくどこかに書く予定にしてます。
うちには足立先生の書が他にもある。
この左の「泉よ…」は数奇な運命を経て、奇跡のようにここにある。
このこと以前「神戸っ子」に「アルル」と題して上下二回に詳しく書きました。
その隣、二枚の色紙は、先年亡くなられた明石の書家、村上翔雲さんが所持しておられたもの。
やはりこれも足立先生の縁のある人にと、書家、六車明峰さんを通して、翔雲さんのご息女からわたしへ提供されたもの。
ありがたいことです。
やはりこうして「喫茶・輪」に飾って多くの人に見て頂けるという条件があればこそという気がします。個人の家ならこうはいかないでしょうね。
足立先生の文学に魅せられた人、どうぞお越しください。
先生の温かな息吹を感じられます。
あ、そうだ、うちにはもう一点足立先生の書がある。といっても拓本なのだが、それは宮崎翁が「あまりいいものではないですね」とおっしゃるので飾っていません。播磨中央公園にある足立先生の詩碑から採ったものだが、宮崎翁の仰るには、「多分もとの字を拡大コピーして碑にしたものでしょう。足立さんの個性あるスピード感溢れた筆跡が、なんか生命力をなくしている…」とのことで。