先日、甲東園の梅林に行った時、65年前に入学し、一ヶ月後に退学した県立西宮高校の正門で写真を撮った。
学校銘板のそばで。
記念にならるかと思いプリントした。
ところが設定ミスでモノクロになってしまった。
これがいい。
あの時代に一瞬戻ったような気になった。
imamuraさんの本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
先日、甲東園の梅林に行った時、65年前に入学し、一ヶ月後に退学した県立西宮高校の正門で写真を撮った。
学校銘板のそばで。
記念にならるかと思いプリントした。
ところが設定ミスでモノクロになってしまった。
これがいい。
あの時代に一瞬戻ったような気になった。
imamuraさんの本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
『ほどらいの恋』の中の「鬼が餅(あも)つく」ですが。
「おっこちゃん」という言葉が出て来る。そして、それに関連して次の一行。
《不意に上原は、記憶の底を揺すぶられた気がした。》
初めの方に出てきたのだが、これが物語の綾になり終盤にまで響いてくる。
わたしもこの「おっこちゃん」に記憶の奥の方を揺すぶられる、というほどではないが、触られる気がしたのだった。
幼稚園の時だから76年前。懐かしい話だ。
毎朝、近所のお姉ちゃんに手を引いてもらって浜脇幼稚園に通ったのだった。
そのお姉ちゃんは中学だったか高校だったか分からないが、同じ道で浜脇幼稚園より向こうにあったので、親が頼んでくれたようだった。
1キロメートルばかりあったので、幼稚園児一人で通うには遠すぎた。
そのお姉ちゃんのことをわたしは「おっこちゃん」と呼んでいたのだった。
名前は「ひろ子」さんだったのだが、なぜかそう呼んでいた。
そのおっこちゃんも今になって思えば家庭的に複雑なものがあったような気がしている。
この小説の主人公も複雑なのだ。
わたしの「おっこちゃん」は今どうしておられるだろうか。元気にしておられるだろうか?
妻と中学時代の話をしていて、出してきたわたしの卒業アルバム。
これを見ていた妻が、写真の生徒の名前を言っている。
当たっている!
何人かは会ったことがあり(もちろん大人になってから)、知っているが、みんな当たっている。
「なんで?」と訊くと
「名簿の通りに並んでいるから」と。
名簿と写真を見比べながら確認しているのだ。
「うっそ~っ!」と思った。
わたしが見てみると、確かに名簿の並びの通りに写真でも並んでいる。
今まで気づかなかった。まさか、そんな面倒なことをしているとは!
印刷の校正も大変だっただろうに。信じられない思いだった。
それとも単にわたしがもの知らずなのか?
卒業アルバムとは、みんなこのようになっているのか?
しかし、このことに65年も気づかなかったとは!
昨日出てきた古い写真5枚のうちの一枚。
懐かしい写真です。道はまだ舗装されていません。
これをじっと見ているといろんなことが思い出されてきます。
うちの隣に白髪さんという家があって、おばちゃんが屋台のたこ焼き屋さんをしておられました。
その屋台が写っています。この屋台だけでも実に多くのエピソードが語れます。
昔のことは覚えているんですね。鮮やかに。最近のことは忘れるのに。
左側にお地蔵さんの塀の破れたのが写ってます。これ、入り口ではありません。これに関しても面白いエピソードが。
そこからチラリと見える向こうの景色にもまたエピソードがあります。
まだ二階建ての家が一軒しか見えません。
突き当りの建物は祖浜さんという家、ではなく、ご主人が社長をなさっていた工務店の作業場です。居宅はこの左にあるのですが写っていません。
そのほか、たったこれだけの小さな写真から語ればきりがありません。
12月5日(木)の信行寺さんでのおしゃべりの会「用海おもしろ歴史ばなし」で、実物を披露します。
縦142センチ×横75センチの大きなものです。
20年ほど前に作られたもの。
用海小学校を昭和16年に卒業した有志10人余りの人で。
実はわたしの声掛けで作成が始まったのでした。何年もかけて完成したのです。
用海の宝物といってもいいでしょう。
先日の「名筆展」での六車明峰さんの書「輪」が、神戸のある児童福祉施設に納められ常設になるという話を書きました。
この「輪」という詩は「喫茶・輪」がオープンした40年近く前に作った詩でした。
書家さんは詩を書作品にするとき、詩の一部を抄出して作品にされることがあるのですがこの作品は全文を書いておられました。
詩の性格上そうするしかなかったのでしょうが。
因みに「輪」営業中にはメニューの裏にこの詩を印刷していました。
そのころのお客さん覚えておられるかな?見ておられない人が大部分でしょうが。
そして今週火曜日11日のラジオ放送「さくらFM」でパーソナリティーの久保直子さんが、夙川の八木重吉の詩碑を紹介されると知り、
昔のわたしのエッセイをメッセージしたのです。その詩碑をテーマにした「かなしき詩人」と題したもの。
2002年6月12日付の「兵庫県現代詩協会会報」に載せたものでした。
一部は紹介されるかもと思ってましたが、久保さんは番組の中で全文朗読されたのでした。
まさかでした。
ということで相次いで二つの懐かしい拙作品が日の目を見たのでした。
なんかうれしかったです。歳行くとこんなことがうれしいんですね。子ども返りの一環でしょうか。
『コーヒーカップの耳』ここにも懐かしい話がいっぱい。