喫茶 輪

コーヒーカップの耳

U山さんが

2021-04-30 18:57:14 | 喫茶・輪


「喫茶・輪」の常連で人気者だったU山さんが体調不良とのことで、先日見舞い状を娘さん宛に出していた。
その返事が今日来て、辛かった。
どうやらもう、お顔を見せて下さることはなさそう。
わたしは淋しくて淋しくてしかたない。
ブログを開いてから10年以上になるが、ずっと彼のことを書いてきた。
それを抽出してまとめた。



小さな文字で行数も多く取り二段組にして22ページ。
ざっと読んでみたが、彼の個性が横溢していて、笑いと共に泣けてくる。
『完本・コーヒーカップの耳』にも数多く登場しているのだが。
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高校生の詩を募集

2021-04-30 09:11:24 | 
西宮芸術文化協会の文芸誌『表情』が、高校生の詩と短歌を募集しています。
これは「宮っ子」5月号に載った記事。



そしてフライヤー。


その裏面。
←詳しく見るには画面を二度クリックしてください。
詩の選者は私もその一人です。たくさんのご応募をお待ちしています。
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「千度石」

2021-04-30 08:45:50 | 宮っ子
5月号「宮っ子」の用海版。
今、地域情報誌の発行もネタがなくて困っています。
地域の行事がみな中止とかになってますのでね。
わたしの担当の「わが町この人あり」も、お会いしてインタビューするのが難しいということで、このところ休載です。
そこで紙面を埋めるために「街角小景」を書いてます。
今号は「ご利益はどちら?」と題して「千度石」のことを。


『完本・コーヒーカップの耳』
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荻原一青と樽谷富蔵とわたしの娘

2021-04-29 09:30:59 | アート・文化
昨夜のこと。
『歴史と神戸』345号、城郭画家荻原一青のことを読んでいた。



《荻原一青は、尼崎出身の城郭画家である。》と始まる、「城郭画家・荻原一青の事績と生涯」(辻川敦)が面白かった。
一青の生涯も面白いのだが、書き手の辻川氏の文章も読みやすく興味を引くように書かれている。
そうしてわたしが読書している横で家内が大阪の娘と電話で話をしていた。
丁度その時、わたしはこんなところを読んでいて思わず声が出た。

1968年1月、市立労働福祉会館で個展「新春名城画展」が開催されると、これを観た尼崎文化団体協議会会長の樽谷富蔵(樽谷包装産業社長)が一青の画集刊行を発案し、郷土史家や尼崎商工会議所関係者らに協力を呼びかけた。その結果、薄井一哉前市長や先述の岡本静心など10人からなる出版世話人会が発足し、出版資金が集められた。樽谷自身150万円を拠出している。》

なぜ声が出たかというと、娘は結婚前、この樽谷包装産業に勤めており、社長と会長(富蔵氏の孫と子)の秘書をしていた。
そして、その縁で今の伴侶を得、幸せな家庭を築いている。
なんという偶然。
樽谷家は尼崎の文化に大いに貢献したという話はこれまでにも聞いていたが、なるほどだった。
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生瀬勝久の長沖一

2021-04-29 08:21:22 | 宮崎修二朗翁
今朝の朝ドラ「おちょやん」だが、生瀬勝久さんが長沖一を熱演しておられた。
先にも書いたが、長沖一は、宮崎修二朗先生が若き日にお世話になられた人。
拙著『触媒のうた』の56ページ。

《新聞記者駆け出しの頃、人脈がなくて困っておられた。そんな中、長沖一(まこと)さんに会い、そのお宅で「阪神ペンクラブ」の名簿を目にし、その月例会に顔を出し、そこで多くの情報を得、水を得た魚のように関西文化人の人脈を形成してゆく。》

宮崎先生にとっても長沖は重要な人だったのだ。

『触媒のうた』 
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今日の日誌

2021-04-27 20:48:56 | 日記
50年以上日誌をつけている。
大体箇条書きで。
今日はこんなことを書いた。

 〇 Wさんに礼状。
 〇 ワタナベへ。検査。血液、胸部X線、心エコー、そして24H心電図。
 〇 京都知恩寺さんから電話。問い合わせていたことへの返事。
 〇 姫路のM本さんから『阿部知二研究』28号5冊。『触媒のうた』の書評を書いてくださっている。
 〇 T・Aさん来。Fちゃんのことで。

この一行一行が、けっこうドラマを含んでいるのだが。
日記のようにていねいに書いたら何ページにもわたってしまう。 
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『触媒のうた』

2021-04-27 16:50:00 | 触媒のうた
文学研究家の森本穫さんからお送りいただきました。



『城からの手紙』28号です。
阿部知二研究会が発行するもの。
この本の中で森本氏が拙著『触媒のうた』を評してくださっています。
←二段階クリック。 
あまりの誉めことばに、ここに上げるのはちょっと面はゆいのですが、宮崎修二朗先生のことが少しでも世に知れればと思ってアップしました。
お読みいただければうれしいです。

『触媒のうた』 
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荻原一青

2021-04-27 09:41:59 | アート・文化
今朝の神戸新聞文化欄。



城郭画家、荻原一青のことが。
『歴史と神戸』の特集を記事に。
わたしの手元にも届いているがまだ読んでいなかった。
これは読まねばなりません。
今号は全ページ荻原のこと。
最初のページにこんな記述が。
《荻原一青は、尼崎出身の城郭画家である。》と始まり、《しかしながら、その事績に対する評価は、失業対策労働に従事しつつ城を描く”ニコヨン画家”という、やや興味本位で正当性を欠くものであった。》
荻原についてはわたし、知りませんでしたが、これはちゃんと読まねば。

追記 「歴史と神戸」4ページ。《成長し、尼崎城址に建つ尼崎第一尋常小学校に通いはじめた一青は、孤独で内向的な少年だったようだ。吃音癖があったので、そのことも影響していたのかもしれない。前掲の『城郭』掲載回想記には、こんな一節がある。
 子ども心に此の(尼崎城の)城跡が好きだった。貧しい姿の私は腕白少年達にいつもいじめられた。寂しい私は一人ぼっちで石垣に登って寝ころんで白い雲を眺めていた。》
これはわたしが先日読んだ重松清さんの『きよしこ』の世界だ。

『完本・コーヒーカップの耳』
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長沖一

2021-04-27 08:25:14 | 宮崎修二朗翁
朝ドラ「おちょやん」に登場している脚本家の長澤誠は、長沖一(まこと)がモデルですね。
その長沖、宮崎修二朗先生に縁がある人です。
『触媒のうた』の56ページに書いてます。

宮崎先生、国際新聞時代、長沖のお陰で人脈が広がったと。
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「その頃のこと」

2021-04-26 12:11:01 | 本・雑誌
一気に読めば一日で読み終えることができる本、『風の便り』(小山清・夏葉社)を、気が向いた時にぼちぼちと読んでいる。


今日読んだところで不審なことが。
←二段階クリック。
たった4ページのエッセイ、「その頃のこと」の一部。
右ページの中ほど、
 「私ははじめ」というところから6行。ワンセンテンスで書かれています。
ところがそのワンセンテンスの中に「が」で文を続けているのが3カ所も。
これは普通、文を書くものはやりません。悪文の見本のようなもの。
わたしにはどうしても違和感があります。
なぜ?太宰治に縁が深かったほどの作家がこのようなことを。
意識してのものなのでしょうが、わたしにはその意図がわかりません。
わたしの読み込み不足なのでしょうか?

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「先生」?

2021-04-25 09:12:21 | 日記
90歳の川柳作家、島村美津子さんからのハガキです。
「人間のやさしさ生れ出る紅茶」の川柳を添えてくださっています。



イラストは、なおとさん。
なおとさんは、島村さんの句集にカットなどを描いておられる人。
素朴な味わいのある絵ですね。
ところがこのハガキ、「欣史先生へ」とあります。
表の宛名にも「先生」が使われていて、わたしは困ってしまいます。
「先生と呼ばれるほどのバカでなし」とまでは言いませんが、文学の大先輩から「先生」と呼ばれるのは大いに恥ずかしいのです。
美津子さん、どうか今後はおやめくださいね。
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短歌集『若き日の歌』

2021-04-24 16:15:47 | 文芸
『若き日の歌』(手島隼人著・2,013年刊)という短歌集を読ませてもらった。



1936年生まれの手島隼人氏が12歳から18歳までの間に作った短歌である。

これは中学一年生の時の作。

「春浅く 梅の香匂う道端の 壁に並んだ日なたぼこの子」
なんか初々しいですねえ。
一ページに一作が載っている。手島氏の墨書で。
「自分の字で書いた方が良いとの周囲の人の助言で」とのこと。

これは高校一年生の時の作。

「故(わけ)もなく涙湧くなりゆく秋の 枯草の上に出ずる白雲」
いかにも多感な年ごろの歌。

全作品に英訳が付されている。これも趣向ですね。

全体に瑞々しい感性があふれていて、自分の若き日はどうだったかな、と思わせられたりしました。
あ、そうだ。こんなのもありました。
「二千冊になんなんとする本読みて 高校三年心充ち足る」
高校の三年間に二千冊の本を読んだというのだ。
そうでしょうねえ。これだけレベルの高い短歌を作れるのだから。
しかし、手島氏、よく残して置かれたものだ。
そして70歳代になってからこのような一冊を作られるなんて。

 
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酒蔵通りのハナミズキ

2021-04-24 15:12:21 | 用海のこと
図書館までいつも通り徒歩で。
窓口で「明日から休みですか?」とお尋ねすると、
「いえ、椅子にはお座りできませんが、開いてます」とのこと。
館内での読書や調べ物はできないのだ。
しかし本を借りたり返したりはできると。
良かった。

図書館への道は酒蔵通りを歩くのだが、用海地区の街路樹はハナミズキが植えられている。
もう20年ぐらいになるだろうか。ハナミズキの前はニセアカシアだったと思う。安っぽい木だった。
はじめは白とピンクのハナミズキ木が植えられたのだが、いつの間にかピンクは枯れてゆき、ついに一本も見なくなってしまった。



ハナミズキのピンクは排気ガスに弱いのかもしれない。
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『触媒のうた』も。

2021-04-24 08:55:49 | 触媒のうた
未知の人から著書が三冊も届いた。
立派な本です。



400字詰め個人原稿用紙二枚に美麗な字で手紙が書かれている。
拙著『触媒のうた』を入手した経緯を記したあとに、こんな文が。
《目次を見ると石川啄木の項があり、慌ただしい中で文章を読んで驚きました。息をするのも苦しいぐらい、次々と展開する文脈と密度の濃い言葉の使い方に感動し、失礼と思いながら筆をとった次第です。》
『触媒のうた』はもう出してから4年になるが、今頃こうして評価してくださる人があるのはうれしいこと。
この本の奥付にはわたしの住所が書かれているのでお便りくださったのだ。
宮崎翁からお聞きした、砕花師の言葉を思い起こす。
「書いたものは残る。いつだれがどのように読むかしれない。中に具眼の士がいて、それが怖い」
略歴を見ると立派な実績を持つお人だった。

『完本・コーヒーカップの耳』
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「文学を訪ねて」

2021-04-22 11:42:26 | 完本 コーヒーカップの耳
「兵庫PTA」という新聞の最新号が送られてきました。
兵庫県PTA協議会が発行しているものです。



これの第8面に「文学を訪ねて」というコラムがあり、拙著『完本・コーヒーカップの耳』を取り上げてくださっています。
←クリック。
筆者は兵庫教育大学大学院の元教授、廣岡徹氏。
取材に来られたのは昨年11月11日のこと。
店は休んでいましたが、わたしが郵便受けを見るために店から外へ出たとき、見知らぬ紳士がわたしの店を撮影しておられました。
それが廣岡氏だったのです。
廣岡氏には『兵庫文学散歩』という好個の著書があり、わたし読ませてもらいました。
そこにはなんと、わたしが親しくさせていただいているドリアン助川さんの著書も紹介されていて、そのこと『星の降る町』と題してブログを書いています。

またこの「兵庫PTA」にはこんな記事も。
←クリック。
「子育て・三行詩募集」。わたしが子育て中なら、きっと応募するだろうな。

廣岡さん、的確な文章で拙著をご紹介くださいましてありがとうございました。
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