ドリアン助川さんのFBに紹介されていた詩集『我が家に天使がやってきた ダウン症をもつ周とともに』(文治堂書店・1200円+税)を読んだ。
詩を3篇紹介します。これでこの詩集の内容をお分かりいただけると思います。
この本を読んでわたしは昔に読んで大好きになった口頭詩を思い出しました。
あのねママ
ボクどうして生まれてきたのかしってる?
ボクね ママにあいたくて
うまれてきたんだと (田中大輔 当時三歳)
ところでこの本の奥付に不審が。
初版 2018年4月25日
二版 2019年11月6日
これはおかしいですね。三版のはず。
別に12ページある栞が付いていて、これに著者の言葉が載っていて令和5年1月17日の日付がある。
なのでこの本の三版は2023年一月以降ということでしょう。
しかしこの栞にも発行日が記されていない。ちょっと不備ですね。
神戸の詩人江口節さんからお贈りいただきました。
『鶺鴒』22号です。
ほぼ生活詩といえる詩がならんでいて、その素直な表現に好感が持てます。
今号「小枝の先で」というコーナーがあって、その中の荻野ゆう子さんの「詩と仕事」に興味を持ちました。
「教員であることを人に知られたくない時期が長かった」と始まる文章。
正直に書かれています。
そうだったのか、というより、「やはりそうだったんだ」と思える内容。
教師は教師なりのプライドがあるんですよね。そのプライドはなかなか脱ぎにくいものなんでしょうね。
だけど荻野さんは子どもに学んでそれを脱がれたわけだ。
「子どもに学ぶ」という言葉はよく使われるが実際はなかなかに難しいことなのでしょうね。
『現代川柳』、今号10号はより充実していた。
ただし門外漢の言うことです。
句は後にして、読み物が楽しかった。
うちの店に来てくださったことのある、島村美津子さんが写真入りで紹介されている。
美津子さんは1930年生まれ。
しかしすこぶる元気な人。わたしの店に来られたころは、縄跳び連続100回出来たのだが、今はどうなんだろう。
「絶対戦争をしないこと 93歳まで生きた私の願い」とある。
「フォト川柳」の写真提供者は中野文擴さん。
「書斎・輪」によくご来訪下さり、わたしの人生の先輩として尊敬する人です。
「古川柳 つまみぐい」のページはわたしが好きなページ。楽しいです。
今号は「赤子」がお題でこんなのが載ってました。 「女房へ乳だ乳だと追つつける」
中川千都子さんの「ビ・キ・ニ」が楽しかった。上手いもんです。
そして茉莉亜まりさんの「天の網」も好奇心を誘って読ませます。
さて、句ですが、素人のわたしのアンテナに響いたもの。無数にある中から。
わたしのアンテナは「ドキッ」とするもの、あるいは「クスリ」とさせられたもの、そして「ホロリ」とさせられたものに反応します。
【 月の抄 】
人謗る元気昔はあったのに 上藤多織
水の音たったひとこと泣いた日の 茉莉亜まり
花手桶ようお参りと寺の藤花 伊藤玲峰
地蔵様罪ほろぼしのよだれかけ 宇野弘子
母のまえ弟とする猿芝居 小川敦子
まわれ右 前に苦手な女(ひと)がいる 岸本きよの
門燈が夜通しついていた隣 黒川利一
思い出を忘れ回らぬ走馬灯 中野文擴
左手に右手の悩みわかるまい 林かずき
シルバーシート若きに譲り笑ひとつ 門前喜康
交番がいつも不在の神戸駅 吉田利秋
口癖の「めっちゃ」呑み込む修道女 小林康浩
致命的誤植があって値が上がる 小林康浩
【 星の抄 】
薬並べて見ているだけで副作用 大海幸生
自叙伝に無かった恋を入れておく 中野文擴
ひそひそに大きな声で返す人 久保奈央
寝室もおやつケースも夫婦別 太田牧子
五本足袋だれかは居場所まちがえる 悴山真理子
お言葉をかえして波をもろ被る 富田房成
いろいろな神様を知る 病んでから 道家えい子
その日まで最後は早い砂時計 こはらとしこ
仏文出洒落た恋文書けもせず 石部漂吉
内視鏡 辛い別れの痕がある 川本勝三
◎帽子にマスクそれでも席を譲られる 林操
おばさんと言われて腹立つおばあさん 細目十万屯
いいないいな退屈出来る暇できた 鵜川幸子
いや面白い。川柳いいですねえ!
沢山の中からお気に入りを見つける楽しさ!
あ、そうだ。最後に言っておこう。
「編集後記」に小林康浩さんがこんなことを書いておられる。
「今号では詩人、今村欣史さんをご紹介したい。同氏は『完本 コーヒーカップの耳』なるロングセラーを持つ著名な方。」
この「著名な方」というところ、消し去りたい。
昔、福知渓谷に建立された田辺聖子さんの文学碑に「文豪田辺聖子先生は…」と彫られているのを見た田辺さんは、
「もう消しゴムでは消せない。どうしようもない。わたしは消え入りたい」と頭の中が真っ白になったという。
わたしも似た思いをしている。書かれたものは残ってしまう。
今朝、ちょっとした用で古書店「街の草」さんの加納さんに電話した。
その件とは別に加納さんに言われた。
「一カ所誤植が」と。『湯気の向こうから』のこと。
富田砕花さんの「香をうつつ」の項。
「短歌が並んでいるが、下の句の最後「大傾斜」と「大斜面」の二種類になってます」と。
調べてみた。確かに最初に上げたのには末尾が「大傾斜」となっており、ほかのは「大斜面」になっている。
元の写真を確かめてみた。
「大斜面」となっている。
そして発表した『六甲』2017年7月号は?
あれ「大斜面」になっている。
どこで間違ったのか?
で、今回本にした元の原稿、すなわち印刷屋さんに送ったデータは?
「大傾斜」になっている。ここで間違っている。なんで?
このデータは元の『六甲』の印刷屋さんにも送ったもののはず。
なぜだ?
考えられるのは、印刷屋さんからゲラが送られてきた時に、その間違いにわたしが気づき、電話で修正をお願いしたのだ。
その時、PCの中にある元の原稿も直しておかなければならないのに怠った。
こんな時、大抵はすぐに直しておくのだが。
その時に、本にする計画もなかったからだろう。
その怠ったままのデータを今回の本に使ってしまったということだ。
しかし、加納さん、よく見つけましたね。さすがです。
もしも増刷することがあるなら修正してもらおう。
出久根達郎さんから新著をお贈りいただいた。
『随筆 人に麗句あり』(藤吾堂出版・1500円)。
出久根さんは拙著『湯気の向こうから』に度々登場していただいている。
添えられていたわたしへのメッセージに感動。
短い文だが、はじめ意味が解らなかった。
しばらくああだこうだと考えて、パッと解った時に「ああ!」と大きな感動を受けた。
わたしだけへの私信なので公開はできない。
さて、ページを開いて先ず「まえがき」といっても、これも随筆になっている。
これには驚いた。
やはり出久根さんは普通ではなかった。その努力がだ。
次のページにより詳しく書かれている。そして、
《このノートが古本屋をやめて文筆業に転じた現在、大いに役立っているのである。150冊余の「読書往来」ノートが、わたしの蔵書ということになる。本の種類は雑多である。何しろ目につく物でこれはという本は、好奇にかられて読んでいる。ノートそのものが古書店の書棚である。物書きにとって、こんな便利な虎の巻はない。私は「ネタ」探しで
「読書往来」をめくる。》以下略。
これは面白すぎて、あとの随筆を読むのを止めるのが難しい。