昨夜のこと。
『歴史と神戸』345号、城郭画家荻原一青のことを読んでいた。
《荻原一青は、尼崎出身の城郭画家である。》と始まる、「城郭画家・荻原一青の事績と生涯」(辻川敦)が面白かった。
一青の生涯も面白いのだが、書き手の辻川氏の文章も読みやすく興味を引くように書かれている。
そうしてわたしが読書している横で家内が大阪の娘と電話で話をしていた。
丁度その時、わたしはこんなところを読んでいて思わず声が出た。
《1968年1月、市立労働福祉会館で個展「新春名城画展」が開催されると、これを観た尼崎文化団体協議会会長の樽谷富蔵(樽谷包装産業社長)が一青の画集刊行を発案し、郷土史家や尼崎商工会議所関係者らに協力を呼びかけた。その結果、薄井一哉前市長や先述の岡本静心など10人からなる出版世話人会が発足し、出版資金が集められた。樽谷自身150万円を拠出している。》
なぜ声が出たかというと、娘は結婚前、この樽谷包装産業に勤めており、社長と会長(富蔵氏の孫と子)の秘書をしていた。
そして、その縁で今の伴侶を得、幸せな家庭を築いている。
なんという偶然。
樽谷家は尼崎の文化に大いに貢献したという話はこれまでにも聞いていたが、なるほどだった。