『KOBECCO』新年号が出てます。
今号の「触媒のうた」は「関西探偵作家クラブⅡ」です。
日本のSF小説の黎明期に宮崎修二朗翁が関わっておられたという話です。正に翁は若き日からの「触媒人生」です。
『KOBECCO』新年号にはもちろん、NHK大河ドラマの「平清盛」の記事が大きく載ってますが、ほかに、井戸知事と作家の有川浩さんの対談記事が載ってます。『阪急電車』のことはチラッとだけ出て来ます。
阪神間の主な書店に売ってますが、HPからも読むことができます。
http://kobecco.oide.or.jp/
お墓の掃除に行きました。
うちのお墓は森具(もりぐ)にあります。
丘の上ですが、すぐ裏をJRが走っています。
家内は家で用事があるので今日はわたし一人。
松葉などを拾っていたのです。立ったりしゃがんだりしながらね。
そして、何度目かしゃがんだ瞬間、尻の穴に衝撃が。何を突っ込まれたのかと驚きました。思わず大きな声が出そうになりましたが、ぐっと我慢。後ろを見ると、バケツの中の柄杓の柄が天に向かって立っていました。うかつでした。これに尻を向けてしゃがんだのでした。柄が太くて幸いでした。もし細い物だったら本当に突き刺さっていたところでした。
ところで、この森具の墓地ですが、もう50年も前に、南野茂三郎さんという人にお世話していただいたのでした。父が死んでから今年は丁度満50年でした。
茂三郎さんは当時市会議員さんで、森具地域の顔役でもありました。『西宮文学風土記』を書かれた南野武衞さんの兄弟か従兄弟さんだったと思います。
森具はわたしの父が若いころ古賀商店さんで丁稚奉公したという縁のある地域なのです。
きれいにして、花を立てて帰りました。またお正月にはみなでお参りします。
わたし、考えるところがあって、食べ物の戴き物をブログで紹介することをなるべく控えています(花や植木は別)。
ですが、今日は紹介します。
和歌山新宮市熊野川からのコンニャクです。
熊野川町篠尾(ささび)の中村義明君の奥様からです。
これまで度々紹介して来ましたが、中村君はこの秋の台風12号の犠牲になった、わたしの古い友人です。この春にもこのコンニャク、彼が送ってくれたのでした。刺身で頂きました。ことのほかおいしかったです。その時、お礼の電話をしたのが彼と話した最後でした。あんなに明るく話していたのに、こんなことになるとは思ってもみませんでした。
彼は、過疎の地、篠尾の村興しに力を注いでいました。そのひとつがこのコンニャクでした。
〇
奥様にお礼の電話をしました。すると、
「お父さんが作ったコンニャク芋で作ったコンニャクです」と。
これは、あだやおろそかには食べられません。心して戴きます。
このブログを見て下さった皆様、ちょっと覚えておいて下さいね。
本年の営業は、今日で終了しました。
「輪」にとっては大きな曲がり角の年でした。
皆さまありがとうございました。
今日の日記はこちらで ↓ どうぞ。
http://nishinomiya-style.com/blog/page.asp?idx=10001390
新年は10日より営業の予定です。
寒くなりました。
となりのお地蔵さんも冬装束です。ちょっと厚着じゃないかと思うのですが、お参りの皆さんが「お地蔵さんも寒かろう」といって、次々と奉納されます。
こちらは境内に立つ一願地蔵さんです。
昨日の朝、気づいたのですが、こちらにも新しい帽子がかぶせられていました。
手編みですね。かわいいです。どなたが奉納されたのでしょうか。
そして、境内の花梨の木です。
一個だけ実が残っています。
今頃まで残っているのは不思議。いつも11月中に採り入れます。しかしこの高い所は届かないので、そのうち落ちてくるだろうと放っておいたのです。それにしてもおかしい。葉はほとんど落ちてしまったのに、実が一個だけ残っている。
よく見ると、木の枝にひっかかっているのでした。それにしても風の強い日もあったのにちょっと不思議でした。
梯子を持って来て、なんとか採りました。傷もなく虫もついておらず、きれいな実で、香りも素晴らしいものでした。いつもお地蔵さんの掃除や花の世話をして下さっているI見さんにもらってもらいました。咳止めの妙薬になります。
〇
「輪」は明日が今年最後の営業日です。新年は10日より営業いたします。
ついに最終回でした、デイリースポーツの名物記者、坂本さんが仕切っていた「元気」欄。
10年8カ月とある。始まって間なしに取材を通してお知り合いになったのだった。もう10年過ぎたのだ。そりゃあ変わりますよね。左上の写真が坂本さん。個性的な記者さんでした。
この人を引き立てたのが今は亡き、かつては神戸新聞のトップ記者だった有井基さん。その有井さんを関学から引っ張ったのが宮崎修二朗翁。
と、それはともかく、興味のある人は最終回の記事をお読みください。個性的な記者さんということがわかります。お相手をしているのは俳優の渡辺哲さん。
坂本さん、お疲れ様でした。また飲みに行きましょう。あなたには借りがあります。
詩誌『風神』が届きました。芦屋の詩人、三浦照子さんからです。
三浦さんは元西宮の小学校の図画の教師でした。後、大谷美術館の学芸員に。そこで大活躍されます。初期の大谷の大型展企画はこの人の仕事です。東郷青児や棟方志功や横尾忠則、そして富岡鉄斎などがあったと思います。さらに忘れてならないのが、絵本原画展です。この三浦さんのパワーに負うところ大でした。このような美術館があのころ黒字経営だったということです。しかし、西宮という小さな器には納まることができずに、後神戸の美術館に移られました。
この『風神』の表紙絵、津高和一さんです。言わずと知れた西宮の抽象画家。足立巻一氏と懇意だった元詩人でした。残念ながら震災の犠牲になられました。
そして、三浦さん自身も詩人であり、画家でもあります。自宅には小さなスペースですがギャラリーもあります。
その三浦さんの詩「現況」です。
少し難しいですがレベルの高い詩です。
カットも三浦さん。
この詩誌の同人はみなさん優れた書き手ばかりです。中の、直原弘道さんの「狐のように」が面白い。
「毎月数えきれないほどの詩誌が出ている (略) 二度と披かれないまま 積まれ捨てられ忘れられる愛しい詩の言葉よ(略)」
ごく一部ですが、自らを冷静に見る目が印象的です。この直原氏のことも書きだすと切りがありません。今、重い病床にあられるようです。
今夜、用海将棋会の忘年会でした。大人の部です。
会食のあと、忘年会恒例の、紅白に分かれてのリレー将棋を楽しみました。一人2手ずつ指してバトンタッチします。勝ったチームにはささやかな賞品が出ます。
幸い、わたしのチームが、激戦の末勝利しました。わたしが二度、好手を放ちました、と、自画自賛。しかし、途中、どちらも悪手が出て、逆転の連続です。そこがリレー将棋の面白いところ。次の人にアドバイスをしてはいけないのです。ということは、自分が考えて指した手が無駄になってしまう、というよりも、流れが変わってしまうのです。「あ~~あ」というため息が何度も洩れます。そして爆笑が。ああ、楽しかった。
あと、ちょっとフリー対局を楽しんでお開きになりました。わたし、今年最終戦にも勝利しました。
これで、今年の将棋の予定は全て終了しました。今年も子どもの指導によく頑張りました。ボランティアで頑張った自分をほめてやりましょう。