喫茶 輪

コーヒーカップの耳

玉窓下

2022-05-31 15:49:15 | 日記
今日届いたハガキの宛名に「玉窓下」という言葉が添えられていました。
「虎皮下」や「御侍史」など色んな添え書きの便りをいただきますが、これはわたし初めてでした。
調べましたが、広辞苑には載ってませんでした。
そこで、宮崎翁の遺品『日本国語大辞典』を引いてみました。
するとありました。
《美しい窓の下の意。手紙のあて名の添え書きに用いる語。》などと。
うちの家の窓、そんなに美しくはありませんが。
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神戸のお菓子、瓦せんべい

2022-05-31 08:52:01 | 本・雑誌
毎朝、ちょっとずつ読んでいる本がある。
前にちょっと紹介した、潮崎孝代さんの『みちくさKOBE』。

朝、コーヒーを点てるのに、ポットに水を入れ、湧くまでの僅かの時間に読んでいる。
一項、2ページほどしか読めないので遅々として進まないが。
今日読んだのは「神戸のお菓子、瓦せんべい」と題されたページ。
神戸消防局の情報誌『雪』2011年3月号に掲載されたもの。11年前の記事だ。

「菊水総本店」の瓦せんべいの話が載っている。
《洋菓子人気に押されて経営不振に陥り、(略)しかし、創業140年の伝統を後世に残したいと一念発起。》とあります。
そうか、10年以上も前から危うかったのか、と思った次第。
つい先日、この「菊水総本店」が廃業との報道があったばかり。

時代はかわったのですね。
神戸の土産といえば「瓦せんべい」でしたが。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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出石で「創作人形展」

2022-05-29 12:50:41 | 出石
今朝の神戸新聞但馬版です。



出石町宮内で創作人形展が開かれていると。
宮内は妻の故郷の近くで、但馬の一の宮、出石神社のあるところ。
そして、この粘土人形作家、川見滋子さんは妻の同級生のご夫人なのです。
その同級生は、5年前に拙著『触媒のうた』が出た時に10冊も購入して下さり、知友に配ってくださったのでした。



これはなかなかできないことで、わたしは大いに恩義を感じたのでした。

この人形展、見たいけれど、31日まで。
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ドクダミ

2022-05-29 08:50:31 | 健康・病気
健康のために最近ドクダミ茶を飲んでいる。
ティーバッグを購入して毎日一袋。
あまりおいしいものではない。
ところが、家の前にドクダミの花がいっぱい咲いていた。
地味な花だがよく見ると美しい。
これから梅雨のシーズンになると白い花が多く咲く。



日本盛の敷地内です。
採取したらだめかな?

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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詩集『春雷』

2022-05-28 11:24:49 | 
牧田栄子さんの詩集『春雷』です。



澪標から2005年に発行されたもの。
「おもいでをありがとう」という詩があります。
←クリック。
震災の記憶が漂っています。切ないですね。

これは「やめた」。
←クリック。
最終行、「くやしいったらありゃしない」のユーモアに拍手。
わたし、詩の中のかすかなユーモアが好きなんです。

そして「予感」。
←クリック。
これは保育所勤務が終りに近づいたころの詩でしょうか。しみじみと読めます。
上記三つの詩は、ページが並んでいます。
どのページを開いてもいい詩が載っているというわけです。
それから私が感心したのは短詩の群れです。鮮やかな手つきで草花に命を与え、しかもユーモアを漂わせて。
牧田さんが「今村さんに読んでほしい」と言われたわけが分かります。

その短詩の中から一篇紹介しましょう。

   「ぶどう」
  薄い皮
  黒紫いろに渋い
  重い
  ふくらませたのは
  太陽か
  グルメか
  ひとつぶとれば
  エントリーぜんぶが
  はずれそう
  そのまえに
  話を聞こうか
  一番下のでっかいのから


あ、もう一つ。

    「貝のボタン」
  裁縫箱の引き出しで
  カタコト

  あの時代
  ネクタイするとき
  ひかっていた
  玄関を行く姿
  いつも
  新鮮だった
  やわらかな白い麻
  似合っていた

  引き出し開けるたび
  カタコト


この詩集の中で最もわたしが好きな詩です。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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詩集『茉莉花』

2022-05-27 15:29:29 | 
牧田栄子さんからお贈りいただいた詩集二冊のうちの一冊、
『茉莉花』(1999年・澪標刊)を読み終えた。



一部二部三部に分かれていて、一部の「茉莉花」は阪神淡路大震災を経験してのもの。
自宅は全壊だったとのこと。
茉莉花などの花の名前がたくさん出てくる。そしてトンボ、虹、雨など柔らかなイメージのものがモチーフに選ばれている。
微妙な心のありようが優しいタッチで描かれている。
震災後の荒んだ世の中に、この詩集はささやかではあっても救いの言葉になったのではなかっただろうか。
彼女自身が大きな被害を受けながら、自らの心のありようと、世間のありようを優しい目つきで眺めておられる。
巻頭の「帰還」です。
←クリック。

家を建て直されたんですね。
そして「ヤツデ」という詩の前半。
《 壁と塀の僅かの隙間から 光を探す手の姿して ヒョロンと自生していたのを 家を解体する日に 作業の若者が手袋を外して 土ごとくるんで持たせてくれた 借家のベランダに鉢植えした ヤツデはその日から 全身に新しい太陽を浴び (後略) 》

被災者でありながら、被災者顔しない。
この詩の最後はこうです。
《「余分なものはみんなすてて きれいさっぱり」 そうしていこう そうして 生きていこう 》

第二部は「しぐれに」。
身の回りのこと、家族のこと、日常の些事の中から巧みに、しかし初々しくポエジーをすくい上げての詩篇。
作品は上げないが「コンビニ」という詩のユーモアは貴重。

第三部は「一枚の絵」。
取り立てて事件が起こるわけではない。平凡な日常の中での自然や周りの人との心の通い合いを丁寧にソフトに描いていくその手つきが優しい。
巻末の「夏が終る」をどうぞ。

    風が 
  わたっていくよ と
  あなたはつぶやいた
  その声が聞こえたかのように
  ゆれていく水面を
  わたしも見ていた
  ただそこだけが
  鮮明にやきついたまま
  夏が終る


荒んだ心がおだやかになる詩集でした。
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中一生との一局

2022-05-27 09:52:51 | 将棋
昨夜の用海将棋会での一局。
大熱戦だった。
相手は中学一年生のI君。
わたしが長く指導してきた子である。
今年、難関校のN中に合格した秀才。
彼が最初にわたしの前に現れた時はまだ幼稚園だった。
その時、「わっ、この子は!」と思ったのだった。
こんな子がプロに行くんだろうなと思った。
だが彼は一人っ子。うかつにプロへの道は勧められない。
プロになることが幸せとは限らないし。
なる子はなるだろうし。
写真は昨夜の将棋の最終盤を思い出しての再現図。



ここに至るまでには何度も「詰めろ逃れの詰めろ」などが応酬され、将棋の醍醐味を味わっていた。
強くなったなあ!と思いながら。
便宜上後手のわたしを手前にしてます。
I君が1六歩としてきたところ。多分これが疑問手。
多分詰めろになってないでしょう。
詰めろでないなら、8一龍で安全勝ちなのですが詰めに行きました。
3二銀成。最後は1六の地点で詰んで、わたしの勝ちになりました。15手詰め。
ところがどうも勝った気がしない.
で、今朝から研究したのですが、I君の逃げ方に疑問があったようで、
正確に対応されていたら、わたしの負けだったようです。
しかし、強くなってくれたものです。
わたしも弱くなったとはいえ、まだ三段ぐらいはありますのでね。
N校将棋部で鍛えられるのですから、もう半年したら全く勝てなくなるでしょう。
楽しみなことです。

追記 読者から指摘がありました。「5二金から簡単な詰みがあります」と。
あらホントだ。9手詰めだ。3二銀成からの筋しか読んでませんでした。お恥ずかしい。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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詩集『つきひ』

2022-05-26 08:31:26 | 『恒子抄』
詩集『恒子抄』だが、奥付にこれまでに作った著作物を並べた。
全部で30冊。←クリック。
ところが忘れていたのがあった。
『つきひ』という詩集Ⅰ~Ⅲ。



和書風手作り冊子。たしか詩友の今は亡き堀川さんから頂いた彼女手製の冊子。
これにわたしが手書きしている。
すべて家族のことを書いたもの。悪筆です。とても人様には見せられない。
冒頭の詩は「今日が終わって」。1981年1月の作。41年前だ。
そして巻末の詩は2004年作の「恒子」。
因みに「つきひ」とは、わたしたち家族四人の名前の頭文字を並べたもの。
「つねこ」「きんじ」「きよ」「ひとし」ということで、「き」が二人いるが。

     「今日が終わって」
  夕刻より妻は公民館へ出かけている
  二人の子どもは もう二階へ上がって寝ている
  衣服が脱いだままの姿で散らかっている
  冷蔵庫がかすかに地虫のような声を立てている
  ストーブにかけられたやかんが
  ちんちんと
  独り言をつぶやいている
  その上に吊るされた日めくりごよみが
  かさかさとささやいている
  時おり明日の日付が顔を出す
  外は少し風が出てきた様子
  明日は寒くなりそうである。


何の創意もない初期の作品だが、懐かしい。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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牧田栄子さんという詩人

2022-05-25 17:11:18 | 
レターパック・ライト370という大きな封筒が届きました。
差出人は須磨の詩人(ちょっと女優も)福永祥子さん。
福永さんは昨秋、わたしが神戸で杉山平一先生のことをおしゃべりした時に聞きに来てくださっていた人で、それ以来交流のできた人。
中には詩集が二冊入ってます。あれ?福永さんには前にも頂いていますが。



と思ったら、彼女のではなく、牧田栄子という人の詩集でした。
『茉莉花』(1999年・澪標刊)と『春雷』(2005年・澪標刊)。
メッセージが添えられていて、
《先日はお席が近くでうれしかったです。牧田さんは一番古~い詩の友人です。その彼女と、ご主人が今村さんの大ファンだったとか…。私もうれしくなりました。彼女から預かっていた詩集です。「今村さんに是非に!」ということで。》
なんとなんと。
わたしの知らないところでわたしのファンがおられたなんて!
うれしいことです。
で、この「お席が近くで」というのは、先日神戸で「兵庫県現代詩協会」の総会があった時のこと。
わたしの斜め前に福永さんがおられて、映画出演のお話などしたのでした。
そして、そのお隣(私の前)に牧田さんが居られたのです。
その時、牧田さんから「木津川さんのラジオで何度も今村さんの詩を聞かせてもらいました」とのことでした。
木津川計さんがNHKの「ラジオエッセイ」でわたしの詩を取り上げてくださったのはたしか4回でした。
それをご主人と一緒に聞いてくださっていたのです。そしてファンになってくださったというわけで。
これはこの詩集、心して読ませて頂かねばがなりません。
ちょっと見たところでは難解なものではなさそうで、少し安心。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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偶然にも!

2022-05-24 14:16:37 | 本・雑誌
日ごろあまり見ることがないテレビ番組「徹子の部屋」にたまたまチャンネルを合わせました。
すると、夏目漱石の孫の半藤末利子さんが出演しておられたのです。





この末利子さんは、作家半藤一利さんの奥様です。

その一利さんの本を今わたし丁度読んでます。



『日本のいちばん長い日』。
面白い偶然でした。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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「現代川柳」創刊号

2022-05-23 09:30:32 | 文芸
もう先月にいただいていました。 



中野文擴さんのお手配で、多分編集長の中川千都子さんから。
「創刊号(第84号)」とあります。矛盾する話ですが、これには訳があるとか。でもわたしが説明する話ではなさそうです。
川柳と、散文が載っているのですが、100ページ近くもある充実したものです。
中でわたしが気になった川柳を紹介しておきましょう。
あくまで素人の感覚です。

わたくしの身体わたしの生きる場所 小川敦子
いくらでも優しくできる他人なら 平尾正人
芸術家だからここらで曲げてみる 小林康浩
何よりも平和何より民主主義 石垣腱
子はすでに子のたたみ方して タオル 夕 凪子  これはわたしの中では秀逸。
止めるなら今だ 脱会仄めかす 岡部房子
借りた傘ドラマを抱いたまま巻かれ 中川千都子
欲しいもの鼻毛引き抜く指力 中川 浩
チラシには美人になると書いてある 久保奈央
知らん人増えたなあ 紅白も 秀川 純   わたしなら「知らん人ばっかりやなあ紅白も」ですが。
捨てられた手紙がボッと燃え上がる 渡辺美輪
異母弟(おとうと)と父が暮らした日々思う 中野文擴
パスポート五年にしとき顔もたぬ 大井恵子
小さな手みかんを一つあげましょう 伊藤恵子
口出してまた広がった守備範囲 忰山真理子 
初日記まずは今年も今年こそ 林かずき
心電図心の悩みそのままに 藤田彩


おもしろうて、やがて哀しき川柳誌 欣史

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久し振りの「街の草」さん

2022-05-22 16:49:11 | 本・雑誌
「六甲」の原稿が草稿まで書けましたので、


ホッとして武庫川まで走ってきました。
古書店「街の草」さんです。久しぶりでした。おそらく今年初めて。
店主のKさんとのおしゃべりも楽しかったです。
三冊買いました。



一番上は『日本のいちばん長い日』(半藤一利著・文春文庫)。
これは、この前、孫のkohから借りて読んだ『八月十五日の神話』(佐藤卓巳著・ちくま学芸文庫)に関連する本。
勉強のために読むことにします。あと、kohに回しましょう。
それから、古い詩誌『蜘蛛』の2号と6号がありましたので入手しました。
2号は1961年発行。6号は1963年。
もくじを見ると懐かしい名前がいっぱい。
足立巻一、杉山平一、竹中郁、伊勢田史郎、小野十三郎、山南律子、森本敏子、君本昌久、多田智満子、小川正巳さんほか、そして、今もご健在の安水稔和、鈴木漠、小西誠の各氏。
楽しみです。

『触媒のうた』上記の人も大勢登場します。

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『一九二〇年代モダニズム詩集』

2022-05-21 10:08:35 | 
今朝の神戸新聞読書欄に季村さんの本が。

←二段階クリック。

先日、兵庫県現代詩協会の総会の時、偶然に席が隣同士になった季村さん。
ごあいさつ程度しか話せなかったのですが、後日この本を送ってきてくださいました。
その礼状を昨日投函したばかりでした。
この本、まだちょっとしか読んでないのですが、編集とはいえ力作です。
調査収集にどれほどのエネルギーをつかっているのでしょうか。
こういったことの調査を少しばかり経験したことのあるわたしにはよくわかるつもり。
ちょっと読んだところでは、大変興味深いです。井上増吉の詩なんて、感動します。
そして巻末の大正期の児童詩。
大切に心して読ませて頂きます。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。

『触媒のうた』日本近代文学史の「生き字引」が語る博覧強記の文学談義。
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「多島海」41

2022-05-20 15:28:17 | 
詩人、江口節さんからお贈りいただきました。詩誌「多島海」41号。



同人は、森原直子、松本衆司、彼末れい子、江口節の四人。
みなさんレベルが高く、言葉遣いが洗練されてます。
詩は一人一篇ずつ。
そして散文も一人一篇ずつ。
B6型のスッキリとした冊子です。

江口さんの詩「昼のこと 夜のこと」です。
 

それぞれ写真をクリックしてください。

最終連を読むとつらい気持ちにさせられます。

散文では江口さんの詩論、「詩の言葉を考える①」が良かったです。
わたしはもうこの年齢になると、詩論を考えるなんてことは面倒くさくなってしまいました。
出来た詩が心地よいならそれでいいではないか、と思ってしまってます。
わたしの場合、詩の言葉は、頭の中の空中に突然現れるようなこともあって、
ただそれを手でつかみ取るだけ、のような。
また貧弱な脳を使ってなんとか絞り出すようなこともあります。
それらを組み合わせるように作ることも。
で、江口さんの「詩の言葉を考える①」がおもしろかったです。
そう、自分で考えるのは面倒くさいのですが、人の詩論を読むのはおもしろいです。
なるほどと思ったり、そうなの?と疑ったり。無責任ですね。お許しください。

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ピンコロ人生の人

2022-05-20 13:28:26 | 宮っ子
かねてより、北海道で老後を養うと言っておられたM本さん、気がついたら家はもぬけの殻になっていた。
奥様を亡くして半年、長年住み慣れた西宮を風を食らうように後にして、新住所も告げずに行ってしまわれた。それが三カ月ほど前。
あまりにもアッサリではないか、と思っていたら、昨日、便りが届いた。
見事な毛筆の巻紙。
住まいは新冠だという。
牧場だらけの地。
近くに娘さんがペンションを経営しておられて安心なのだ。
「余生を楽しんでおります」と。
良かった。
この松本さんのこと、「宮っ子」に記事にしてます。
「ピンコロ人生」と題して。
2012年5月号。びっくりしました。もう10年も前だったんだ。ということは現在89歳。
「わたし85歳で死ぬと思てますねん」と記事にある。
しかし、まだまだお元気、牧場もやりかねません。見事なものです。

あ、そうだこの人、忘れてならないのは、わたしの本を買って読んでくださったのだった。これは本を出す者にとってすこぶるうれしいこと。
5年前には『触媒のうた』を。
そして2年前には『完本コーヒーカップの耳』を。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。

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