西宮の地域情報誌「宮っ子」9、10月号が出ました。
この情報誌は隔月出版です。ということで年に6回。
中の4ページ分が各地域の編集委員で作られています。
ほぼ小学校区。多分40区域ぐらい?
そしてこれが用海版、トップページです。
下段の囲み記事にわたしが一文書いてます。
しかしこの文体、わたしのものではありません。
多分、市の担当者が編集段階で変えてしまったのでしょう。
わたしはブログは敬体で書くことが多いですが、こういったところへは常体で書くことにしてますので。これは少し軟弱な文体になってしまってます。
ということで、この「真砂中学校」という校名、わたしが名付け親と言っても過言ではないのでは?ちょっと自慢。
豊中の田中恒子さんから、詩誌「木」の創刊号をお贈り頂いた。
一読、好感の持てる詩誌だ。
奥付けを見ると、助言者・江口節となっている。
そういうことだ。決して奇を衒うということはない。
そして巻頭詩はこれ。
池田美砂子さんの「木」。
よく出来た詩ですね。
この創刊号にピッタリの。
暗喩として隠されているのが、島田陽子さんと江口節さん。
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田中恒子さんも4篇を載せておられるが、すべて人柄を表わす好感の持てる詩です。
うち二篇。
「強い夢」と「あかり」です。
どちらも市井に生きる普通の人の善意が現われています。
やさしいお人柄なのでしょう。
因みに、恒子という名前はうちの家内と同じです。平凡そうであまりお目にかからない名前。なにか親近感が持てます。
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巻末に次のような一文が。
☆土曜日の生い立ち
2,002年4月から6ヶ月 朝日カルチャー講座 「金子みすず・詩と魂への旅」(講師 島田陽子先生)受講生が講座終了後、11月より、千里で詩作の自主グループ「土曜会」を発足する。
そうなんですね。島田陽子さんから江口節さんへとバトンタッチされたということなのでしょう。
「出戻り」という言葉は悪いですね。
再出発という方がいいのでしょうか?
住江町のお地蔵さんが90年ぶりに用海町へ戻って来られるという話。
昨日、K新聞のI記者と住江のお地蔵さんを訪ねた。
「長音山圓満地蔵」とあります。
用海の「小墓圓満地蔵」の分家です。
しかし、世話管理する人がなくなり、用海に戻って来られることに。
その話、この前書きました。http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20130812
この写真見て下さい。
「二ツ橋稲荷社」とあります。
昔、この辺り、キツネの巣がたくさんあったということです。
この稲荷社も寂れてしまって誰も世話管理する人がなくなってます。
いわば荒れ放題。
問題は、これが津門中央公園内にあるということ。
市民の誰もが憩う場所。
多分市役所に苦情が行ったのでしょう。
それで撤去の話になった?
しかしこのようなもの簡単にゴミを捨てるようなわけにはいきませんよね。
稲荷社はどこかの神社さんがお引受けになったと聞きました。
そして地蔵さんがうちのとなりの地蔵さんの境内に帰ってこられることに。
ただ、地蔵さんについては、一応の歴史があるので、その説明板と多少の遺構をこの場に残しておいてほしいと要望しておきました。さてどうなるでしょうか?
http://akaru.mo-blog.jp/<wbr></wbr>akarublog/2013/08/<wbr></wbr>post_b7f0.html
3冊のうち一冊は予備と書いている。
その後、思いついて、その予備の一冊を作家の出久根達郎さんにお<wbr></wbr>送りした。
というのも、大分前に出久根さんから「宮崎修二朗さんの貴重なお<wbr></wbr>話を記録しておいて下さい」とのお便りを頂いていたのです。出久<wbr></wbr>根さんは宮崎翁と縁のある方です。
今日、出久根さんからお手紙届きました。
和紙に毛筆書きの立派なお手紙です。
先ず、夜中の3時頃に激しい雨で目が覚める。
外の様子を見たが水は順調に排水溝に流れ込んでいた。
次が5時ごろ。
外の様子は変わらず。
2年ほど前に地下タンクを作ってくれたおかげで大丈夫の様子と安心。
ところが、10時ごろからまた激しい雨。
今度はなかなか小降りにならない。
嫌な予感が。
そして10時半、ついに下水口への排水が滞りだした。
少し増えてます。
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これは10時44分。
道路が冠水してきました。
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http://www.youtube.com/watch?v=2F8cF7g_Tjw&feature=c4-overview&list=UUy-KubFsgxH4o3zejC9erFA
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10時50分。ひどいことになってきました。
そして10時52分。
・10時55分。
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