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今日の「神戸新聞文芸」欄。
特選作「自分の名前」がいいですねえ。
親につけてもらった名前を「タイムカプセル」と比喩してるのに感心しました。
「単純の純」が「純粋の純」になってゆく過程が見事。
作者の大窪純子さんはこの欄でよく見るお名前。ベテランですね。
川柳の部の入選作、「マンションに夫婦(ふたり)ぼっちの窓がある」。お題は「夫婦」。
中野文擴さんの作品です。この人もベテラン。上手いものです。
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今朝の神戸新聞にもうひとつ注目のコラム。
「小さな目」です。記事拝借お許しを。
この欄、いつも見ているのですが、正直いいのがあまりありません。
でも今朝のこれは発見があっていいですねえ。言葉も整理されていて堀江さんは頭のいい子なのでしょうね。
この内容にはわたしも驚きました。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
この詩には二度泣かされました。
以倉紘平さんの「少年の最後の言葉」です。
先ず黙読で泣けました。
そして、
仕事から帰って来た妻に読み語ってやりました。「途中で泣いてしまうかもしれんけど」と言って。
ということで、朗読でもう一度泣けました。
以倉さんの散文詩には参ってしまいます。
読み終えるまでにあと何度泣かされるのでしょうか?
因みに以倉さんは杉山平一さんがお亡くなりになったあと、「ホテルグランヴィア大阪」で2012年10月21日に行われた「杉山平一さんを偲ぶ会」で司会をされた人です。
なんども泣かされる本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
「最後の授業」(『地球の水辺』から)。
最後の授業は
黒板をていねいに拭くことから始めたい
深みます宇宙の闇のような黒板
ぼくは黒板の下方に端から端へ直線を引きたい
――この月面の地表の上に
諸君 ひとつの楕円を目に浮かべたまえ
粉をふいたような
さっくりと割れた
粉ふき芋みたいな 鮮やかな球形を
ぼくは黒板の隅から隅へ一本の対角線を引きたい
それは宇宙の船から眺めた地球の弧だ
薄い大気の層が闇にとけているのがみえる
――諸君はこの地表に生まれて二十年にみたず
ぼくがここに滞在を許されるのはわずか二十年余に過ぎない
ぼくは深みます黒板に黄色のチョークで斜線を引きたい
流星のようにサッと
宇宙の永遠の闇から闇へ消え去る閃光
諸君 最後の日にも
この閃光の前に
ぼくがただ呆然と立ちつくすことを黙過せよ
――われらが人生の時間はかくのごとく束の間である
何ごとにも心をつくすこと
人間にできることは
心づくしの他に何もない
別れに臨んでぼくは願う
――深みます天の黒板に
各自の生活が
かがやいてあるように
教師からこんなはなむけの言葉をもらった生徒は一生忘れないでしょうね。
わたしもこんな教師の教えを受けたかった。残念ながらわたしは定時制高校にも通えなかったのだが。
『以倉紘平全詩集』を読んでいるのですが。
三分の一ほど読んだところです。
やっぱりいいです。
そこで、ふと「年譜」のページを読もうと思いました。
巻末に30ページほど載っています。
これが素晴らしいです。
単なる箇条書きとは違って、自伝のような趣き。
身近に思えたのは「将棋を指す」ということが度々出てきたり。
でもやっぱり、その経歴が凄いなと思いました。これは本物の詩人だわと。
興味深かったのは、1964年、24歳の時、「中学校校歌の作詞作曲のため、中村茂隆氏と養父市の大屋中学校を訪問する。」というもの。
大屋町の明延は、昔、父親の弟が明延鉱山の仕事をしておられました。一円電車で有名な所です。二回ほど行ったことがありましたが、明延はもう昔に閉山になったと思います。
ほかにもわたしにとっても懐かしい話がいっぱい出て来て以倉さんを身近に感じてしまいました。
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『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
今月の原稿を二本送り終えて、やっと気になっていた本をゆっくり読書。
期待に違わず、やはりいい。
以倉さんの詩は心の底に沈みこむ感動があります。特に散文詩。
また、巻末の「年譜」を見ていてびっくり。
1985年12月の項に、《『日の門』第一回福田正夫賞受賞。選考委員長は井上靖氏。(略)詩集の受賞はこれが初めて。詩を書き始めたきっかけが、井上靖『北国』であったから、その因縁が嬉しかった。》
この後、井上邸を訪れた話も興味深いが、わたしは『北国』にびっくり。
わたしも若い日にこの『北国』に感動したのでした。その詩集は昨年お亡くなりになった西本絋二さんからプレゼントされたもの。だからといってわたしは、それで詩を書くようになったわけではありません。詩を書き始めたのはもっと後でした。
いずれにしても、この『以倉紘平全詩集』、読み進めるのが大いに楽しみです。
先日、以倉紘平氏の全詩集のことを書きました。
このところ少し忙しくしていて、まだページを開くことが出来ていません。
以倉氏が主催する詩誌『アリゼ』224号です。
その中から以倉氏の詩を紹介します。「ランドセルの音」です。
きめ細かく描写してゆく手法は氏の特徴でしょうか。しみじみと読ませられます。最終連、少し淋しい気がしますが。
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
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今日届いたハガキに驚き。
鳥取の詩人、手皮小四郎さんが昨年9月16日にお亡くなりになっていたと夫人から。
手皮さんとは電話で一度お話しをしたことはありましたが、お会いしたことはなく書簡で親しくご交誼を頂いていたのでした。
わたしと同い年でもあり、共感することも多かったのです。
最後に頂いた書簡は、昨年8月5日のハガキでした。
拙著『湯気の向こうから』への感想文。
よほど体調が良くなかったのでしょう。本来の筆跡より大分衰えておられます。修正箇所もいっぱいあります。そんな中でお便りをくださったのでした。
ああ、手皮さん、一度お会いしたかったです。
ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。