「宮っ子」9,10月号が出ています。
わたしの担当の「わが町この人あり」はコチラからどうぞ。↓
もう一つ見ていただきたい記事。「どなたか将棋のお相手を」です。
http://miyakko.nishi.or.jp/MIYAKKO-SYSTEM/Found_Page?find_year=2012&gou=318&areacd=0&page=10
よろしくお願いいたします。
三木市からご来店。
山崎啓治さんご夫婦。
この度、啓治さんが『神様の憂うつ』という詩集を出版されて、携えて来て下さったのだ。
実は昨秋、うちの店で催した「詩書展」にお越し頂いたのでした。その時、拙詩集『コーヒーカップの耳』と『喫茶・輪』をお買い上げいただき、興味を持って頂いたというわけ。
うれしいですねえ。
この啓治さん、大阪文学学校の生徒さんである。そこで詩を勉強しておられる。もう6年になるのだと。
以前の経歴は教師人生。校長、教育長と勤め上げ、後の人生を詩作にというわけだ。異色の人と言えるだろう。
詩集を開くとこんな栞が。
そしてあとがきはこうです。
グダグダと書かずにオシャレだ。そして正直。
この人とお話していると、心癒される思いがする。
校長、教育長を務めた人とは思えない。笑顔が明るく実にあったかい雰囲気をお持ち。子どもには人気があっただろうな、と思わせる。
詩はこれから読ませていただくが、ちょっとパラパラと読んだところでは、少し饒舌。しかしリズムがあって、ユーモアが滲んでいて、饒舌が良い個性になっていると感じた。
作品数は多い。238ページに75作品。しかも先に書いたように饒舌なのでたっぷりとある。いかにも山崎啓治ワールドである。じっくりと読ませてもらうのが楽しみだ。
そしてそして、この詩集には付録が付いてきた。
丹精込められたお野菜。
大きなゴーヤ、立派なナスビ、ソーメンカボチャ、そして万願寺唐辛子。
なんとも味わい深いお二人でした。
地蔵盆祭りの反省会を今夜「輪」で催しました。
食事は、お供えのお下がりの野菜などを使って、うちの家内が中心になり調理しました。
都合で参加できなかった人も何人かあります。
会計報告と来年に向けての話し合いが行われました。
各地で地蔵盆の行事が縮小、あるいは廃止されて行く中で、この「小墓圓満地蔵尊」はなんとか続けて行きたいものだと思っています。
子どもたちの産土(うぶすな)の思い出の行事としても貴重なものだと思います。
地蔵盆は、御詠歌の鐘の音とともに、なにか哀愁を帯びたお祭りです。夏が去りゆく季節にあるからでしょうか。
「啄木の妹・下」の原稿だが、仕上がった後に書き足しを余儀なくされていた。
しかし、地蔵盆があって、時間がままならず草稿のままだった。随分不備があるのを分かっていながら。
少々焦り気味だったが、祭りの後始末もほぼ終了し、やっと原稿に手をつけることが出来た。
今回、10月号の原稿は、編集長の許可を得て2ページ増やしてもらい、原稿用紙にして、12枚半ぐらい。
資料を読み込んで書かねばならないので、ちょっと大変でした。
が、まだ決定稿ではありません。もう少し…。
神戸新聞社に、わたしの先のページをメール送信致しました。
すると、誠実な返事がありました。
新聞社さんからこのような誠実な返事を頂くことはあまりありませんので、無断ではありますがここに載せます。
メールありがとうございました。
弊紙の阪神版にご注目いただき、小さな目に対して
率直なご意見を寄せていただいたことに感謝申し上げます。
この欄は、小学生(主に低学年)の詩を掲載する長年のコーナーで
基本的には、阪神エリア全市町、全小学校を対象にしています。
紙面でも作品募集をしております。
専門家などによる作品選考はせず、送っていただき、確認が取れれば
原則掲載します。
ご存じのように伊丹・有岡小学校の作品が続いておりますが、
学校からまとまって送っていただいたものを、順次掲載しています。
こちらの趣旨は、紙面のスペースやニュースとのバランスを考えながら
地域の子どもたちの作品を紹介していきたいということです。
現在、作品が1小学校に偏ってしまっている実態や、中身の精査、
あるいはそもそも詩に特化した作品掲載が現在の小学校の授業内容に
あっているのか、I村様のご指摘を参考にさせていただき、
私どもも再検討をしたいと思います。
繰り返すようですが、弊紙阪神版では、地域の子どもたちの話題を
丁寧に、幅広く紹介したいと考えております。
また、何か情報がございましたら、お寄せください。
今後ともよろしくお願いいたします。
神戸新聞阪神総局 編集主任 T永K子
どうでしょうか、これで善処されるでしょうか。
この春で神戸新聞の「小さな目」欄は終了したと思っていた。
しかし最近また復活している。
そしてやっぱりダメな作品を載せている。
削除しました。
以前からずっとこんな調子のばっかり。各行の頭3字の並びなど(ふしぎ、るもんの繰り返しも)の面白さはありますが。
まるで瑞々しさがない。手触り感がない。無理やり作った感じ。
人真似ばかりだ。
またA小学校の子供の作品だ。前からここばっかり。
新聞社からの丸投げですね。
そして、このA小学校の指導者がダメなんですね。
とにかく、書かせているだけ。
的確な指導がなされていない。
新聞社は紙面のカット代わりに使っている。
被害者は子どもです。
今は喜んでいるかもしれないけれど、やがて大人になって、読書をして、ある程度詩が解ってきたら、恥ずかしいのでは?
「そんなに偉そうに言うお前は何者?」と言われれば、
「はい、なんでもない喫茶店のオヤジです。すみません」
こんな本を買いました。ネットで一円で出てたので。但し、送料等250円、計251円です。
『田辺写真館が見た”昭和”』(田辺聖子・文藝春秋 2005年刊)です。
元々は2003年から2004年にかけて月刊『文藝春秋』に連載されたもの。
その時、話題になっていて読みたいと思いながらまだでした。
実はこの写真館、大阪福島にあったのでした。そこは今、わたしの孫、滉と咲友が住む町です。氏神の福島天神社も同じです。で、興味があったのです。
ページを開くと、セピア色の写真とともに聖子さんの心温まる文章。そして添えられた川柳がいい。川柳は聖子さんのものではなく、岸本水府や麻生路郎など当時の有名柳人たち。
いまのおちゃらけ川柳とは大違い。サラリと心深くに染み入ります。
「酒買いに行かされたのも佳き日なり」岸本水府
詩誌「火曜日」111号が出ました。
わたしは相変わらず孫詩を書いています。もう何年も。
一流の詩人は孫詩を書きません。
どうしても甘くなってしまうからでしょうか。
例外として、あの金子光晴が孫詩集『若葉のうた』を出して話題になったことがあります。
でも、金子も「孫詩を書くようになってしまったか」と当時批判されたとのこと。
詩人として立とうとすれば孫詩を書いてはダメなんですね。
しかし、私は書きます。こんなに素晴らしい素材はありません。
「一度顔をお見せください」と先日ハガキを出したのだが、今日、早速やって来られました。
鈴木絹代さんのご主人、鈴木慎梧さんです。
聞けば、絹代さんが亡くなられて3年半になるのだと。
前には、絹代さんの病癒えてお二人揃って来て下さったのだった。
そしてまた来ますと言って帰られたのだった。
が、その後、『ありがとう』という闘病の詩集を出されて間もなく旅立たれたのだった。
慎梧さんは今日、絹代さんの最期の様子などたくさんお話し下さいました。
そして、クリスチャンとしての心の話なども。
そう、彼は根っからのクリスチャンです。
関学の神学部を出られ、伝道師になられ、しかし思うところあって、タクシーの運転手になり、タクシーの中が教会なのだとの信念をお持ちの人なのです。
わたしは、なぜか毛色の変わった人との交流があります。幸せなことだと思います。
ちなみに彼、帰りに、隣りのお地蔵さんにお参りになりました。そういう人です。
○
慎梧さんから一冊の詩集を頂いた。慎梧さん手作りの『聞いて下さいますか』。
主に絹代さんが亡くなられてからのもの、約50篇の詩である。
その「あとがき」の一部。
100歳の日野原重明医師の著作『メメント・モリ』から一部「今日も明日も、与えられた命を感謝で生き、最後に《ありがとう》の言葉と共にこの世を去ることができたら、それは最高の行き方です」を引き、
「ぼくもそのように生きたいと思う。絹代はそのような人だった。一番身近にそんな人がいてくれたのだから、ぼくは世界一の幸せ者です。これから絹代の真似をして、生きていきたいと思う。」