わたしのブログのカテゴリー欄。
そこに「杉山平一先生」というのを作ってある。
さっき、ふと見たら記事数が100になっていた。
いつも見ることはないのに偶然見たら100になっていて驚いた。
ということでこれは101回目の記事。
そこに「杉山平一先生」というのを作ってある。
さっき、ふと見たら記事数が100になっていた。
いつも見ることはないのに偶然見たら100になっていて驚いた。
ということでこれは101回目の記事。
「風媒花」という詩誌に同人として参加していた。
岩川昌子さんという神戸長田の詩人が編集発行していた。
彼女は優れた詩を書く人だが、一冊の詩集も出してはいない。
同人仲間の詩集を手づくりで何冊か出した。自分のものは出さずにである。
わたしの口頭詩集二冊も彼女の手になる。
「詩集を持たない詩人がいてもいいでしょ?」と彼女は言っていた。
さて「風媒花」。
その39号(2001年5月発行)に杉山平一先生から随想を寄稿して頂いている。
無名の者が集まる同人誌である。よもや杉山先生から原稿を寄せて頂けるとは思っていなかった。わずかの稿料しかお出しできなかったと思う。岩川さんの手柄である。
その随想。「岡目八目」。杉山先生らしい視線の文。
これはほかには出ていないものです。
杉山先生の新しい随想集、出ないかなあ。集めれば、量はたっぷりあると思うのだが。ノアさんお願いします。
岩川昌子さんという神戸長田の詩人が編集発行していた。
彼女は優れた詩を書く人だが、一冊の詩集も出してはいない。
同人仲間の詩集を手づくりで何冊か出した。自分のものは出さずにである。
わたしの口頭詩集二冊も彼女の手になる。
「詩集を持たない詩人がいてもいいでしょ?」と彼女は言っていた。
さて「風媒花」。
その39号(2001年5月発行)に杉山平一先生から随想を寄稿して頂いている。
無名の者が集まる同人誌である。よもや杉山先生から原稿を寄せて頂けるとは思っていなかった。わずかの稿料しかお出しできなかったと思う。岩川さんの手柄である。
その随想。「岡目八目」。杉山先生らしい視線の文。
これはほかには出ていないものです。
杉山先生の新しい随想集、出ないかなあ。集めれば、量はたっぷりあると思うのだが。ノアさんお願いします。
安水稔和先生からお贈り頂きました。
詩集『春よめぐれ』(ノア詩文庫)です。
ノアさん、文庫本も出しておられるのですね。知らなかった。
この『春よめぐれ』ですが、震災詩集です。これまで安水先生が書き続けてこられた震災詩集は三冊あるが、その中から択ばれたもの130篇ということです。
今、中ほどまで読んだところだが、あの震災のころが甦ってきて涙もよおすこともしばしば。
先生の震災詩は省略が効いていて、書かれた当時、わたしにはちょっと物足りなかった覚えがあるが、20年の時を経てこうして読むと、普遍性があっていいなと思う。後世に残る詩集だと思う。先生自身が撮られた写真が何点か掲載されているが、生々しくて、これも貴重だ。
詩集『春よめぐれ』(ノア詩文庫)です。
ノアさん、文庫本も出しておられるのですね。知らなかった。
この『春よめぐれ』ですが、震災詩集です。これまで安水先生が書き続けてこられた震災詩集は三冊あるが、その中から択ばれたもの130篇ということです。
今、中ほどまで読んだところだが、あの震災のころが甦ってきて涙もよおすこともしばしば。
先生の震災詩は省略が効いていて、書かれた当時、わたしにはちょっと物足りなかった覚えがあるが、20年の時を経てこうして読むと、普遍性があっていいなと思う。後世に残る詩集だと思う。先生自身が撮られた写真が何点か掲載されているが、生々しくて、これも貴重だ。
ちょっと所用でやって来たkoh一家。だが、kohだけがうちに残りsatoたち家族は外出。
で、kohの勉強を見てやる。
昔はhitoshiやkiyoの勉強をよく見てやったものだ。
国語と算数をアドバイスしながら見てやったのだが、楽しかった。
で、kohの勉強を見てやる。
昔はhitoshiやkiyoの勉強をよく見てやったものだ。
国語と算数をアドバイスしながら見てやったのだが、楽しかった。
『KOBECCO』1月号が届きました。
表紙に注目。
芦屋神社です。芦屋天神社でもあります。
昔、杉山平一先生がご近所にお住まいで、ご子息の病治癒を願って毎夜日参された神社。そのことは先生、詳しく書かれている。
その時のことと関連がある詩がこれうちにある生原稿です。
表紙に注目。
芦屋神社です。芦屋天神社でもあります。
昔、杉山平一先生がご近所にお住まいで、ご子息の病治癒を願って毎夜日参された神社。そのことは先生、詳しく書かれている。
その時のことと関連がある詩がこれうちにある生原稿です。
一度行きたいと思いながらまだ果たしていない、田辺聖子文学館。
その展示品解説の冊子(11頁)を、本好きのお客さま、T石さんが先日お持ち下さった。
興味深く読ませて頂きました。
田辺さんのことについては今年夏に「KOBECCO」に三ヶ月にわたって連載させて頂いた。その時調べたことや宮崎修二朗翁に聞いた話などに関するものもこの冊子に載っている。
また、わたしがまだ田辺さんのことを全く知らない頃に芥川賞作の『感傷旅行』を読んだことがあり、その初版本は今もわたしの本棚にある。50年ぶりにまたもう一度読んでみたくなった。
その展示品解説の冊子(11頁)を、本好きのお客さま、T石さんが先日お持ち下さった。
興味深く読ませて頂きました。
田辺さんのことについては今年夏に「KOBECCO」に三ヶ月にわたって連載させて頂いた。その時調べたことや宮崎修二朗翁に聞いた話などに関するものもこの冊子に載っている。
また、わたしがまだ田辺さんのことを全く知らない頃に芥川賞作の『感傷旅行』を読んだことがあり、その初版本は今もわたしの本棚にある。50年ぶりにまたもう一度読んでみたくなった。
お贈り頂いてから、大分日にちが経過している。
色々と忙しいもので、やっと読ませて頂きました。
島すなみ詩集『ホーム・スイート・ホーム』(編集工房ノア)です。
作者はわたしには未知の人です。これも多分、編集工房ノアの涸沢さんの意によるものでしょう。
あとがきを紹介します。
クリックで拡大します。
ということで、大阪文学学校で詩の勉強をなさっている方ですね。
奥付けを見ると、わたしより4歳年下のご婦人です。まあ、同年代ということにしておきましょうか。
ざっと読ませて頂いて感じたのは、誠実感のある詩だと思いました。エエカッコして奇を衒うというようなことがなく好感が持てました。ともすれば自分の実力を過信して、読む者を戸惑わすような詩集も世に多いのですが、そんなことはなく安心して読める詩ばかりでした。だからと言って、レベルが低いわけでもありません。要するに誠実に自分に向き合って詩を書いておられる人、という気がしました。
一篇、表題詩を紹介します。
「ホーム・スイート・ホーム」です。目前に様子がありありと見えます。
島様、ありがとうございました。今後とものご健筆をお祈り申し上げます。
色々と忙しいもので、やっと読ませて頂きました。
島すなみ詩集『ホーム・スイート・ホーム』(編集工房ノア)です。
作者はわたしには未知の人です。これも多分、編集工房ノアの涸沢さんの意によるものでしょう。
あとがきを紹介します。
クリックで拡大します。
ということで、大阪文学学校で詩の勉強をなさっている方ですね。
奥付けを見ると、わたしより4歳年下のご婦人です。まあ、同年代ということにしておきましょうか。
ざっと読ませて頂いて感じたのは、誠実感のある詩だと思いました。エエカッコして奇を衒うというようなことがなく好感が持てました。ともすれば自分の実力を過信して、読む者を戸惑わすような詩集も世に多いのですが、そんなことはなく安心して読める詩ばかりでした。だからと言って、レベルが低いわけでもありません。要するに誠実に自分に向き合って詩を書いておられる人、という気がしました。
一篇、表題詩を紹介します。
「ホーム・スイート・ホーム」です。目前に様子がありありと見えます。
島様、ありがとうございました。今後とものご健筆をお祈り申し上げます。
昨日お見えの山崎さんだが、同人誌をなさっていて最新号を携えて来て下さった。
「小手毬」という。
山崎さんの詩二篇。
「笑い」と「当店は「時間です」」です。
二年前に出された詩集『神様の憂うつ』の詩とは大いに違って来ている。
以前は結構饒舌だったのだが今回のは省略が効いていて「あれ?」と思った。どちらがいいかはわたしにはよく分からない。以前の饒舌体の方が個性が出ていると思うのだが。
この「小手毬」は大阪文学学校での仲間が同人になっておられる。
その時のチューターが中塚鞠子さんだったと。
その中塚さんの作品「どうぞこちらへいらっしゃい」です。
サブタイトルに「広部英一さんへ」とあります。
この広部さんを知ってなければこの詩は理解できないように思う。
どうやらお亡くなりになったのですね。
わたしの頭の片隅にこのお名前ありました。
もちろんお会いしたことはありません。
14年前に『コーヒーカップの耳』を安水先生の指示でお送りしていて、その返礼のハガキが。
お亡くなりになったのだとしたらご冥福をお祈りいたします。
人の縁がこうして繋がってゆく不思議を今日も感じさせて頂きました。
「小手毬」という。
山崎さんの詩二篇。
「笑い」と「当店は「時間です」」です。
二年前に出された詩集『神様の憂うつ』の詩とは大いに違って来ている。
以前は結構饒舌だったのだが今回のは省略が効いていて「あれ?」と思った。どちらがいいかはわたしにはよく分からない。以前の饒舌体の方が個性が出ていると思うのだが。
この「小手毬」は大阪文学学校での仲間が同人になっておられる。
その時のチューターが中塚鞠子さんだったと。
その中塚さんの作品「どうぞこちらへいらっしゃい」です。
サブタイトルに「広部英一さんへ」とあります。
この広部さんを知ってなければこの詩は理解できないように思う。
どうやらお亡くなりになったのですね。
わたしの頭の片隅にこのお名前ありました。
もちろんお会いしたことはありません。
14年前に『コーヒーカップの耳』を安水先生の指示でお送りしていて、その返礼のハガキが。
お亡くなりになったのだとしたらご冥福をお祈りいたします。
人の縁がこうして繋がってゆく不思議を今日も感じさせて頂きました。
大阪文学学校で、杉山平一先生のことを調べて書いておられるというN村さんが、三木の山崎さんとご来店。
大分研究されてる様子だ。
このN村さん、元々技術屋さん。ということで杉山先生に通じる所も。
お話を聞いていると、杉山先生のご尊父のことにも興味をお持ちで、話が新鮮だ。
文学とはまったく違った角度からのお話は面白かった。いずれ文章に残されることになる。それを読ませて頂くのが楽しみだ。
大分研究されてる様子だ。
このN村さん、元々技術屋さん。ということで杉山先生に通じる所も。
お話を聞いていると、杉山先生のご尊父のことにも興味をお持ちで、話が新鮮だ。
文学とはまったく違った角度からのお話は面白かった。いずれ文章に残されることになる。それを読ませて頂くのが楽しみだ。
今年最後の「生き生き体操」から帰って来たカアチャンがプレゼント交換で持って帰ってきました。
ゆらゆら人形、三体。
偶然、昨日Hさんが持って来て下さったのと同じような物。
ゆらゆら人形、三体。
偶然、昨日Hさんが持って来て下さったのと同じような物。
常連さんの松本行史さんだが、大正15年のお生まれ。
ご自分では昭和元年だとおっしゃる。
90歳に近いが頭はしっかりしておられる。
この人、隣の用海小学校の卒業生。
それで今日、用海小学校100周年記念誌を見せてあげた。
その中のこのページにいたく感動された。
「懐かしい、懐かしい」を連発。
80年ほど昔の話を次々とご披露下さる。
学校の様子。地域の様子。
興味深いこといっぱいある。これは機会を見て録音させて頂かなくてはならない。
中で、「葛馬酒造」という言葉が出て来て驚いた。近所にあったというのだ。初めて聞いた。
今「宮っ子」用海版の編集長が葛馬さんだ。きっと関連があるのだろう。一度聞いてみよう。
それからこのページに載っている、昔の用海小学校の校歌。
歌詞は載っているが楽譜がない。曲がわからない。
用海小学校にも残ってないのでは?たしかそんなことを聞いた覚えがある。
ということで「歌ってみて」と頼んだ。すると、ちょっとだけ歌えた。これは録音させてもらわなくては、と思ったが、「いやや」と言って帰って行かれた。
また機会を見て…。
ご自分では昭和元年だとおっしゃる。
90歳に近いが頭はしっかりしておられる。
この人、隣の用海小学校の卒業生。
それで今日、用海小学校100周年記念誌を見せてあげた。
その中のこのページにいたく感動された。
「懐かしい、懐かしい」を連発。
80年ほど昔の話を次々とご披露下さる。
学校の様子。地域の様子。
興味深いこといっぱいある。これは機会を見て録音させて頂かなくてはならない。
中で、「葛馬酒造」という言葉が出て来て驚いた。近所にあったというのだ。初めて聞いた。
今「宮っ子」用海版の編集長が葛馬さんだ。きっと関連があるのだろう。一度聞いてみよう。
それからこのページに載っている、昔の用海小学校の校歌。
歌詞は載っているが楽譜がない。曲がわからない。
用海小学校にも残ってないのでは?たしかそんなことを聞いた覚えがある。
ということで「歌ってみて」と頼んだ。すると、ちょっとだけ歌えた。これは録音させてもらわなくては、と思ったが、「いやや」と言って帰って行かれた。
また機会を見て…。