同人誌「輪」22号(1967年)。
52年も昔の本だ。
「街の草」さんの台で見つけたのだが、これに北山冬一郎に関することが書かれていた。
ちょっと前に、読書人、M 岡さんから提供を受けた資料で北山冬一郎に関するものがあり、今原稿を書いているところ(草稿まで書けました)。
ある雑誌の7月号に載せる予定です。
その題は「北山冬一郎その後のその後」というもの。
わたしは北山のことを幻の詩人と言っているのだが、こう次々と資料が出てきたら、幻ではなくなってしまうかも?
で、今回のものは驚くなかれ、海尻巌さんが書いておられるのだ。
海尻さんのことは昨年、氏の故郷但馬まで取材に行って原稿を書いた。
縁はつながるものですね。
この本で、もう一つ話題。
裏表紙です。
大阪ガスの広告。
これは伊勢田さんの手配によるのでしょうね。
氏は大阪ガスに勤務しておられたので、宣伝費を引っ張り出されたのだ。
言いたいことはそれではなかった。
ここに写っているガス炊飯器!
うちにあったはず、と思って家内に聞いたら、「この前捨てた」だと。
50年以上も昔の炊飯器がつい先日までうちにあったのだ。
《 正価4400円から10ヵ月払<1回>470円から 》とある。
時代を感じさせます。
ウィキには載っていないが、たしか兵庫県の文化賞も受けておられると思う。
こんなものを送ってきてくださった。
「神戸波の会」の演奏会のプログラム。
演奏会は11月18日なのですでに済んでます。
添えられたお便りに、
《先週、神戸波の会のコンサートを聴きに行ったのですが、以前大兄が「神戸っ子」に書かれていた北山冬一郎の詞に団伊玖磨が作曲した歌曲が歌われていたのでお知らせします。》とありました。
実は、北山冬一郎に関しては、鈴木さんに教えて頂いたこともあって原稿が書けたのでした。
そのプログラムの中にこんな箇所が。
佐々木倫子さんという人が北山冬一郎の「ひぐらし」を歌っておられる。
多分、北山のことは知らずに歌っておられるだろう。教えてあげたいような、知らないで歌っている方がいいような…。
北山は文献が殆どなく幻の詩人というわけです。
その北山のこと、「神戸っ子」に書いた後、昨年出した拙著『触媒のうた』に詳しく載せています。
興味のある方はその本をご覧ください。山頭火と並ぶようなおもしろい人生を歩んでいます。
『文藝 新風』昭和21年の4・5月號。
M岡さんは無類の読書家。そして古書の収集家でもあります。
『新風』は冨士田健一が編集発行人ですが、それは北山冬一郎のことです。
目次が凄い。
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作家も著名な人があるが、詩人も凄い。田中冬二、小野十三郎、竹中郁など。
そして当の北山冬一郎も。
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この北山の詩については『KOBECCO』10月号に書いたが、それはM岡さんがご自分のブログに上げておられたのを参考にさせてもらったのでした。
こうして直に手に取らせてもらうとまた感慨新たです。
しばらく楽しめそうです。
M岡さん、ありがとうございました。
追記
北山冬一郎に関することは『触媒のうた』(今村欣史著・神戸新聞総合出版センター刊)に詳しく書いています。
行ったら丁度入浴中ということで、しばしお待ちしました。
部屋からの景色です。
阪神電車沿線です。
机の上。
ベッドの枕元。
書籍類はこれだけ。
いかにも淋しい。
これではなかなかいい原稿は書けないでしょうね。
今日はわたし、こんなものを持参して行きました。最近入手したものです。
いわゆる戦後のカストリ雑誌。昭和24年発行です。
これに、北山冬一郎が小説を書いているのです。
特別扱いですねえ。
そして、驚くなかれ、頴田島一二郎さんの宣伝が。
翁に見せると、懐かしそうに手に取って。
「この小川という男は」とか、色々教えて下さいました。
一時間ほどお話していたら、「宮崎さん、お客さんですよ」と声がかかり、入って来られたのは、放浪の旅人、K田さん。
先日わたしに電話を下さって、翁のことを尋ねられたのでした。
もしかしたら、とは思っていたのですが。
翁、うれしそうでした。
しばらく一緒にいましたが、わたし「この後、大阪へ孫を迎えに行きますので」と先に失礼しました。
帰りに例の千切り抜きを頂いて帰りました。
ありがたいことです。
未だに拙ブログに問い合わせが次々入る。
北山冬一郎の詩に團伊玖磨が作曲した歌曲が今も歌われていて、その歌手の方や、研究者から。
以前に書いたものより新しい情報もわたしには入っているのだが、それはまだどこにも発表していない。
わたしが若ければ、もう一度ちゃんとした評伝に書けるかもしれないのだが…。ほかのことで忙しいので。
今日は、宮崎翁がおっしゃっていた「カストリ雑誌に書かせました」の言葉を裏付けるような雑誌を入手した話。
『情艶新集』(昭和24年発行)です。
いわゆる戦後のエロ雑誌です。
北山冬一郎の小説を読んでみましたが、それほどエロでもなくグロでもありませんでした。ごく普通の恋愛小説といった感じ。
「もくじ」です。
北山は別格扱いですね。
追記
北山冬一朗については『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター・2017年刊)に詳しく書きました。
「KOBECCO」の数年前の号に書いた「北山冬一郎」についてのお問い合わせがよく入りますので、ここにその最終回のコピーをupしておきます。
ご参照ください。
←画面をクリック
←C
←
←クリック
2017年春ごろに『触媒のうた』を上梓する予定です。全編お知りになりたい方はそれまでお待ちください。
開場時間前に行ったのだが、すでに開場されていて615人定員の会場はほぼ満員だった。
もっと前で観るつもりが後ろの方になった。あれだけ人が押し寄せれば時間前の開場は致し方ないでしょう。開演前には立錐の余地ない満員。驚きました。これほどの盛況とは想像していなかった。
・
チケットを千秋さんから頂いて行ったのだが、お会いできなかった。
しかし驚いた。
あまりにも素晴らしい歌声!
わたしと同い年とは思えない。スタンドマイクはない。上方に吊るされたマイクのみである。よく声が持つなあ!と思いながら聞いていた。
千秋さんとの縁は、北山冬一郎である。
今回、北山の歌を一曲歌われた。「紫陽花」である。
『紫陽花』 北山冬一郎 詩 團伊玖磨 曲
そのひとと めぐりも逢はず
そのひとと 語らふを得ず
あはれ けふも
紫陽花の花は咲くなり
七月の陽もくるめき
そのひとと めぐりも逢はず
紫陽花の花は咲くなり
見事だった。
これは動画。↓
http://www.youtube.com/watch?v=pnb9cysHbp4
遠くからのチャチなデジカメで収録したので画像は悪いが、雰囲気は伝わるのでは?
さて、幻の詩人北山冬一郎である。
宮崎修二朗翁が昔、接触しておられた。そのお話をもとに以前、『KOBECCO』にミニ評伝を書いた。
酔っぱらいで、ウソつきで、ええかっこしいで、借金まみれで、最後は放浪をし、煙のごとく世間から消えてしまった詩人の話。
その北山の詩の何遍かに團伊玖磨が曲をつけている。
それが今も色んなコンサートで歌われている。
しかし、歌手は北山がどんな人だったか知らなかった。
ということで、この千秋さんも自分が歌う歌の作詞者のことを知りたくなり、この拙ブログにたどり着かれたのだった。
そのようなご縁でチケットを戴いたというわけ。
千秋さんが歌われる「紫陽花」を聞きながら、不思議な感覚に襲われた。
素晴らしい歌声が会場を満たしている。
それを満員の聴衆が感動を持って聞いている。
しかし、この歌の作詞者はあの北山冬一郎である。
北山がこの光景を知ったらどうだろうか?と思う。
・
行って良かった。
他のコーラスもレベルが高く良かった。
素晴らしいコンサートだった。
千秋さん、ありがとうございました。
そして、おめでとうございます。
『コーヒーカップの耳』
北山冬一郎をお調べの方に。
わたしのこのブログに、グーグルやヤフーなどでのアクセスが入ります。
その中で、度々「北山冬一郎」での検索によるアクセスが入ります。
そうしてこのブログにたどり着いて下さった方に申し上げます。
「北山冬一郎」については、昨年(2010年)10月号より、2011年2月号にかけて、タウン情報誌『KOBECCO』に詳しく書きました。興味のある方は、「KOBECCO」のホームページから、お問い合わせなり、バックナンバーの購読希望なりして頂ければありがたいです。
よろしくお願いいたします。 出石アカル
北山冬一郎に関しては、その後、上記の『KOBECCO』に書いたこと以外にも新しい資料を教えて下さる方がありました。どうしても詳しくお知りになりたい方はコメント下さい。
2012・2・24 akaru
追記 北山冬一郎については『触媒のうた』(今村欣史著・神戸新聞総合出版センター・1800円)に詳しく書きました。千葉にお住まいの梅崎英行氏が、論文の写しを送って下さる。
>
歌曲集「わがうた」の源流を探る
―北山冬一郎の生涯、そして二つの詩集、
「風の中の歌」と「祝婚歌」をもとに―
>
ざっと読んでみて、わたしは労作だと思う。
資料編含めると54ページになる。
ページ数はたいしたことないと思われるかもしれないが、一つ一つの記述の内容が大変なの
です。
みんな裏付けを取らねばならない。わたしが書くもののように面白おかしく書いていいわけで
はないのだから。
梅崎氏は音楽家です。
バリトン歌手でもある声楽家です。
論文は、前半で北山冬一郎という人間について論考し、後半で、それに基づく、詩から、團伊
久磨の作曲の意図などへ言及する。…。
などと私が解説するより、氏の論文の序論の冒頭を紹介しましょう。
というわけで、学術性の高いものです。
後半には楽譜もたくさん取り入れられている。
内容は、「よく調べておられる」と言うほかない。
長い時間をかけて、調査をされたのだ。地味な仕事です。偉いですねえ。
わたしなんぞは、宮翁さんの言葉の端にひっかかって、興味半分で北山冬一郎について調べ
て書き出したのですが、論文ともなると、汗を伴うものなのですね。
幻の詩人とされてきた北山冬一郎のことがこれで大分明らかになったわけで、今後の研究者
のためにもなるでしょう。
その一端にわたしも少しは関与できたということで、うれしいことでした。
梅崎氏は、これからも北山のことについては研究を進めたいとおっしゃっています。
氏も、北山冬一郎という、いかにも人間臭い詩人に魅かれるものを感じられたにちがいあり
ません。
北山冬一朗については『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター)に詳しく書きました。>
年賀状作り始めました。
今日まで手をつけてなくて多少焦り気味でした。
年末までに書かなくてはならない原稿も残してますし、エライことです。
>
将棋会、大人の部の忘年会でした。
食事会のあと、紅白に別れてのリレー将棋などで楽しみました。
これで、今年わたしが出かけて行く用事はお終いになりました。
>
明日24日(金)の「輪」のおすすめ定食は、
「手づくりハンバーグ」の予定です。
よろしくお願いいたします。
午後、一人で留守番してます。
原稿、書いてます。月刊『KOBECCO』12月号の原稿です。
と言っても先日草稿は書けていて、あと推敲して少々訂正し、字数を合すだけなのですが。
このパソコンで書いてます。裏でスピーカーつないでブルーグラス聞きながらです。
しかし、北山冬一郎という詩人は興味がつきません。
終戦直後に出した『祝婚歌』という詩集が評判になったらしいのですが、その後、波乱の人生
を歩んでいます。
『祝婚歌』からは、あの團伊玖磨が曲をつけ、今もコンサートで歌われています。youtubeで今
も聞くことができます。
しかし、歌手も、この北山冬一郎がどんな人物か知らないのですね。その北山と、我が宮崎
修二朗氏が昔、関わっておられたのですよね。
ああ、楽しい。
今書いているのは第三回目ですが、あとまだ続きます。
朝6時に起きて、家内とお墓の掃除に行く。
場所は芦屋に近い、森具にある。
小高い丘である。昔は海を行く船が見えたが、その後マンションなどが視界を遮ってしまっ
た。
teっちゃんがkohsatoとやって来る。仏さんのお参りに。
kohやって来るなり、家内に「ba~pa、誕生日おめでとう」と言う。ba~paには何よりのプレゼン
トだ。続いてsatoも「おめでとう」と。
よくしつけられている。
因みにうちでは、バーバのことをba-paと呼ばせている。そしてジージのことはji-tiである。
幻の詩人、北山冬一郎のことをそろそろ書こうと思っている。
宮崎翁から聞いた話と、わたしが多少調べたものを書いて、どこかに載せたいと思ってい
る。
前にも書いたが、北山には『祝婚歌』という詩集があり、その中から「ひぐらし」「紫陽花」など
何篇かに團伊玖磨が曲をつけている。そしてそれは今も歌い継がれていて、ユーチューブで
聞くことが出来る。
宮崎翁から聞いた話は貴重である。生前の北山を直接知る人は今ではもう宮崎翁をおい
てはないであろう。本名も聞いているが、今では誰も知らない。太宰治に繋がる話も興味深
い。ついでに書くが、あの日本民俗学の巨匠、柳田國男に直接取材した人も、もう宮崎翁を
おいては誰もいないということである。それはそうでしょう。晩年の柳田を取材した時、宮崎翁
はまだ30そこそこの駆け出し(ご本人の説)の記者だったのだから。
その宮崎翁に「輪」は可愛がってもらっているのだ。なんと光栄なことであろうか。
宮崎翁、今88歳。まだまだお元気でいてもらいたいものである。
さて北山冬一郎、どんな風に書こうかと、今、構想を練っています。
詩集、『祝婚歌』初版本です。 ↓
驚きました。ネットで調べたら、古書価格、45000円となってました。
おろそかに扱えませんねえ。
追記
北山冬一朗については『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター・2017年刊)に詳しく書きました。
子ども将棋教室に行ってきました。
市教委主催の「宮水ジュニア学園」です。
今年度第一回目。用海公民館です。
1時間半の講座ですが、前半をわたしが講義して、後半はフリー対局を助手の人たちと指導
します。
今日は土曜参観日の学校も何校かあって、参加者は申し込み人数よりも少々少なかったで
すが、精いっぱい楽しく授業しました。
快い疲労感がありましたが、子どもたちからエネルギーをもらいました。
今読んでいる本『杉山平一・青をめざして』(安水稔和)のこのページを見て下さい。
杉山先生の発言の中の言葉です。
北山冬一郎という字が見えますか?
この詩人のこと気になります。
この詩人の『祝婚歌』という詩集から、團伊玖磨が作曲した「ひぐらし」、「紫陽花」は今もコン
サートで歌われている歌曲です。
その詩集『祝婚歌』(昭和21年1月20日発行)です。
幸い、わたし昨年古書店から初版本を信じられない安価で入手しましたが、珍本で、ネットで
は第二刷が今、35000円と出てます。
で、この北山冬一郎ですが、凄いエピソードがあることを、我が畏敬する宮崎修二朗氏から
聞きました。いつかどこかに書きます。
R君、動画を送ってくれる。
パソコンがたくさん並んだ仕事場から、自分を写しながら、近況を語ってくれている。
そら、変わりますわな、41年やもん。中学時代からなら50年。
覚悟はしてたけど…。
写し鏡のようにわたしも年取ったのだと、改めて思い知らされる。
しかし彼、いい顔になっている。昔通り優しい顔だ。さぞ苦労しただろうに、嫌な影が全くな
い。
やっぱりわたしの親友だった人だ。うれしいなあ!
「なんかボチボチとこの50年が取り戻せるような気がしてきました」と彼からのメールにある。
ホントお互いに、空白をゆっくり噛みしめながら埋めていこうと思う。