東北の女道化師「ぶんぶん」さん、こと森文子さんのHPを久しぶりに(ワード検索で)覗いてみた。
すると一年半も前に『恒子抄』について丁寧な感想を書いて下さっていてびっくり。
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彼女とわたしとのなれそめも書かれていて感動した。
そのHP、「新月兎企画」です。
すると一年半も前に『恒子抄』について丁寧な感想を書いて下さっていてびっくり。
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彼女とわたしとのなれそめも書かれていて感動した。
そのHP、「新月兎企画」です。
『恒子抄』の続編を出す時のために。
笑い話二題。
○ 「まぶしい顔」
浜辺美波さんがテレビに写っている。
「こんなきれいな人がそばにいたら困るな。そわそわしてしまう」
妻、「うれしいんちゃうん?」
わたし、「どこ見てええんかわからん」
「顔見たいんちゃうん?」
「まぶしいやん」
「よかったね。うちではまぶしくなくて」
「まあまあ、まぶしいで。あれほどではないけどな」
例によって「ガハハハ」と笑われた。
○ 「備忘メモ」
食器棚の引き出しの2番目を指して、
「ここに入れておくからね」と妻。
足がつった時の薬。
「覚えておく自信がないなあ」。
「メモ貼っておこうか?」。
「いや、それすると、この家にはボケ老人がいると思われそうでいややなあ」。
笑い話二題。
○ 「まぶしい顔」
浜辺美波さんがテレビに写っている。
「こんなきれいな人がそばにいたら困るな。そわそわしてしまう」
妻、「うれしいんちゃうん?」
わたし、「どこ見てええんかわからん」
「顔見たいんちゃうん?」
「まぶしいやん」
「よかったね。うちではまぶしくなくて」
「まあまあ、まぶしいで。あれほどではないけどな」
例によって「ガハハハ」と笑われた。
○ 「備忘メモ」
食器棚の引き出しの2番目を指して、
「ここに入れておくからね」と妻。
足がつった時の薬。
「覚えておく自信がないなあ」。
「メモ貼っておこうか?」。
「いや、それすると、この家にはボケ老人がいると思われそうでいややなあ」。
今朝、PCを開けると届いていたメール。
今村様・奥様
おはようございます。
「結婚記念日」おめでとうございます。
「椿の小径」の撮影日が4月22日でした。
「椿」の花言葉は「控えめな優しさ」「誇り」です。
お二人にぴったりですね。
これからもよろしくお願いいたします。
Y田洋三・禮子
よくぞ覚えて下さっていたものだ。
美しい椿の写真が添えられていたが、その花言葉はわたしどもではなく、このY田ご夫妻にこそ似合う。
ことに令夫人に。
わたしどもは結婚51周年だが、昨年から今年にかけて大変な日々だった。
でもなんとか、ここまでは乗り越えられた。二人だからこそかもしれない。
昨年は記念詩集『恒子抄』
を作成したのだが、今年は何も間に合わなかった。
あと9年後に完成させようか、60周年記念詩集を。
ところで、今朝の妻。
お地蔵さんのお参りからなかなか帰ってこない。
迎えに行くと、家の周りのプランターの花に水やりをしている。
「花が水くれ~言うてるから」と言う。
わたしは、「聞こえたことないけどな~」。
今村様・奥様
おはようございます。
「結婚記念日」おめでとうございます。
「椿の小径」の撮影日が4月22日でした。
「椿」の花言葉は「控えめな優しさ」「誇り」です。
お二人にぴったりですね。
これからもよろしくお願いいたします。
Y田洋三・禮子
よくぞ覚えて下さっていたものだ。
美しい椿の写真が添えられていたが、その花言葉はわたしどもではなく、このY田ご夫妻にこそ似合う。
ことに令夫人に。
わたしどもは結婚51周年だが、昨年から今年にかけて大変な日々だった。
でもなんとか、ここまでは乗り越えられた。二人だからこそかもしれない。
昨年は記念詩集『恒子抄』
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あと9年後に完成させようか、60周年記念詩集を。
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ところで、今朝の妻。
お地蔵さんのお参りからなかなか帰ってこない。
迎えに行くと、家の周りのプランターの花に水やりをしている。
「花が水くれ~言うてるから」と言う。
わたしは、「聞こえたことないけどな~」。
この前、図書館に行った時に「リサイクル図書」のコーナーにあった本。
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『丘の明り』(庄野潤三著・昭和42年刊)です。
頂いてきました。
中の「蒼天」という小説を読んでいて、「ほほう!」と思った場面。
《子供を抱いて走つた時の始りから終りまでは、映畫の中のひとつの場面のやうに覺えてゐながら、それが自分の過去の月日のうちのどのあたりに嵌め込まれるべきことなのか分からない。さうなると、その背景となる生活そのものが、何やら霞にでも包まれたやうな、頼りないものに思はれて来るのだつた。》
まるで私がこの春に出した詩集『恒子抄』の最後の二行ではないか。
《五十年の見境がつかない あれはいったいどのあたりなのだろう。》
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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『丘の明り』(庄野潤三著・昭和42年刊)です。
頂いてきました。
中の「蒼天」という小説を読んでいて、「ほほう!」と思った場面。
《子供を抱いて走つた時の始りから終りまでは、映畫の中のひとつの場面のやうに覺えてゐながら、それが自分の過去の月日のうちのどのあたりに嵌め込まれるべきことなのか分からない。さうなると、その背景となる生活そのものが、何やら霞にでも包まれたやうな、頼りないものに思はれて来るのだつた。》
まるで私がこの春に出した詩集『恒子抄』の最後の二行ではないか。
《五十年の見境がつかない あれはいったいどのあたりなのだろう。》
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
昨日、詩人で連句の宗匠鈴木漠さんからお贈りいただいた「おたくさ」61号だが、
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「後記の為の後記」に注目。
《もし、詩や連句の世界に鈴木がいかほどか貢献を成し得たとするならば、それは荊妻恒子の包容力と助力の賜物である。半世紀、何も報ゆる事が出来なかったことを恥じつつ、明記しておきたい。》
これを読んだときわたしは、(あ、鈴木さん、わたしに影響されたな)と思った。
わたしは4月に拙詩集『恒子抄』を鈴木さんにもお贈りしている。その詩集の「あとがき」にわたしはこう書いている。
《尚、巻末に記した著作物はすべて、恒子の支えがなければ生まれなかった。ありがとう。》と。
鈴木夫人のお名前も「恒子」さんである。
「ハッ」と思われたに違いない。
と思ったのだが、おかしい。
昨日お贈りいただいたのに、発行日が「2022年3月31日」となっている。
え?いまごろですか?
3月発行ならば、わたしの『恒子抄』はまだ手にしてはおられない。
不思議だ。
追記
これと同じ記事をFBにも上げていたのだが、そこに詩人梅村さんからコメントが入った。
梅村さんは「おたくさ」の同人です。
《今村さん、実は3月31日発行で準備されていたのですが、入院中が続き結局二か月遅れの5月末に発行されました。ということで、後記はその直前に書かれたと思われ、「恒子抄」は目にされていたのでしょう。》
そうだったのか。で、不思議解消しました。
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「後記の為の後記」に注目。
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《もし、詩や連句の世界に鈴木がいかほどか貢献を成し得たとするならば、それは荊妻恒子の包容力と助力の賜物である。半世紀、何も報ゆる事が出来なかったことを恥じつつ、明記しておきたい。》
これを読んだときわたしは、(あ、鈴木さん、わたしに影響されたな)と思った。
わたしは4月に拙詩集『恒子抄』を鈴木さんにもお贈りしている。その詩集の「あとがき」にわたしはこう書いている。
《尚、巻末に記した著作物はすべて、恒子の支えがなければ生まれなかった。ありがとう。》と。
鈴木夫人のお名前も「恒子」さんである。
「ハッ」と思われたに違いない。
と思ったのだが、おかしい。
昨日お贈りいただいたのに、発行日が「2022年3月31日」となっている。
え?いまごろですか?
3月発行ならば、わたしの『恒子抄』はまだ手にしてはおられない。
不思議だ。
追記
これと同じ記事をFBにも上げていたのだが、そこに詩人梅村さんからコメントが入った。
梅村さんは「おたくさ」の同人です。
《今村さん、実は3月31日発行で準備されていたのですが、入院中が続き結局二か月遅れの5月末に発行されました。ということで、後記はその直前に書かれたと思われ、「恒子抄」は目にされていたのでしょう。》
そうだったのか。で、不思議解消しました。
「兵庫県現代詩協会」の会報51号に会長の時里二郎氏(神戸新聞文芸欄選者)による書評欄がある。
ここ5年の間に出した拙著4冊も、その時々にきっちりと読んでくださり著者の思いを正しくくみ取り、評してくださった。
今回の「恒子抄」については少し迷ったが、わたしの良き理解者だと思い、お送りした。

すると、やはり作者の想いを理解し、限られた行数の中で見事に評してくださっていた。

うれしいことだった。
※引用された詩に誤植があります。
二行目、「朝起きるのは後だからだ」を「朝起きるのは後からだ」に訂正お願いいたします。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
ここ5年の間に出した拙著4冊も、その時々にきっちりと読んでくださり著者の思いを正しくくみ取り、評してくださった。
今回の「恒子抄」については少し迷ったが、わたしの良き理解者だと思い、お送りした。
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すると、やはり作者の想いを理解し、限られた行数の中で見事に評してくださっていた。
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うれしいことだった。
※引用された詩に誤植があります。
二行目、「朝起きるのは後だからだ」を「朝起きるのは後からだ」に訂正お願いいたします。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
『恒子抄』は少部数発行でしたので、ごく身近な人にしかお送りしておりません。
届いてない友人さんには申し訳ないことですがご理解ください。
そんな中で、わたしが大好きな宍粟の詩人、西川保市さんにはお送りしていました。
ご高齢(1923年生まれ)ですのでご返事は期待しておりませんでしたが、このほど返信がありました。
「字が書けなくて礼状を差し上げることができませんでした」とありました。
そのあと縷々書いてくださっていて、こんなことを書いて下さっていました。
《このあと五年が過ぎたら「恒子抄 二」、その後 五年経ったら「恒子抄 三」を出してください。(略)生きていて読みたい気がしますが、そのころ私はおりません。》と。
この詩人は80歳のころに奥様とのことを書かれた『大切な人』という素晴らしい詩集があります。

わたしの『恒子抄』より余ほど深みのある詩集です。
そうだ、この人のこと、以前「KOBECCO」に書かせてもらったことがあります。
届いてない友人さんには申し訳ないことですがご理解ください。
そんな中で、わたしが大好きな宍粟の詩人、西川保市さんにはお送りしていました。
ご高齢(1923年生まれ)ですのでご返事は期待しておりませんでしたが、このほど返信がありました。
「字が書けなくて礼状を差し上げることができませんでした」とありました。
そのあと縷々書いてくださっていて、こんなことを書いて下さっていました。
《このあと五年が過ぎたら「恒子抄 二」、その後 五年経ったら「恒子抄 三」を出してください。(略)生きていて読みたい気がしますが、そのころ私はおりません。》と。
この詩人は80歳のころに奥様とのことを書かれた『大切な人』という素晴らしい詩集があります。
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わたしの『恒子抄』より余ほど深みのある詩集です。
そうだ、この人のこと、以前「KOBECCO」に書かせてもらったことがあります。
夫婦ともに親しくしているある人に『恒子抄』を差し上げたのだが、その人(拙著『完本コーヒーカップの耳』を本屋さんで購入して下さり、周りに宣伝してくださった人)が、奥付にある編集・印刷のMさんに電話をされたとのこと。
編集者にまで電話が入ることは珍しいことだと、その内容を事細かく教えてくださって感動しました。
それをごくごく短く、二十分の一ぐらいにわたしが要約しました。
《おたくで印刷した本を頂きましてね。
この表紙の色と中の色と、とっても素敵でね、最初藤色に気がつかなかったんですけどね、もう一度開いてみたら、いやぁ、こんな色があったんだと思って。
ほんでこの何ていうか、字ね、天眼鏡でないと読めないのでは?と思たけどね、メガネなしで読めましてね。
私にはもう間に合わないですけどね、この夫婦みたいにほんと行きたいですよね…。
本を読んでね、感動してね、後でこんなに涙が出てきたの初めてです。
私もね、年いってしまってね、80すぎてしまったんですよ。それでこんなに一気に本が読めるなんて、本当。有難うございました。わたしもまたなにか印刷をお願いすることがあるかもしれませんが…。》

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笑いはしても泣ける本ではないと思うんですが。
手のひらに乗るほどの袖珍本です。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
編集者にまで電話が入ることは珍しいことだと、その内容を事細かく教えてくださって感動しました。
それをごくごく短く、二十分の一ぐらいにわたしが要約しました。
《おたくで印刷した本を頂きましてね。
この表紙の色と中の色と、とっても素敵でね、最初藤色に気がつかなかったんですけどね、もう一度開いてみたら、いやぁ、こんな色があったんだと思って。
ほんでこの何ていうか、字ね、天眼鏡でないと読めないのでは?と思たけどね、メガネなしで読めましてね。
私にはもう間に合わないですけどね、この夫婦みたいにほんと行きたいですよね…。
本を読んでね、感動してね、後でこんなに涙が出てきたの初めてです。
私もね、年いってしまってね、80すぎてしまったんですよ。それでこんなに一気に本が読めるなんて、本当。有難うございました。わたしもまたなにか印刷をお願いすることがあるかもしれませんが…。》
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笑いはしても泣ける本ではないと思うんですが。
手のひらに乗るほどの袖珍本です。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
詩集『恒子抄』を縁の深い人にお送りしてから一月以上になるが、
まだポツリポツリと便りが来る。
昨日は親しくしているお寺の老僧(91歳)より。
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和紙に毛筆で。
あまりに見事な筆跡なので、表装して飾りたいぐらい。
そして今日は、土曜日だから郵便は来ないはずなのに、郵便屋さんのバイクの音が。
おかしいな?と思って郵便受けを見ると速達が。

これはわたしが詩を書き始めたころ、もう40年以上も昔に初めての同人誌「地平線」を一緒にやった人。
便せんだが、長い巻紙状のもの。
こんなのがあるんですね。
返信を読ませてもらうのも楽しみなことでした。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
まだポツリポツリと便りが来る。
昨日は親しくしているお寺の老僧(91歳)より。
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和紙に毛筆で。
あまりに見事な筆跡なので、表装して飾りたいぐらい。
そして今日は、土曜日だから郵便は来ないはずなのに、郵便屋さんのバイクの音が。
おかしいな?と思って郵便受けを見ると速達が。
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これはわたしが詩を書き始めたころ、もう40年以上も昔に初めての同人誌「地平線」を一緒にやった人。
便せんだが、長い巻紙状のもの。
こんなのがあるんですね。
返信を読ませてもらうのも楽しみなことでした。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
詩はなぜ書くのだろう?
誰に向かって書くのだろう?
小説やエッセイなどは媒体の読者(世間)に向かって書くということだろう。
しかし、詩はちょっと違う感じがする。これはわたしの場合というべきだろうが。
以前、孫の詩を書いていた時は、発表誌の読者へというよりも、孫へという意味が強かったと思う。
今(その時は幼くて)読むことが出来なくても、その孫が大きくなった時に読んでくれたらいいな、というように。
そしてこの度の妻のことを書いた『恒子抄』は、間違いなく妻を読者として書いたものだ。

結果的に、わずかではあっても知人が読んでくださったということはあるが。
さて、これからは誰に向けて書こうか?
自分に向けて書くのもいいか。
誰に向かって書くのだろう?
小説やエッセイなどは媒体の読者(世間)に向かって書くということだろう。
しかし、詩はちょっと違う感じがする。これはわたしの場合というべきだろうが。
以前、孫の詩を書いていた時は、発表誌の読者へというよりも、孫へという意味が強かったと思う。
今(その時は幼くて)読むことが出来なくても、その孫が大きくなった時に読んでくれたらいいな、というように。
そしてこの度の妻のことを書いた『恒子抄』は、間違いなく妻を読者として書いたものだ。
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結果的に、わずかではあっても知人が読んでくださったということはあるが。
さて、これからは誰に向けて書こうか?
自分に向けて書くのもいいか。
詩集『恒子抄』だが、奥付にこれまでに作った著作物を並べた。
全部で30冊。
←クリック。
ところが忘れていたのがあった。
『つきひ』という詩集Ⅰ~Ⅲ。

和書風手作り冊子。たしか詩友の今は亡き堀川さんから頂いた彼女手製の冊子。
これにわたしが手書きしている。
すべて家族のことを書いたもの。悪筆です。とても人様には見せられない。
冒頭の詩は「今日が終わって」。1981年1月の作。41年前だ。
そして巻末の詩は2004年作の「恒子」。
因みに「つきひ」とは、わたしたち家族四人の名前の頭文字を並べたもの。
「つねこ」「きんじ」「きよ」「ひとし」ということで、「き」が二人いるが。
「今日が終わって」
夕刻より妻は公民館へ出かけている
二人の子どもは もう二階へ上がって寝ている
衣服が脱いだままの姿で散らかっている
冷蔵庫がかすかに地虫のような声を立てている
ストーブにかけられたやかんが
ちんちんと
独り言をつぶやいている
その上に吊るされた日めくりごよみが
かさかさとささやいている
時おり明日の日付が顔を出す
外は少し風が出てきた様子
明日は寒くなりそうである。
何の創意もない初期の作品だが、懐かしい。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
全部で30冊。
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ところが忘れていたのがあった。
『つきひ』という詩集Ⅰ~Ⅲ。
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和書風手作り冊子。たしか詩友の今は亡き堀川さんから頂いた彼女手製の冊子。
これにわたしが手書きしている。
すべて家族のことを書いたもの。悪筆です。とても人様には見せられない。
冒頭の詩は「今日が終わって」。1981年1月の作。41年前だ。
そして巻末の詩は2004年作の「恒子」。
因みに「つきひ」とは、わたしたち家族四人の名前の頭文字を並べたもの。
「つねこ」「きんじ」「きよ」「ひとし」ということで、「き」が二人いるが。
「今日が終わって」
夕刻より妻は公民館へ出かけている
二人の子どもは もう二階へ上がって寝ている
衣服が脱いだままの姿で散らかっている
冷蔵庫がかすかに地虫のような声を立てている
ストーブにかけられたやかんが
ちんちんと
独り言をつぶやいている
その上に吊るされた日めくりごよみが
かさかさとささやいている
時おり明日の日付が顔を出す
外は少し風が出てきた様子
明日は寒くなりそうである。
何の創意もない初期の作品だが、懐かしい。
『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
サンマーク出版の元編集長で、現在「株式会社なないち 代表取締役」の鈴木七沖さんのFBからです。
自らを「編集師」と呼んでおられます。
作家のドリアン助川さんのご縁から
詩人・今村欣史さんとご縁がつながったのは
2015年の12月29日。
欣史さんが兵庫県神戸市(ママ)で営まれている
「喫茶 輪」を訪ねたのが最初でした。
笑顔で迎えてくれた欣史さんは、
ご自身が書かれた詩集を開きながら、
喫茶店のカウンター越しに味わった
様々な人間模様を聴かせてくれました。
もう7年半前の出会いです。
先日、久しぶりに欣史さんから封書が届きました。
他の郵便物に紛れていて開封が遅れたのですが、
小さな詩集が同封されていました。
『詩集 恒子抄』
な、なんと! 結婚50周年を記念して、
欣史さんが奥様のために制作した詩集だったのです。
50年も寄り添うなんて、
どんな気持ちなんだろう(お互いに)。
僕なんて、たった6年で死別しちゃったから、
まったく想像もつきません。
全39編(サンキュー?)の詩の中で
思わず胸キュンになった作品がありました。
紹介させてください。
☆
「二人きり」
二人きりの生活になって
もうどれほどになるのだろう
家の中に一ヶ所
きわめて狭い通路がある
恒子がときにそこで用事をしている
通り抜けるには
どうしてもからだがふれあってしまう
そしてわたしは
(一行省略)
わたし七十八歳
恒子七十四歳
だれだ 笑っているのは。
☆
欣史兄さん、とっても素敵です
2011年、自作のドキュメンタリー映画を広めるために始めたFacebook。ちょうど11年間続けてきて、いちばん感謝しているのは、たくさんの感性豊かな方々とご縁がつながったことです。
有名無名なんて、どーでもいい。「自分の言葉」をお持ちの方々との交流は、ものすごい刺激を僕にプレゼントしてくれました。
欣史兄さんも、その1人。普段、お会いすることはないけれど、存在していてくださるだけで触発されるアーティストです。
『恒子抄』もし読みたい人がいたら、どうすればいいんだろうか? できれば僕と同世代か、もしくは先輩たちの世代にこそ読んでいただきたい!
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鈴木さんはこう書いて下さっていますが、『恒子抄』は少部数発行でしたので残念ながらご要望には応えられません。
自らを「編集師」と呼んでおられます。
作家のドリアン助川さんのご縁から
詩人・今村欣史さんとご縁がつながったのは
2015年の12月29日。
欣史さんが兵庫県神戸市(ママ)で営まれている
「喫茶 輪」を訪ねたのが最初でした。
笑顔で迎えてくれた欣史さんは、
ご自身が書かれた詩集を開きながら、
喫茶店のカウンター越しに味わった
様々な人間模様を聴かせてくれました。
もう7年半前の出会いです。
先日、久しぶりに欣史さんから封書が届きました。
他の郵便物に紛れていて開封が遅れたのですが、
小さな詩集が同封されていました。
『詩集 恒子抄』
な、なんと! 結婚50周年を記念して、
欣史さんが奥様のために制作した詩集だったのです。
50年も寄り添うなんて、
どんな気持ちなんだろう(お互いに)。
僕なんて、たった6年で死別しちゃったから、
まったく想像もつきません。
全39編(サンキュー?)の詩の中で
思わず胸キュンになった作品がありました。
紹介させてください。
☆
「二人きり」
二人きりの生活になって
もうどれほどになるのだろう
家の中に一ヶ所
きわめて狭い通路がある
恒子がときにそこで用事をしている
通り抜けるには
どうしてもからだがふれあってしまう
そしてわたしは
(一行省略)
わたし七十八歳
恒子七十四歳
だれだ 笑っているのは。
☆
欣史兄さん、とっても素敵です
2011年、自作のドキュメンタリー映画を広めるために始めたFacebook。ちょうど11年間続けてきて、いちばん感謝しているのは、たくさんの感性豊かな方々とご縁がつながったことです。
有名無名なんて、どーでもいい。「自分の言葉」をお持ちの方々との交流は、ものすごい刺激を僕にプレゼントしてくれました。
欣史兄さんも、その1人。普段、お会いすることはないけれど、存在していてくださるだけで触発されるアーティストです。
『恒子抄』もし読みたい人がいたら、どうすればいいんだろうか? できれば僕と同世代か、もしくは先輩たちの世代にこそ読んでいただきたい!
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鈴木さんはこう書いて下さっていますが、『恒子抄』は少部数発行でしたので残念ながらご要望には応えられません。