喫茶 輪

コーヒーカップの耳

新獨木舟文学館

2011-07-31 18:28:20 | アート・文化

 尼崎水堂須佐之男神社の「新獨木舟文学館」の催しに行って来ました。
 今回は最近田中元三氏が出版された『夙川の岸辺から』という著書に関連する文学作品を竹崎氏が語るというものです。
 これまでとは様子が違っておりました。
 これは開演前の会場。↓


 いつもなら、舞台設定がされており、演目によっては衣などの舞台衣装で竹崎氏が語りに入ると異次元の世界に誘われたのでした。しかし今回は、窓も明るく、灯りも落とさず、セミの声が聞こえてくる中での上演でした。そして、演目の間に、竹崎氏が司会をする形で、上村宮司と田中氏が文学談義をするというような展開。しかしさすが元獨木舟の常連さんが聴衆の中心、難しい話を飽きもせずにちゃんとよく聞いておられる。
 ということで、日常の延長のような感じの会だった。たまにはこれがいいのかもしれないが、初めて参加した人にはどうだったでしょうか?という気はしました。けど、今回はいかにも身内の会といった感じだったのでこれで良かったのかなあ。
 
 宮司が竹崎氏を紹介。↓


 竹崎氏の語り。↓

〇語りの一部です。↓

http://video.mixi.jp/view_video.pl?video_id=10952780&owner_id=27077816



 開演前、わたしの肩を後ろから叩く人がある。だれかと思えばA居さんだった。わたしのブログを見てやって来たと。しかもブロ友のS谷さんも一緒に。お二人とも自転車で。うわ~っ、ようこそ、でした

帰り、JR線路沿いの道を立花駅に向かうのだが、そこに小川というより用水路のようなのが流れている。そこにアメンボがいっぱいいた。さらによく見ると、フナがたくさん泳いでいる。えっ?こんな街中のどぶ川のような流れのなかに魚が!しかも、少し深いところにはフナより余程大きな魚が。コイだった。魚とり網があれば簡単に獲れそうな所にこんなにも魚がいるとは驚きだった。

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お墓掃除

2011-07-30 19:53:05 | 日記

夕方、家内と、森具にあるお墓へ掃除に。

途中寄り道したが、激しい夕立にあう。

で、お墓の草が抜きやすくなるだろうと思った。

ところが、お墓についてみると、土が乾いている。ここは降ってなかったのだ。

用心して長袖を着ていたのだが、草抜きの間、蚊が襲ってきて痒い痒い。ちょっとの隙間を狙ってくる。

セミの声がにぎやかだった。

クマゼミ、アブラゼミ、ヒグラシの三種のセミが鳴いていた。

今、TVで阪神の野球を見ている。投手に小嶋が出ている。元、遊学館高校のエースだ。

この同僚だったのが甥のY君。Y君は副キャプテンとして小嶋と一緒に甲子園に出場した。

勝ち進んで、ダルビッシュ投手の学校と対戦。しかし、Y君は監督に使ってもらえなかった。大量リードされて勝ち目がなくなっても代打にも使ってもらえなかった。最後まで一塁のコーチだった。一度ぐらい打席に立たせてやってほしかった。あのダルビッシュと対戦したというだけで、後の人生に大きなものが財産となっただろうに。そのこと、Y君に言うと、彼は全く気にしていない。監督を恨む気持ちは全くない。わたしより余程人間が出来ている。そんなこと、思い出した。小嶋、ガンバレ!

〇試合後の書きこみです。

 小嶋君、残念。3回をちゃんと抑えてくれた。勝利投手になりかけてたのに。代え時を誤った監督の責任です。

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ラブレター

2011-07-30 19:34:34 | 喫茶・輪

先日、藤本さんがお見え。

プレゼントを下さった。それに手紙がついていた。

ご婦人からのお手紙!うわ~っ、ラブレターだ、と思ったら、「奥様へ」とのこと。

家内にスカーフをプレゼントして下さった。阪急で買ってきてくださったのだ。

そのお手紙です。

Img097

 藤本さん、うちのお客様の中で最高齢の96歳。しっかりした字を書かれます。「お体を大切になさいませ」と。うれしいですねえ。

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獨木舟文学館

2011-07-30 09:05:39 | アート・文化

明日、獨木舟文学館の催しがあります。

Img023

Img025

わたし、出かける予定です。

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逸見さん

2011-07-29 17:32:45 | 喫茶・輪

昨日だが、逸見さん来店。久しぶり。暑いですからね。甲子園から自転車で来て頂くのは大変。

しかし、「閉店ご挨拶状」をお送りしたので、やって来て下さったのだ。

いつも何か、わたしの勉強になるものを持って来て下さる。

これは新聞のコピー。

Img080

面白いですね。目からウロコが落ちる思いです。

記事の後半で、「そもそも太平洋側を表日本、日本海側を裏日本とする呼び方こそ虚像ではないか…」とある。

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うれしいなあ!

2011-07-27 19:46:05 | 喫茶・輪

Cimg0066

今日は、ちょっとハッキリと書きましょう。

昨日のことです。

久しぶりのお客さまがありました。

日本山村硝子の営業社員さんです。4人でお見えでした。

「食事の店・輪」の閉店近しをお伝えすると驚かれました。

実は日本山村硝子さん、以前はうちのいいお客さんだったのです。毎日何人もがお見えでした。近くに本社ビルがあったのです。しかし、2年前に本社が尼崎市に移転。以来、「輪」はヒマになりました。それでも時々は「こちらに来ましたので」とお出で頂いてました。しかし、段々と遠のいていたのでした。仕方のないことですよね。

昨日のお客様のお一人、K山さんが、「みなに言っておきます」と帰られたのでした。

そして今日です。

「ご無沙汰です」と、また別の日本山村硝子の営業さんがご来店でした。N川さんたち4人。

話を聞いて来て下さったのでした。「丁度、神戸に行く途中です」と。

うれしいですねえ。そしておっしゃるのです。

「店、やめるのは、うちの会社のせいですか?」と。

「そうです。社長さんを連れて来て下さい。お説教します」と答えました。

すると、「そうですよねえ。以前は、うちと、日本盛さんと、その他のお客さんが3割ずつという感じでしたもんね。」と。そうなんです。日本盛さんも最近は日本酒の絶不況で、ほとんど見えなくなりました。

N川さん、「お盆までに、また来ます」と言って帰って行かれました。

うれしいですねえ。うちの店を支持して頂いていたのでした。忘れず来て頂けたのです。

みなさん、元は平社員さんでしたが、今では役付きになって偉くなっておられます。社員さんの中には、うちがセットしてお見合いをさせた人もありました。時は流れたのでした。

明日28日(木)の「輪」のおすすめ定食は、

「冷めん」の予定です。

よろしくお願いいたします。

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絹代さん。

2011-07-26 20:37:07 | 本・雑誌

鈴木絹代さん似のお客さん来店。

尼崎、武庫川の古書店「街の草」さんに行って来たと。

そして「買って来た」と示されたのが、竹中郁さんの詩集『象牙海岸』。昭和7年発行。

きれいな装丁の本です。

これを2100円で買ってきたと。驚いた。安い!ただ、箱が欠けている。箱があれば2万円ぐらいする。

そして、もう一冊持っておられた。驚いたことに『コーヒーカップの耳』だった。

ありがとうございます。これの値段は…。お聞きしたが内緒。

店主の加納さんが「これはいい詩集です」と言って下さったと。うれしいなあ。

因みに加納氏は、わたしのお師匠さん宮翁さんが代表をする「神戸史学会」の機関誌『歴史と神戸』に昨年「火を継ぐ者の意思と試み」と題して寄稿しておられる。これは季村敏夫さんの力作『山上の蜘蛛』の書評です。加納氏、なかなかの書き手でもあるのだ。

この絹代?さんに本を2冊もらってもらった。

これです。↓

Img073  Img074

鈴木さんご夫婦の本です。どちらも鈴木さんから「どなたかに貰って頂いて下さい」と何冊か託されていたのだった。まだ残っていました。ちょうど良かった。

詩集『ありがとう』は2008年12月発行。絹代さんは2009年2月14日(バレンタインデー)に亡くなられた。彼女、死の直前の刊行だったのだ。

随想集『車窓から』の発行は1997年4月。著者の鈴木慎悟さんは牧師さんです。しかし、タクシー運転手をしながら、布教活動をなさった方です。スゴイ信念をお持ちの人です。しかし無類に優しい人です。

このご夫婦のこと、月刊『KOBECCO』に2度書いてます。2003年11月号に「イチゴジャム」、2009年6月号に「帰ります」と題して。奇跡のようなご夫婦でした。

明日27日(水)の「輪」のおすすめ定食は、

「焼き魚・塩サバ」の予定です。

よろしくお願いいたします。

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宝くじ

2011-07-26 19:25:57 | 喫茶・輪

宝くじを買おう。

で、当てよう。

ここに保管しておけば当たります。

Cimg5756

この樽、「福来樽(ふくきたる)」といいます。

西宮神社(えべっさん)で祈祷済み。

先日、抽選で当たったものです。

ここに宝くじを保管しておけば当たるしかないです。フフフフ…。

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閉店反対

2011-07-25 19:51:41 | 喫茶・輪

Cimg0066

「輪」閉店のご挨拶状をお客様にお渡し。

「エッ?」と驚かれる人がある。

「ちょっと~っ!」と抗議の面持ちの人も。

で、わたし言いました。

「反対運動してくれはる?1000人の反対署名を集めてくれはったら考え直すけど」と。

すると皆さま諦め気味です。

そりゃそうですよね。100人も集めるのは無理でしょう。

面白い暑中見舞いハガキが届きました。

Img071 ネコ、6匹です。

まあ、それは別に大したことではないですが、この人の文章が面白いです。

Img072 愉快でしょ。

この人、時折このブログにコメントを下さる、牧エ門さんです。

元『神戸っ子』の編集員。わたしがエッセーを書かせて頂き始めたころの、わたしの担当者でした。今は四国宇和島にお住まいです。

牧エ門さん、勝手にアップしてゴメン。

明日26日(火)の「輪」のおすすめ定食は、

「冷やしうどん・おにぎり」セットの予定です。

よろしくお願いいたします。

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閉店のご挨拶。

2011-07-24 15:28:04 | 喫茶・輪

              Cimg0066

         「喫茶・輪」閉店のご挨拶

 「輪」は昭和62126日に昼定食を中心とした喫茶店としてオープン致しまた。その日は冷たい風が吹く日でしたが空はよく晴れておりました。

 以来24年近く、皆さまに可愛がって頂きました。

 初め、この場所に喫茶店をオープンさせることを知った友人が「頭がおかしなったんちゃうか?」と言いました。そうですね、東西200メートルばかりの西行き一方通行のほとんど人通りのないこの辺鄙な場所で喫茶店を始めるなんて正気の沙汰とは思えません。

 オープン当初はたった10席の店でした。しかしすぐに手狭になり、拡張して7席ばかり増やしました。ところがこれでもまた手狭になり、ほどなく二度目の拡張をしました。それが今の店舗です。これはお客さまの支持なくては叶わぬことでした。

ここで、24年近くも営業させて頂きました。それもみな、「輪」を可愛がって下さった皆様のお陰です。しかし、やはり時が流れました。ここ数年で状況が変わりました。淋しいことではありますが、このほど止むなく店を閉じることに致しました。24年間、思えば短かったですが、やはり長かったようにも感じます。色んな人との出会いがありました。また悲しい別れもありました。正に「輪」はドラマチックな場所でした。10年前には、「輪」を舞台に繰り広げられるドラマを『コーヒーカップの耳』という本にもしました。また、その後、タウン情報誌『神戸っ子』に「コーヒーカップの耳」と題したエッセーを約10年間100回にわたり連載させて頂きました。どれも、「輪」に集うお客さまの人間性がドラマを生んだのでした。これらは「輪」の大きな財産になっております。心から感謝申し上げます。

と、ここまで書いて来て、ちょっと考えました。スコンッと一気にやめてしまうのはあまりにもあっけないのではないかと。わたしどもも、急激にリズムが変われば体調を崩すのではないかと、勝手なことを考えました。ということで、お盆まではこれまで通り営業させて頂くことにしました。しかしお盆以降は、今しばらくクールダウン期間として、午前中のみ、しかもお茶のみの営業に移行させて頂きたいと思っております。どうか私どもの心中をお察し下さってご理解頂きますようお願い申し上げます。

                             平成237月24

お客さま各位

                            喫茶・輪 店主敬白

明日25日(月)の「輪」のおすすめ定食は、

「豚肉のしょうが焼き」の予定です。

よろしくお願いいたします。            <shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" o:spt="75" o:preferrelative="t" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" filled="f" stroked="f"></shapetype> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:extrusionok="f" gradientshapeok="t" o:connecttype="rect"></path><lock v:ext="edit" aspectratio="t"></lock><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 144.75pt; HEIGHT: 108.75pt"></shape><imagedata src="file:///C:UsersIMAMUR~1AppDataLocalTempmsohtmlclip11clip_image001.jpg" o:title="CIMG0066"></imagedata>       

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村上春樹の石の橋

2011-07-24 09:00:10 | 文学

 村上春樹フリークの小西巧治さんの今朝のブログから。

 小西さん、拝借お許しを。

 村上春樹の故郷は西宮です。子どものころに遊んだ場所がわたしと重なります。わたし、春樹はまだ読んでませんが、世界的な作家であることは承知しています。

「今年の4月25日に『夙川の橋』中国全土に発信 村上春樹ランゲルハンス島の午後の橋」というブログをアップさせていただきましたが、この中のYou-Tubeの動画も神戸国際大学の毛丹青教授(西宮在住)の発言をお聞き下さい。

         
http://www.youtube.com/watch?v=TX-MW4d-YiM
私は、「村上春樹がこの橋をどのような思いで見ていたか興味をもっている」
中国版ツイッターに橋の写真を載せると、早速、中国人読者から多数の反応がありました。
「なぜ日本は小さな橋でもこんなにきれいなのか」
「写真を何回も見ました。美しいのを見せてくれてありがとう」

このように正しい西宮の情報発信をすれば、遠く離れた海外の人にも感動を与えることが出来ます。
今までの市の広報紙などでは、文学作品にゆかりの場所は、この橋の少し下流の夙川河口にある回生病院が野坂昭如の「火垂るの墓」ゆかりの場所とだけしか載っていなかったようです。
             
この小説のニテコ池と回生病院は誰にでもわかり易いのは事実ではありますが、世界に通じるものがあったということにもっと早く気付いてもらいたかったと思います。

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村上春樹。

2011-07-23 21:43:19 | 文学

 村上春樹フリークの小西巧治さんが昨日来店。
 『文学界』8月号掲載の「村上春樹の神戸を行く」(鈴村和成)のコピーを持って来て下さった。
 二段組み21ページの力作である。
 鈴村氏は「暦程」同人の詩人でもある。そして村上春樹研究の第一人者。
 この記事のための取材に鈴村氏は東京から来られたのだが、その案内を小西氏がしておられる。
 村上春樹は少年時代を西宮に暮らす。最初に入学した小学校は浜脇小学校である。わたしもその学校に入学した。後に春樹氏は香櫨園小学校開校とともに集団転校している。わたしも用海小学校再開とともに集団転校した経験がある。

 さらに西宮神社、香櫨園浜、夙川など、私が幼い日に遊んだ場所が重なる。
 鈴村氏はそこを訪ねて村上文学の源流を探る。それらの場所が小説に色濃く影響を及ぼしているのだ。その取材のお手伝いをされたのが小西氏だ。
 身近な記述がいっぱい。西宮がいっぱい。全国発信の雑誌にこれだけ西宮が取りあげられることは少ないであろう。それに比して西宮市は文化意識が希薄である。今や村上春樹は芦屋神戸に取り込まれてしまっている。西宮で少年時代を過ごしたということを市として発信しようとしない。残念なことだ。
 小西氏はわたしに熱っぽく語って下さる
 まるで少年のような目で。全く邪心のない目だ。村上春樹と西宮に恋したように語られる。わたし、春樹はほとんど読んだことがない。しかし春樹はいまや海外でもっとも多く読まれている日本人の作家である。海外の教科書にもっとも多く採用されている作家でもある。ノーベル文学賞に最も近い日本人なのだ。
 小西氏の熱意に押されて、時間に余裕が出来れば、もう一度春樹に取り組んでみようかと思う。

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絵はがき二枚。

2011-07-23 18:39:22 | アート・文化

神戸の詩人で書や絵もなさる中村信司さんから「暑中見舞い」が。

Img068 素朴な絵でいいですね。

そして次は、版画をなさる詩人、由良佐知子さんからの版画の絵はがき。

Img050 オシャレですねえ。

もう大分前に「梓の会」の版画展に行ったことへの礼状です。

その「梓の会」展の詳細はこちら↓に載せてます。

http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20110611

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ユリの花

2011-07-23 18:21:51 | 喫茶・輪

昨日は色々と忙しくしていてブログ書けなかった。

で、昨日のこと、先ず一つ書きます。

ユリの花です。しっかりとした花できれいです。

Photo

H山さん92歳がお持ち下さった。H山さん、久しぶりのご来店です。

暑くなってからは自重して頂いていたのでした。

また涼しくなったらということで。

しかし昨日は薄曇りで、気温も低め。ということでやって来て下さいました。しかも、こんな花を持って。実はH山さんのご子息が花関係の会社にお勤めで仕事上お持ち帰りになったものでした。

しっかりした花です。蕾もまだまだ楽しめます。

そして今日、何輪かが咲きました。

ますます立派になってきました。

Cimg5738

話はこれだけで終わりません。

H山さんお一人でご来店でしたが、しばらくするとF本さんが扉を開けて入って来られました。わたし、てっきり待ち合わせをされたのだと思いました。

このF本さんは96歳。

この人にも、涼しくなったらまた、と自重して頂いていたのでした。

お二人は仲良しで、暑くなるまでは、ご一緒にご来店頂いていたのです。

ところがお二人顔を見合わせてお互いにビックリ。

お互いが相手を誘うのを遠慮されていたのでした。

もう一ヶ月ほどもご無沙汰でしたのに何という偶然でしょうか。

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富士野高嶺さん。

2011-07-23 13:13:06 | 千村克子さん

富士野高嶺さんが亡くなられたと。↓

http://www.asahi.com/obituaries/update/0723/OSK201107230107.html

「ああ…」と思う。

昨年のわたしのブログからコピーしました。↓

〇2010年1月5日付け。

「昨日、富士野高嶺さんから電話が有りました。元タカラジェンヌです。昭和4年初舞台。

現役を退かれてからは、後進の指導をずっと続けておられる。

『神戸っ子』1月号のエッセーに、富士野さんが書かれた『ザ、吹き寄席タカラヅカ』という本か

ら引用させて頂いたので、その縁でお電話を頂いた。実は富士野さん、わたしの畏敬する文

芸評論家(この言葉を自分に使われることを先生は嫌われるが)宮崎修二朗氏と、昔、昵懇

だった人なのだ。そんな話などをして、「懐かしいです。ぜひご一緒に来宅ください」と言ってく

ださった。それが通り一遍の儀礼的な言葉ではなく、心からのお誘いだった。ありがたいこと

である。いつか折を見てお伺いしたい。」

〇2010年5月8日付け。

元タカラジェンヌの富士野高嶺さんから電話を頂く。千村克子さんのことを書いた『kobecco』

1~4月号(富士野さんの著書から一部引用させて頂いたので)、をお送りしていた、その返

事と、ほか宮崎修二朗先生のことなどいろいろ。

もうご高齢のはずだが、しっかりしておられる。ご自宅に「おいで下さい」と言ってくださる。あ

りがたい。是非、機会を作って一度お目にかかりたいものだ。貴重な話が聞けるでしょう。

〇2010年5月14日付け。

元宝塚女優の富士野高嶺さんから、一冊の本が送られてくる。

Img005

『ザ、吹き寄席宝塚』(2005年刊)富士野高嶺著。

わたしはこの本すでに、千村克子さんの遺品を所持している。

送ってこられたのは、「宮崎様」への署名入りである。

手紙に宮崎修二朗先生にお渡しください、と。

ところがである。その宮崎修二朗先生が、今日午後、久しぶりに見えたのである。

偶然である。

そして、先生がわたしにと持って来てくださった本の中に、驚く一冊が。

Img004

『今昔 たからづか』(富士野高嶺著・1990年刊)。

なんたる偶然。

高嶺さんは多才の人である。

文章は軽妙洒脱、見事なもの。

俳句もなさる。

絵がまたおしゃれ。この本の表紙カバー絵も高嶺さんが描かれたものですよ!

舞踊は禄春という名で、劇団員に長年教えてこられている。

この人のこと、知れば知るほど凄いひとだ。

タカラヅカのスーパーレディーと言っていいのではないだろうか。

何ということか!

わたしはこんなことばかりだ。

この時、宮崎修二朗先生に「一緒に行きましょう」と言ったのだが、先生は「あの人には昔お世話になって、まだ御恩返しが出来てないから、会わす顔がないのです。だから行けません」とおっしゃったのだった。

わたしもそのままお会いせずである。ああ残念。昔のタカラヅカのお話や、千村克子さんの話を詳しく聞けたのに。ああ本当に残念。

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