


用海地区団体協議会新年互礼会でした。
(写真の案内書に誤植が2字あります。こんなんが気になるんです。嫌な性格ですね。)
飲食を伴う互礼会は久しぶりです。
2019年を最後に5年間お休みでした。弁当を持ち帰るというのはありましたけど。
以前は夜でしたが今回はお昼。
色んな人とご挨拶しました。やっぱり出かけなくてはいけませんね。
タイミングよく石井市長がわたしの席のそばを通られたので、
「市長、ちょっとお話が」と声を掛けました。
「甲山からの眺望を昔のように戻して欲しい」とお願いしました。
「前にもこの互礼会でお話ししましたが」と。
昔、頂上に樹木は無かったので見事に下界が見晴らせたのです。今は雑木が生い茂っていて視界ゼロです。
すると市長は「意見が二分しています。7割から8割の市民が賛成すればいいのですが」とのこと。
そして「昔はどんなでした?」と尋ねられたので、
「仁川の競馬場から伊丹の飛行場、そして香櫨園浜まで、それは素晴らしい眺望でした。幼稚園の子でも、わたしのような老人でも登れる山です。西宮の街が眼下に見わたせるのです。それはそれは達成感があったものです。何年か前に孫を連れて上がりましたが、ガッカリしました」とお話しました。
話はちゃんと聞いて下さったので、頭の片隅には残るでしょう。


先日の「用海おもしろ歴史ばなし」ですが、録音を聞いて反省してます。
話すつもりだったのに話せなかったことなど。
〇用海町の昼と夜の人口の差のこと。圧倒的に昼人口が増える。そのわけ。
〇宮っ子の取材で聞いた、用海小学校の学童疎開のこと。
〇用海小学校南門(戦前からの)の石の門柱に火の玉の形の焼け跡のあったこと。夜、銭湯への行き帰りに怖くて走り抜けた話。
○「バカヤロー、ひき逃げ事件」で、そのあと、頭の怪我を臨時市民病院で縫ってもらった話が抜けてしまった。こちらを話したかったのに。教室が病室や診察室、処置室になっていたことなど。
〇児童誌「きりん」のこと、もっと詳しく。足立巻一先生や竹中郁や、井上靖もかかわりのあったこと。その月刊誌が私達の教室にも置かれていたこと。
〇校歌の作詞者、山村順のもっと詳しい話。詩集『奇妙な告白』など。
〇用海小学校、二度の放火火災のこと。4教室ずつ二度にわたって計8教室が全焼。私の二階の寝室の窓から見た体験。
〇日本盛の酒蔵から聞こえてくる酒造り歌のこと。
〇その蔵人(主に丹波からの出稼ぎ労働者)たちの生活のこと。
〇小墓圓満地蔵尊のことは「本を読んでください」で済ましてしまったが、もっと話すべきだったか。
〇西宮市史編纂に尽力された田岡香逸氏のこと。地蔵さんのことを調べる中での、もっと具体的なわたしとのエピソードを話すべきだったか?
〇信行寺さんの先代住職のこと。以前取材させていただいた中のエピソードなど。
〇堀内医院のこと。先代先生とわたしとのエピソード。昔、藩医だった話など。
〇その他、わたしが子ども時代に体験した多くのこと。
こんなことを書いてたらきりがなく、時間がいくらあっても足りませんね。
このことを話すだけでも一時間は必要?
それから話した中に間違いもありました。
〇「櫨(はぜ)道界隈」を「西宮七景」の一つ、と喋ってますが、もちろん「西宮八景」です。その八景の内容も話すべきだったか。
〇「宮水井戸場」と言ったところは「宮水発祥の地」でした。
他にも間違いがあるかもしれません。
反省多々。次回があれば、もう少しマシな「おしゃべり」をしたいものです。
いずれにしても、予想以上にたくさんのご来聴でありがたかったです。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。

信行寺さんでの「用海おもしろ歴史ばなし」ですが、無事に終了しました。
お寺さんが準備してくださった座席は満杯になり、たくさん追加しての対応。
思いのほか多くの人にお越しいただきました。
ありがたいことでした。
ご住職が司会役で。
一時間半、おしゃべりさせていただきました。
ご本尊様の前に、うちから持ち込んだえびす大黒像です。
戦災に遭って火傷痕のあるお姿。これの説明もさせていただきました。
信行寺さんとえびす様は縁が深いのです。
そのほか、わたししか知らない用海の歴史ばなし、いっぱい。
わたしが元気なうちに話せて良かったです。
神戸新聞さんの取材も入り、有意義なイベントでした。
信行寺さま、ありがとうございました。
ご来聴してくださったみなさま、ありがとうございました。
帰宅してから、ちょっと大阪までひとっ走り。
今日、午後2時からです。
「用海おもしろ歴史ばなし」。
会場の信行寺さんの御本尊は、宇治平等院の御本尊を彫った仏師、定朝の工房の作であろうとのことです。https://shingyoji.net/
少し寒いですけど、お天気は良さそうです。

昨日、用海小学校校長先生から電話。
昔、花壇に埋められたタイムカプセルの行方について教えてほしいと。昭和54年度卒業生だと。因みにわたしは昭和30年度卒業生だ。
なんでわたしに?と思ったら、「Mさんが今村さんに訊けばわかるかも」とのこと。
たしかにそんな話はあった。新校舎建設に伴い旧校舎が解体される時に掘り出されたという話。
今ごろそんな話?と思ったが、恐らくその時の児童がその後転居して、連絡がつかずタイムカプセルの掘り出しを知らなかったのだろう。
そして、久し振りにやって来てみたら、校舎が建て替わっており、埋めた歌壇もなくなっていて、「あのカプセルはどうなったのか?」となり、学校に尋ねてきたと。しかし今の校長先生が知るわけなく、また学校沿革誌にも記載されていなかったのだろう。
そこで、用海の長老、「今村さんに訊けば」と。
こういうことなら、多分「宮っ子」に載せているだろうと思い、「しばしお待ちを。調べて後でお知らせします」と電話を切った。
先ずネットの「宮っ子」のHPを開き、その時期、平成22、3年のころを調べてみる。
するとあった。先ず「カプセルを移設するか開封するか」の意見募集のお知らせが何度か載っていた。
そして、平成23年3月号に、前年、平成22年11月28日に同窓生50人と当時の担任教師などが集まって掘り出して開封した記事が。
それを元にわたしが所持する「宮っ子」の現物ページ探し出しコピーした。
その時の世話人の電話番号も載っている。その時に参加した卒業生には掘り出した記念物を手に出来ただろうが、連絡がつかなかった人の物はどうなったのか?そのことを知っているのは当時の世話人。その人、Dさんの電話番号も載っている。これで一件落着。校長先生喜ばれた。
この件、たしか新聞記事にもなったと思う。なので、平成22年11月29日付けの神戸新聞を調べれば載っているだろう。古い新聞の現物が西宮図書館にはある。
信行寺さんでのおしゃべりの会があと20日になりました。
「信行寺」さんの掲示板にも告知されました。
拡大コピーしてくださってますねえ。
何人もの人が楽しみにして下さっている様子です。わたしも楽しみです。

「用海おもしろ歴史ばなし」のことをラジオパーソナリティーの久保直子さんがご自身のSNSで紹介して下さいました。
只今頭の中で準備中です。
楽しみです。