神戸新聞の「追想」(メモリアル)のページからです。
いい追悼文ですねえ。どなたが書いておられるのだろうか。
昨年インタビューしたのだと。だからいいのだ。
この島田さんには、思い出が有ります。
これ、前にもどこかに書きましたが。
宮崎修二朗氏の著書50冊を祝う会が神戸で開かれた時、この島田さんに祝電披露の役をわたしからお願いした。しかし固辞されて、仕方なくわたしがその役を務めた。その会に出席しておられた島田さんは、会が終わってからわたしに「あなたで良かった」と言って下さったのだった。ちょっとうれしかったので覚えている。
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それから、昨秋、あるところで、「おしゃべり」をしたのですが、その時、この島田さんの詩を紹介朗読したのでした。そして記事にもある、「世界の国からこんにちは」のことも紹介したのでした。
島田さん、安らかに。
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明日31日(火)の「輪」のおすすめ定食は、
「うどん・おにぎり」セットの予定です。
よろしくお願いいたします。
すでにこの時間、17時51分、温帯低気圧になったみたいですけど、風、結構吹いてます。
腐っても鯛、ではなく、衰えてもても台風ですなあ。
つくづく今日がバスツアーの日でなくて良かった。
今日は、宮翁さん宅をお訪ねして、お話を聞く予定にしていた(現代詩協会の総会の日だが、わたしはこちらが優先順位が上なのです)。
ところがこの天侯で、電話して中止にして頂いた。また日を改めさせてくださいと。
わたしの家、大雨が降ると浸水の心配があるのです。
今、その対策の工事を市にしてもらっているが、それが終了するのが7月なのだ。
先生のお話は、もっともっと聞いて録音しておかなければならないと思っている。
先生、お元気で長生きして下さい。
少なくとも、あと10年はお話を聞かせて下さい。
そしてアドバイスを下さい。
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それにしても、「宮っ子バスツアー」、今日でなくて良かった。
もし先週がこんな天気だったら、どうしただろうか?いくら雨天決行の予定でも中止せざるを得ないでしょう。
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明日30日(月)の「輪」のおすすめ定食は、
「イナリ寿司」の予定です。
よろしくお願いいたします。
用海小学校新校舎落成祝賀式典があった。
わたしには招待状が来なかったので出席してません。
ところが、式典終わって私のうちを訪ねて下さった人がお二人あった。
お一人は、Y田先生。長男Hが小学校一年生の時に受け持って下さった先生です。
その時、創立80周年を祝う行事がありました。わたしも参加して、校庭で子どもたちとコマ回しなどして遊びました。また子どもたちが飛ばした風船が遠く静岡で拾われて便りが来た、ということがありました。子ども主体の行事だったと記憶しています。
それから、10年前には創立100周年を祝う行事がありました。
この時の校長先生が、このY田先生でした。二度目の用海小学校勤務だったのです。
これには私、過去のPTA会長ということで招待状を頂きました。
この時、久しぶりにS田元校長先生にお会いしました。が、病後ということで奥様が付き添って来ておられました。
他にも懐かしい先生にお会いしました。
で、今回、私出席出来ませんでしたが、Y田先生、わたしを訪ねて来て下さいました。うれしかったですね。
しかも、そこにもうお一人「こちらに来ましたので」と訪ねて来て下さいました。うれしいなあ!
T先生です。この先生は、やはり長男Hが4年生の時に受け持って下さった先生です。女性教師。美人でした。今も変わらずお美しい、S小学校教頭さんです。色々と思い出があります。参観日にこの先生の国語授業を見ました。たしか新美南吉の「ごんぎつね」を教材に授業展開されましたが見事な授業だったと記憶しています。なつかしい話に花が咲きました。
しかし悲しい報告もありました。S田元校長先生はその後亡くなられたと。誠実ないい先生だったが。そして意外だったのは、やはり長男Hの3年生時の受け持ちだったH井先生が亡くなられたと。まだ若いはずなのに。この先生の時はPTA会長をしていたので、印象的な思い出がある。残念なことです。
こうして、懐かしい人とお会いすると改めて、あっという間の30年間を実感します。
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T先生は車とおっしゃったが、Y田先生は電車で帰るとおっしゃるので「お送りします」と車でお送りしました。名塩、東山台です。
9年前に転居されて、「来て下さい」と何度も言われていたのですが、これまで行ったことなかったのです。次にゆっくりと行かせて頂くために道を知ろうと思って案内してもらいました。
家の前までお送りして帰るつもりでしたが、ちょっとだけ、ということで、上がって、奥様にコーヒーを御馳走になりました。この奥様も元教師ですが、笑顔の素敵な人です。
何かの時にお贈りした、菅原洸人画伯の絵が飾ってありました。ちゃんと大切にして下さっていたのだ。きれいな家によく似合ってうれしかったです。
帰りに、ちょっと写真撮りました。名塩、東山台からです。
雨に景色が煙ってました。
昨夜の子ども将棋教室は、雨でいつもより出席が少なくて20人でした。
そこで、いつもの講座はやめて、ゲーム的なことをしました。
初形からの飛角入れ替えです。ルール通りに駒を動かして行って、2八の飛車を8八に。8八の角を2八に移動させるのです。
何手で入れ替えられるかを競います。
もちろん短手数がいいのです。
最少手数は22手なのですが、みな「難しい、難しい」と。
ところが楽しそうに賑やかです。
そして、徐々に手数を縮めていきました。
何人かが22手での入れ替えに成功しました。
これは単に遊びではなく、金銀などの駒繰りの勉強になります。
名筆研究会の六車明峰氏から『名筆』4,5,6月号が届きました。
4月号では翔雲氏は顧問となっている。
氏は、3月30日に亡くなられた。4月号には間に合わない。
で、5月号が追悼号である。
しかし、仰々しくはない追悼号である。
派手さを好まない翔雲氏らしい。
『名筆』誌は、世間に向かってひけらかすものではなく、会員の研究(勉強)誌でしょう。だから派手に追悼号を出すような性格のものではないのでしょう。好もしいと思います。
しかし、会員の皆様の哀しみは誌面から伝わってきます。
村上翔雲氏に哀悼の意を込めて、『名筆』誌の書を載せます。
4月号から。
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5月号です。
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6月号です。
画面をクリックすると大きくなりますので、じっくりと見て下さい。
翔雲氏、命がけの書です。
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明日27日(金)の「輪」のおすすめ定食は、
「手づくりハンバーグ」の予定です。
よろしくお願いいたします。
JR福知山線脱線事故の裁判のニュースが。
どうなんでしょうかねえ。誰かが責任取らなアカンでしょ。乗客は安全を信じて乗ってるんやから。これだけの事故を起こして、だれも責任が無かったなんて、そんなバカな!です。
わたし、この路線、滅多に利用しませんが、運転免許の更新手続きで伊丹に行く時などに乗ります。運が悪ければ事故に遭う可能性もあったわけで、他人ごとではありません。
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店の傍らに、2,3年前からこのような草花がはびこっています。
単なる雑草ではなさそうでしたが、何か分かりませんでした。
それが偶然あるブログを見ていて判別しました。
「ツタバウンラン」というのだそうです。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/tutaba-unran.html
びっくりしました。欄の一種だったのですね。粗末に出来ないか、と思いましたが、外来種だそうで、この繁殖力を見ると、あまり歓迎できるものでもなさそうで複雑です。
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明日26日(木)の「輪」のおすすめ定食は、
「ラーメン定食」の予定です。
よろしくお願いいたします。
神戸新聞夕刊にこんな記事が。
記事拝借お許しを。
出石といえば、鉄道が通らなかった町として認識されてるのではないでしょうか。
山陰本線は当初、出石を通る計画があったが、陸蒸気の煙が農作物に悪影響を与えるとの理由による反対で、豊岡に行ってしまったのだという話を聞いたことがあります。真偽のほどは知りません。
ところが実は、出石には、かつて鉄道が走っていたのです。記事をお読みください。
1929年に開業。1944年に休止。とあります。「第二次大戦の影響で」と穏便な書き方です。
しかし事実は、大日本帝国に奪い取られてしまったのです。住民が資本を出しあって作った鉄道でした。その株券は紙切れになってしまったということです。
出石には、鉄道が走っていたのです。
詳しく知りたい方は、こんなページがあります。ご覧になって下さい。
http://tkohara.la.coocan.jp/izushi1.html
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明日25日(水)の「輪」のおすすめ定食は、
「ヒラメフライの甘酢あんかけ」の予定です。
よろしくお願いいたします。
昨日は早朝から出かけて、帰って来るのが遅かったので新聞を読んでなかった。
で、今日読みました。
中にこんな記事が、
里見女流3冠が奨励会1級合格と。
女性初の棋士目指す、と。
将棋に詳しくなければ解らないことです。
「奨励会」は、将来名人になるには入らなければならない組織です。これまで、ほとんど男性しか入会出来てません。やはり棋力に差があるのです。
入会出来ても、3段を卒業して晴れて4段になった女性はいません。
4段からがプロ棋士なのです。女流は別枠の組織です。
で、この記事、よく見ると21日に関西将棋会館で編入試験が行われたと。
わたしとkohが行った日ではないか!!!
その時もしかしたら対局の最中だったのではないか。
あの建物の中で、こんな真剣勝負が行われていたなんて!
もちろん、関西の将棋の総本山ですから、常時プロの公式対局が行われてはいるのですが。
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明日24日(火)の「輪」のおすすめ定食は、
「うどん・おにぎり」セットの予定です。
よろしくお願いいたします。
昨日アップしてなかった写真です。
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昼食。このあと温泉に入りました。日帰りツアーで温泉に入れるのが「用海宮っ子バスツアー」なのです。そのかわり、帰着は遅くなります。
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野外ステージがありましたが、聞くところによると利用されることは少ないと。そりゃあそうでしょ。この山中では。
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車窓から山肌に幾筋もの滝が見えました。なかなかうまく撮れず、なんとかこの一枚。
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渡り終えて、ほっ。 しかし、また帰らなければなりません。写真、よく見て下さい。陽が差してきました。↑
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行きしな、田辺あたりの沿道で多くの人が日の丸の小旗を振って迎えて下さいました。
わたしたちのバスの前を、赤色灯を回しながら、何台かの警察車両が行きました。
露払いをして下さったのです。
何事かと思いました。
交差点ごとに多くの警官が立っていました。
沿道に幟がたくさん立っていました。
それには、天皇皇后両陛下による記念植樹式があるのだと。
わたしたちのバスの後に、両陛下を乗せた車が通ることになってたようでした。
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帰り、自動車道を、赤色灯を回す多くの車と一緒になりました。警備を終わって帰る、他県の警察車両でした。神戸ナンバーもありました。彼らの車は制限速度70㎞キッチリで走りました。迷惑でした。
雨の中を、十津川村を目指して出発しました。朝8時。
わたし、文学歴史案内の役でした。十津川の歴史を、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」をテキストに、楽しくやらせてもらいました。
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この「宮っ子」バスツアーは、不思議なことがあるのです。いくら天気予報が悪くても、出発時に雨が降ってても、目的地に着くとやむのです。
しかし今回は山中に入るので、ムリだろと思ってました。それでも案内役のわたしは「皆さんご安心ください。雨は上がります」と言っていたのでした。後で、どう言い訳をしようか、と思いながらです。
ところが、驚くなかれ、車中は雨の中だったのに、熊野神社で不思議と上がっていました。そして、十津川での昼食時は又雨でした。温泉に入っている時も降ってました。露天風呂に入ったのですが、わたし、屋根の下で入ってました。かすかに硫黄の匂いがして、いかにも温泉でした。
次の目的地、谷瀬の吊り橋が心配でした。雨が降って風が吹けばムリでしょ。ところがここでも、着いたら雨は上がって、渡れたのです。陽までが差してきました。
熊野本宮です。
昼食です。
↓ ここで温泉に入れてもらいました。
日本一の長さの吊り橋です。約300メートル。高さも54メートル。
よく揺れました。20人以上は危険と表示されてましたが、もっとたくさんが同時に渡りました。それででしょうか、想像以上に、うねるように揺れ、渡りかけて止めて帰った人もありました。わたし、こんなん好きで楽しかったです。
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西宮帰着は午後9時前になりました。少々強行軍でしたが、みなさん満足して下さったようで不満を言う人はありませんでした。
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バスに長時間乗り、谷瀬の吊り橋で大きく揺られ、いまだに体が揺れてる気がしてます。揺れた一日でした
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明日23日(月)の「輪」のおすすめ定食は、
「豚肉のしょうが焼き」の予定です。
よろしくお願いいたします。
菅原洸人画伯から直筆の絵葉書が届きました。
5月10日のこのブログに、洸人さんの「かやぶき屋根」の絵を載せました。
そして、わたし次のように書きました。
「洸人さんの生まれ故郷、山形です。美山のかやぶき屋根とは屋根の形が違うと言っておられました。」
それに答えての今日のハガキです。
添え書きに「美山町の屋根は神社の屋根のように千木(ちぎ)がありました」とありました。
わたしネットで調べて見ました。するとその通りでした。↓
http://www.kayabukinosato.com/
洸人さん、わたしのブログを見て下さっているのです。ご親切ありがとうございます。