喫茶 輪

コーヒーカップの耳

戦災えびす

2023-12-10 09:15:17 | 戦争
今朝の神戸新聞阪神版の記事です。

この中に「郷土史家、故・堀内泠(きよし)さんが収集した…」とあります。
この堀内さんは昔「喫茶・輪」に来られて親しくお話したことがあります。その時、強烈な思い出がありますが、それは内緒。
「えびす様がずらり」とあります。
みな美しいえびす様ですが、うちには珍しいえびす様がいらっしゃいます。

神棚にわたしが子どものころからずっといらっしゃいます。
美しくはありません。
焼け焦げのお姿です。
元々はきれいな装飾がなされていたでしょうが、戦災に遭ってこのようなお姿に。

わたしが子どものころ、父が空き地に畑を作っていました。その頃の写真です。




どちらの写真も背景が畑です。今の「喫茶・輪」の場所です。
戦争で焼けた家の跡地です。畑の土には焼けた瓦などが混ざっていました。
この畑を父が耕していて最初にえびす様が現れたのです。
そしてまた日を別にして大黒様が現れたのでした。
それも焼け焦げた痕が残っています。
家は戦災で消滅したのに、この二体は壊れずに残っていたのでした。
奇跡ともいえるのではないでしょうか。
西宮の歴史の証人でもあるでしょう。

以来、わたしの家の守護神として神棚にお祭りしてあるのです。

このえびす大黒様のことはもう20年ほど前に詩にして西宮の文芸誌に発表しました。
今探してみるのですが見つかりません。

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モンゴル抑留

2023-08-27 08:32:06 | 戦争
今朝の神戸新聞第一面。



~忘れられた「モンゴル抑留」~とあります。
わたしは、「あれ?」でした。
実はうちの父親がモンゴル抑留経験者でした。
そのこと、このブログでも書いたことがありました。
「兄弟のダモイ」と題して。
もう10年も前ですが、神戸新聞の記事を材にしてのもの。
「モンゴル抑留」についての書籍を所持していたのですが、今、探しても見つかりません。どこかにあるはず。
「兄弟のダモイ・7」
そんなだから、「モンゴル抑留」を「歴史の空白」と言われてもピンときません。
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空襲の悲惨さと…

2021-12-21 15:22:14 | 戦争
先日訪問くださったNさん。
元市会議員さんだが、87,8歳になられるはず。
しかし元々が童顔なのでとてもそんなお歳には見えない。
冊子をお持ちになられました。「読んでください」と。
Nさんが作成されたのだと。



『太平洋戦争(第二次世界大戦) ”空襲の悲惨さと恐怖を忘れない”』

西宮が舞台の戦災の資料、写真が添えられていて、次の世代への思いが書かれている。
《私たちの国土を焼き払い、多くの死傷者を生み、残された遺族、とくに孤児となられた人々を思うとき、戦争の悲惨さを心に留め、語り継いでいかなければと思います。》と。
これをテキストにして、学校などで語っていこうとされているのですね。
読ませていただいて、よく資料を探してこられたなと思います。
しかしその中で、掲載されている一枚の写真に「おっ!」と思いました。



この写真、実はオリジナルがうちにあるのです。
手ぬぐいを姉さんかぶりにモンペ姿。
防災訓練のバケツリレーです。
戦前の酒蔵が背景になってます。
写真はまさにうちの家の前。

日本盛の酒蔵です。今は瓶詰工場になってますが、以前はこんな蔵が建っていました。



この写真は昭和36、7年。わたしが最初に乗った車、マツダK360が写っています。
背景の酒蔵、戦前のものとそっくりです。

冊子掲載の戦前の写真は元々はご近所の田淵さん所有のもの。
田淵さんが市外に転居されるときに「今村さんが持っていて下さい」と言って託して行かれたのでした。
ただし、田淵さん所有の時にすでに『宮っ子』誌上に公表されています。
なので、それが廻り廻って、ここに載ることになったのでしょう。
貴重な写真です。
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父のシベリヤ抑留

2015-11-16 08:46:17 | 戦争
昨日大阪の娘のところで見た朝日新聞。

「シベリヤ抑留の記録」が世界記憶遺産に登録されたことに関する記事。
その中のこの部分に注目。
←クリックして下さい。

実はわたしの父も抑留されたのだったが、やはり持ち帰ってきたものがある。

これ、すべて手製です。
木製スプーンはガラスの破片を刃物にして彫って作ったと言っていた。針金を巻いて補修してますが、これは飯盒をぶら下げて折ってしまったと。
金属スプーンも手製。これは熱いものを食べるのには不向きだったので木製のを作ったと。もちろん箸も手製。
さらに小刀。これも金属の破片を利用して持ち手に針金を巻いている。これについては衝撃的な話をしていた。
これらを入れた小物袋も手製。粗い縫いあとがある。
そしてそこに縫い付けた文字。
「良兵の忍ぶ心や初日出」
このことに関してわたし、随想を書いている。
←二段階クリックで。

これらの遺品をわたしは、2,3年前に西宮の平和資料館に寄贈しようとアクションを起こしかけたことがある、しかし手続きが面倒でそのままになっている。
袋は劣化してボロボロになっている。
さてどうしょうか。
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まど・みちおさん

2015-09-19 08:39:41 | 戦争
今朝の「正平調」




まど・みちおさんの詩が引用されているが、まどさんは戦時中、戦争協力詩をわずか書いたことを、104歳までの生涯を通じて後悔しておられた詩人だ。それがお顔と態度に出ておられた。
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集団的自衛権

2015-09-19 08:03:58 | 戦争
黙っていられなくて新聞記者さんの取材をお受けしました。
一時間以上お話ししましたが。記事としてはこんなものでしょうね。


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過去ログから「齋藤隆夫」

2015-09-17 07:59:20 | 戦争
過去の拙ブログ記事から。
今こそこのような硬骨漢の議員さんが保守政党から出て欲しいものだが。

そしてこれは5年前のもの。↓

今日の神戸新聞から。

「新兵庫人」②<平和の誓い>に齋藤隆夫のことが出ていた。

齋藤は出石出身の衆議院議員。戦中(昭和15年)に国会で反軍演説をして議員を除名され

た硬骨の人であった。



齋藤については『齋藤隆夫かく戦えり』文芸春秋(草柳大蔵)に詳しい。

巻末の二行。

「六月、彼が眠る中村地区に蛍が飛ぶ。まるで地中から噴き上げてくるような、目まぐるしい

ばかりの光の乱舞である。年に一度、地下の齋藤からの贈り物のように見える。」

この中村地区の記念館にわたしは行ったことがある。静かな雰囲気の心引き締まる思いが

する所であった。

あの軍国主義の時代、齋藤は命を賭して反軍演説したのである。

除名された齋藤を但馬の人たちは、また、その後、最高点当選させるのである。

今日の新聞記事には、豊岡市出石町出身とある。違和感極まりない。そんなバカなことがあ

るものか!先の市町合併がそんな記事を書かせることになった。 齋藤自身、自分が豊岡の

出身だなどと思ったことなど絶対にないのだ。

出石は小さな町だが、昔から優れた人を多数輩出している。

初代東大総長(この人の人間的評価は分かれるが)もこの町の出身である。

最近では、ある弁護士さん(うちの家内の同級生)は全国的に有名。この人は親鸞のように

極悪非道人の味方である。

そして、阪神タイガースの能見投手。

また幕末には、桂小五郎を町の人はかくまったりしている。

ほかにもたくさん、傑出した人がある。                                  (出石アカル)
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「かさこ地ぞう」

2015-08-15 15:18:31 | 戦争
昔、わたし神戸新聞の詩の欄に投稿していたことがあります。
選者は足立巻一先生でした。
昭和57年にこんな詩を投稿してます。
初心者で拙いものですが。

  「かさこ地ぞう」

その頃

戦争の傷痕が残る道を 僕は

小学校へ通いました

若い教師から

―日本はもう絶対に戦争をしないことになりました。軍隊を持ってはいけないことに憲

法で決められました―

と教えられました

すっかりうれしくなって 大安心したのを

覚えています




自分の子どもに そう教えられません

第九条の言葉は

何も変わっていないのに


教科書の「かさこ地ぞう」
長男は 全部暗記しています



今、孫たちにどう教えればいいのでしょうか?
教科書の「かさこ地ぞう」は当時政治的に教科書掲載採否の問題が起こっていたと思います。
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原爆記念日

2015-08-11 16:17:45 | 戦争
こんな絵はがきを下さった人があります。
この試合、わたしもテレビで見てましたけど、いいなあと思ってました。
新しい話題をすぐに絵はがきにして下さるとは。
U木さん、ありがとうございます。
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『二十四の瞳』

2015-08-10 14:32:37 | 戦争
神戸新聞夕刊の「随想」欄。

関大名誉教授の森岡孝二さんが書いておられる。
『二十四の瞳』に学ぶなら、日本を再び戦争をする国にしてはならない。と〆られている。

そこで、うちにある壺井栄の直筆ハガキ。消印は昭和29年。
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野坂昭如さん

2015-08-04 07:37:39 | 戦争
久しぶりに新聞紙上で野坂昭如さんの発言を見ました。


 ←クリック



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満州の悲劇、紙芝居に-開拓団の集団自決

2015-02-15 09:36:21 | 戦争
前の記事の「満州開拓団」の悲劇が紙芝居になっていました。
ちょっと棒読みの感じで、子どもたちに聞かせても退屈するかも知れませんが。

満州の悲劇、紙芝居に-開拓団の集団自決
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旧満州開拓団

2015-02-15 09:12:57 | 戦争
今朝の神戸新聞社会面
「但東の旧満州開拓団」とあります。
記事の中に「出石」という言葉が出て来ません。
しかしこれは、当時、出石郡但東町高橋村の事件なのです。
市町村合併で、出石という文字は紙面に載ることが少なくなってしまいました。しかしこれはどうなのでしょう?せめて昔の記事はその当時の市町村名で呼ぶべきでは?なにも江戸時代まで遡れとは申しません。
さて、この満州開拓団の悲劇のことは昔に本になってます。

『遥かなり墓標』(春木一夫・神戸新報社・昭和44年刊)
事実に基づいた小説です。ドキュメンタリー小説とでも呼べばいいのでしょうか?詳細な取材のもとに書かれています。春木さんはテープレコーダーを持参してインタビューをしたと。
多分貴重な録音になっていると思うのですが、今も残っているのでしょうかねえ。今日の記事にはこの小説のことは一切出て来ませんが。
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昨日の朝日新聞

2013-08-15 17:44:07 | 戦争

宮崎翁から電話があり、一件落着。
ついでの話に、昨日の朝日新聞に、古本に載っていた反戦歌の話題<wbr></wbr>が大きく載っていたのだと。
その歌集は宮崎翁が昔、編集して出版されたものだという。
著者のこともお聞きしたが、そのお名前、以前にもお聞きしたこと<wbr></wbr>がある。
昨日の朝日新聞、多分朝刊だと思うのですが、入手しなくては。

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防空訓練

2013-08-15 09:24:58 | 戦争

昨日の「平和資料館」にこんな写真がありました。

Cimg5851

「東町町内会」とあります。
うちの家にこんな写真があります。
  ↓

Img170

ご近所に戦前から住んでおられた田淵さんという方が、遠方に転居される際に、わたしに託された写真です。バケツリレーの防火訓練です。
西宮は激しい空襲に全市が焼けてしまいました。
その結果、こういった写真が思いのほか残ってないのです。
これは貴重な一枚です。
場所は「日本盛」酒蔵前。うちの家の前です。
背景の酒蔵はもちろん空襲で焼けてしまっています。
後、戦後いち早く同じような木造の酒蔵が建ちました。が、昭和48年にそれも解体され、跡に鉄筋の瓶詰工場が建ちました。

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