喫茶 輪

コーヒーカップの耳

先山鐘銘

2025-01-07 10:14:31 | 宮崎修二朗翁

『ひょうごの野の書』ですが。

「先山鐘銘」のページです。

この村上翔雲さんの文章を読むと、拓本取りの苦労が解るというものです。

そしてこの本の値打ちも。

村上翔雲師と宮崎修二朗翁のお二人は、二年間かけて兵庫県を駆けずり回ってこの本を成されたのでした。

今なら作ることは誰も不可能でしょう。
 
村上翔雲師による「あとがき」の中に、宮崎翁の言葉が引用されています。
 
「君たち書家が、今やらなくて、一体だれがやるのか。開発という名の暴力と、人間モドキどもの心ない仕わざによって、道しるべも地蔵さんも、みんな姿を消していってるではないか。今こそ……」
 
ということでこの貴重な本は成ったのでした。

 

どの拓本も宮崎修二朗翁が翔雲師と共に採拓しておられますが、苦労が忍ばれます。

わたしも一度、翁の採拓するところを見せてもらったことがありますが、根気のいる仕事でした。

因みにその拓本は、足立巻一先生を語る講演で使われた後にわたしに授けられ、今も書斎に飾っています。

播磨中央公園に建つ足立巻一先生の文学碑からのもの。

 

 

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N蔦さんからの便り

2024-12-28 12:28:15 | 宮崎修二朗翁
毛筆のスゴい手紙が届きました。
 
 
二度読み直して、やっと読み取れました。
 
数少なくなった宮崎翁に繋がる人からです。
 
興味深いことが書かれています。
 
 
レターパックに同封されていたものです。
 
神戸市消防局の広報誌「雪」です。352号と411号。
二年ほど前に終刊しましたが、老舗のタウン誌でした。
 
その411号(1985年9月号)の目次です。
 
出てる名前が興味深すぎます。
宮崎修二朗、桑島玄二、浅田修一、有井基、高橋孟、松岡寛一、山下栄市、伊藤太一など。
足立巻一先生がお亡くなりになった直後の号。
 
352号には、宮崎修二朗、北川弘絵、足立巻一、桑島玄二、浅田修一、有井基、松岡寛一ほか、気になる人いっぱい。
 
編集長は窪田哲夫さんがなさってたのかな?
もちろん宮崎翁の手が入ってるのでしょうが内容が充実しすぎです。
 
正月にゆっくりと読ませて頂こう。
 
正月にゆっくりと読ませて頂こう。
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「触媒の人」

2024-03-30 09:28:35 | 宮崎修二朗翁
今朝の神戸新聞文化欄にこんな記事が。

「自らを触媒に」だって。
TBSの「サンデーモーニング」のキャスターさんだった橋谷能理子さんがブックカフェをオープンしたという記事。
「本」と化学の言葉「触媒」を関連付けて使っておられる。
それ、どこかで聞いたことがあるぞ。
そうだ、『触媒のうた』という本だ。

宮崎修二朗翁こそが「触媒の人」なのです。
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報徳学園の校歌

2024-03-28 16:37:03 | 宮崎修二朗翁
ちょっとポストまで。
曇り空から、小さな雨粒が。
近くの甲子園球場では高校野球をやってます。
報徳学園と桐蔭高校。
報徳の校歌は富田砕花さんの作詞です。
報徳が出場した時は楽しそうにテレビを見ておられたと宮崎修二朗先生からお聞きしました。

今日の六湛寺川。
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『ひょうご歌ごよみ』で遅すぎる発見

2024-03-03 08:45:15 | 宮崎修二朗翁
昨日の「みどり文庫」さんの記事。

掘り出し物があったと書きました。
その本はこれです。

宮崎修二朗翁の『ひょうご歌ごよみ』です。

これはわたしが所持するものですが、本の扉です。

この富田砕花さんの有名な短歌「しんとろり」の書は肉筆なのです。
榊莫山と並び称された明石の書家、村上翔雲師の手になるもの。

宮崎翁への友情で書かれたもの。3000枚、大変だったということをわたしは聞いています。
このページを切り取って額装すれば立派な書作品になります。
付けられていた値段はそれを考慮されていないものでした。
棚に戻しておきましたので、値段変わっていなければ早い者勝ちですよ。

ところで今朝、この本の田中冬二の項を見ていてわたしは「アッ」と言いました。

城崎温泉の田中冬二の詩碑のこと。「清嵐亭の前に」と書かれている。
あの苦労は何だったんだ?ということです。
『KOBECCO』2月号のわたしのエッセイです。その詩碑の事を書いてます。

『完本・コーヒーカップの耳」 小さな火に見合う小さな湯気が一日中上がっている
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玉造稲荷神社の秋田実の碑がテレビに

2024-02-21 19:25:03 | 宮崎修二朗翁
何げなくテレビを見ていたら、大阪の玉造稲荷神社が映った。
何年か前に取材に行ったことがあります。妻に付き合ってもらって。
漫才作家、秋田実の文学碑があるのです。
秋田は宮崎翁が若き日にお世話になった人。
こいちゃんの後ろに豊臣秀頼の大きな銅像。そしてその右斜め下に小さな碑が映ってます。それが秋田實の碑。





原稿を書いて短歌誌『六甲』に載せました。
今調べてみると、2019年1月号でした。
近々出す本には、この随筆も載せます。
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「拝啓 時実新子樣」

2024-01-26 16:20:40 | 宮崎修二朗翁
前のブログに「火曜日のK」さんからコメントをいただきました。
詳しく読んでくださってありがとうございます。
それに関連して、有井基さんによる時実新子さんへのメッセージを上げます。

宮崎翁の博覧強記ぶりが分かります。
翁の書斎には辞典系の本が百冊以上あったのを思い起こします。
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回生病院の文人たち

2024-01-25 16:37:34 | 宮崎修二朗翁
探し物をしていて、そのものは見つからず、以前探していて見つからなかったものが見つかるということはよくある話で、
ところが今日は、探していたものが見つかり、前に見つからなかったものも出てきた。
思いがけず出てきたのはこれ。



戦後、間もない頃の阪神間の著名文人たちの写真。
宮崎翁からわたしに託されたものである。
場所は夙川尻の回生病院の庭での酒盛り風景など。
写っているのは、富田砕花、田村孝之介、安西冬衛、大澤寿人、牧嗣人、小野十三郎、宮崎修二朗など。
この時のことは拙著『触媒のうた』に載せてます。

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坂野という人

2024-01-14 08:45:51 | 宮崎修二朗翁
昨日書いたS野訓子さんですが、坂野さんです。
わたしはまた、掛け替えのない人を一人失いました。
いつも陰から応援して下さっていました。
わたしの著書を何冊も購入して知人に配って下さったりと。
ご自分はちっとも表に出ないで。
もの書く力はありながら、自著はお持ちではありませんでした。
わたしの知る限りにおいてですが。
唯一奥付に名前が上がっているのが、『翻刻 播磨奇人伝』。



宮崎修二朗翁企画の本です。
解読 坂野訓子とあります。
坂野さんは古文書の勉強もなさっていたのです。
わたしも助けてもらったことがありました。

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S野さんが

2024-01-13 21:14:23 | 宮崎修二朗翁
今日、神戸文学館でお会いしたF永さんからS野さんがお亡くなりになったと聞いた。
ショックが大きすぎる。
素晴らしい人格者。それを全く表に出されない。
これほど無私の人をわたしはほかに知らない。
宮崎修二朗先生の秘書の役割をずっとされていた。
先生を心から尊敬し、尽くしておられた。
黒子に徹しておられた。
あんなことは誰もできない。
わたしのことも、ずっと支持してくださった。
いつもわたしをおだててくださった。
いつも陰から支えてくださった。
「輪」へも何度ご来店下さったかしれない。
数十回いや、もっと多く。
知識も豊富だったがおくびにも出されない。
書く力も持っておられたが、決してひけらかさない。
見事な人だった。
その人から今年頂いた年賀状を見て、
わたしは「ただならぬ」ものを感じた。

字も衰えておられる。
一度電話しなければと思っていたところだった。
最後にお会いしたのは、昨年7月、宮崎翁のお墓参りの時。
仲間と一緒に芦屋の霊園にお参りし、そのあと、西宮でみんなで食事をしたのだった。
すでにあのころしんどかったのに違いない。

わたしを見守ってくださっていた人達が次々と旅立たれてしまう。
ああ、辛い。
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山田太一と頭木弘樹さん

2023-12-05 08:49:15 | 宮崎修二朗翁
今朝の神戸新聞より。

頭木弘樹さんが先日逝去した山田太一さんのことを書いておられる。
信奉した山田さんの晩年に毎週話を聞きに通い記録したというのだ。
山田太一全作品についてのインタビューを試みたと。
そしてこの10月に終えたと。
山田さんが公にしていない、貴重な話の記録。
これは多少わたしの自慢になるかもしれないが、わたしがしたことと通ずるものがあるような気がする。
わたしは、兵庫県の文化芸術の理解者であり、陰から表から支援した宮崎修二朗翁の話を、頭木氏と同じように聞き取り記録した。
最初は私の店に来てくださっての収録。
高齢になられてお出でになれなくなってからは、わたしの方から翁の書斎に伺い、施設に入られてからはそこへお伺いして記録を続けた。
それは拙著『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター・2017年刊)に結実し、貴重な秘話を残すことが出来たのだった。


山田太一さんは全国区の人、宮崎修二朗翁は、自己宣伝を極度に嫌ったこともあり、今では知る人ぞ知る人となっている。
その違いはあるが、頭木さんとわたしは、その思いに通じるところがあると自負している。
自己宣伝を嫌った宮崎先生、お許しください。頭木さんにかこつけて、ちょっと宣伝してしまいました。

あ、そうだ。頭木さんのことはこのブログに書いたことがある。2021年5月のこと。
『食べることと出すこと』という本を読んだ時だった。


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名士からのハガキ二枚

2023-09-28 17:23:44 | 宮崎修二朗翁
古い書簡を始末していたら、こんな貴重なハガキもありました。二枚です…

宮崎修二朗翁からのもの。
消印は2003年9月30日。丁度20年前だ。東京の杉並局。
わたしと妻宛て。
《28日大きなうねりの中を八丈島に着きレンタカーで島内一周しましたが、さしたることもなし。(略)これでは島送りの流人同然となるオソレありと、ヒコーキで羽田に舞い戻りました。(略)》
お元気だったんですね。

もう一枚のハガキ。

小林久盛先生からのもの。
消印は2003年10月22日。西宮局。
《冠省 お元気の様子。うれしい。 そして、相変らず 創造的諸活動をやっていられる事も嬉しい。 用海の片田舎の様なところに「輪」が目ばえ、大きな市民文化の「味」になることを祈っている。 奥様にもよろしく。》
久盛先生は、がん光免疫療法で国際的に有名な小林久隆博士のご尊父。
もしも今ご健在ならどれほど喜ばれるだろうか。

二枚のハガキ、どちらも味のある文章。そして字が個性的。
しかも達筆。真似できません。お二人ともただものではありませんでした。
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新聞記者さんは

2023-07-30 14:47:36 | 宮崎修二朗翁
本箱を触っていたら出てきた本。
いつからかは分からないが、宮崎翁にお借りしたままになっていたのだろう。



『名文どろぼう』(竹内正明著・文春新書・2010年刊)。
カバーに書かれた宮崎翁の字が懐かしい。
そして2カ所に書かれた覚書のような文。
←クリック。
《ファドは終点春寒の駅》 これは俳句ですね。誰の俳句でしょうか?

そして、
《私は幸運にすぎる人生にめぐまれた。父母の願いを私は果たしたのか?》
これは誰の言葉だろうか宮崎翁の言葉だろうか?
この本と関連があるのだろうか?
そんなことを考えながら読んでいる。
すると、こんなページがあった。
←クリック。
《新聞社とは(略)出世コースから外れて記事を書き続ける者を幸せとみなす空気が伝統として残っている。》
これを読んで思い出した。宮崎翁が言っておられたことを。
「部長になったんですけどね、おもしろくなくて、やはり外を走り回る方が良くて、元に戻してもらいました」と。
翁ならいかにもの話です。
そしてこのページの後に、高島俊男さんの話が出てきました。
先年お亡くなりになりましたが、宮崎翁と「喫茶輪」においでくださいました。
妻が作った握り飯を「うまいうまい」と言っておられました。
もう一度お見えになった時は鈴木漠さんもご一緒でした。
写真もどこかにあるはずです。

追記
  写真、見つかりました。2009年のことでした。

左から高島さん、宮崎翁、漠さん。


わたし左。右、高島さん。




『触媒のうた』 文学好き、必読の書

『コーヒーカップの耳』 人間好き、必読の書。



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初山滋だ

2023-06-22 17:36:00 | 宮崎修二朗翁
『ありとリボン』を読んでいるのだが、
驚きがいっぱい。
いいなあ!と思ったページに付箋を挟んでいるのだが、まだ半分も読まないうちにいっぱいになってしまった。



みんないいから、ちょっと困る。

そして作品以外に驚くことがいくつか。
その一つが表紙絵。
今回の新版の装幀は森本良成さんだが、(初版アレンジ)と書いてある。
何をアレンジしたのかと思えば、これだ!


「初版装幀挿絵 初山滋」となっている。
これは「うわ~っ」である。
初山については拙著『触媒のうた』の98,99ページに、宮崎修二朗翁とのユニークなエピソードを載せている。
ということは、この装幀の仕掛け人は宮崎翁であろう。
著者、山口雅代さんの年譜が載っているが、それを見ると分かってくる。
年譜が実に興味深い。
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『ぼや記つぶや記』と池田蘭子

2023-05-31 16:35:57 | 宮崎修二朗翁
今日はM病院の診察治療の日。
いつもは長く、ときには1時間以上も待つのだが、今日はすぐに呼ばれてビックリ。
予約時間丁度だった。こんなことは初めて。
待合所に座った時には、たくさんの人が待っておられて、これは長くなるなと思ったのに。
持って行ってた本、読み始めてすぐ、1ページも読まないうちだった。
だが、治療が済んで会計で20分ほど待たされた。
ここもいつも長く待つ。今日は早い方。
その待たされてる間に読んだところに、「おっ」と思うことが。



『ぼや記つぶや記』(坂盛勝著・のじぎく文庫・昭和38年刊)の中の「立川文庫」というタイトルのエッセイ。
《つい先日”立川文庫”の作者群唯一の生き残り池田蘭子女史に会う機会を得た。》
そうか、この『ぼや記つぶや記』は神戸の消防局の機関誌『雪』の編集長だった坂さんが『雪』に書いた埋め草を集めたもの。
『雪』は宮崎修二朗翁が深く関わっておられた雑誌。
坂さんは、宮崎修二朗邸をよく訪問しておられたと聞いた。
そして、池田蘭子女史は宮崎翁がインタビュー取材しておられる。
そのいきさつは拙著『触媒のうた』の「女紋」の項に詳しく書いた。
縁はつながる。

『触媒のうた』 池田蘭子のことも載ってます。
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