『松の花』とあります。
Y沢さんが持って来て下さいました。
居士禅の会「栽松会」の50周年記念誌です。
Y沢さのこと、5月12日に「光陰矢のごとし」と題してここに書きました。
さらに『kobecco』7月号に「備忘メモ」と題して書きました。
その時、再会したのは恐らく30年ぶりぐらいと。
50年記念誌、懐かしい顔が!
わたし、この栽松会に、かつて10年ぐらい所属してました。その時すでに会は10年ぐらい経
ってました。わたしが辞めて30年ぐらいです。合わせて50年です。
Y沢さん、辞めて30年にもなる者によく届けて下さいました。
最初の扉頁には、臨済図が。
臨済禅は厳しいものです。絵に表れてます。
それでわたし、恥ずかしながら途中で棒を折ってしまいました。
次のページには、大井際断老大師の穏やかなお顔の写真が。
94,5歳になられるがあまり変わっておられない。いたってお元気そうである。
Y沢さんのお話でも、「お元気そのもので、ちゃんと我々と一緒に普通に歩かれた」と。
もう少し頁を繰ると、また懐かしい写真が。
わたしが修行していた頃の、先輩方の写真である。
もう年月も経ちますしアップしても許されるでしょう。
このうち三人はお亡くなりになってます。
みな厳しく、優しい先輩でした。
わたし、この人たちに、御恩返しが出来てません。
Y沢さんは、「また復帰して下さい」と言われるが、わたしは、皆さん(と言っても、当時の人は
もう4,5人しかおられません)に会わす顔がありません。後ろめたいのです。心のどこかに傷
があるのです。
そして、30年のブランクは大きい。Y沢さんは、「まだ間に合います」と言われるが。
わたし、他にやらなければならないこともありますし。
Y沢さん、ありがとうございました。
それにしてもY沢さん、いいお顔になっておられる。長年の修業の賜でしょう。ヨクもトクもない
顔だ。この前も書いたが「日向のお地蔵様」のよう。
今日は、もうお一人思いがけないお客様がお見えに。
家内がこれまで、卸市場でお会いしていたという人。なのだが、これが偶然、わたしの中学校
の1,2年生の時の同級生だったのだ。驚きました。
わたしは、中二の時、胸の病気になり一年間留年し、彼とは卒業年が違うのです。
だから、五十年以上も話をしたことが有りません。しかし、顔は、なんとなく覚えていました。
「N田君とちゃう?」で、アタリでした。
そのころの話に花が咲きました。
二年の時、放火があって、わたしたちの教室が焼け、しばらくは、理科室などの特別教室で
授業を受けたり(これ、座る場所によって後ろ向きに授業を受けました)、他のクラスと合同授
業だったり、と、そんな話を出来る人は滅多にありません。
先生の名前、級友の名前、次々と思い出して…。
「M山美智子という可愛い子が隣の席になった時はドキドキしてた」
「I君からそんな話が出るとは思わなかった」
などと話が弾みました。
ああああ、懐かしい。
敬愛する杉山平一先生から郵便が。
新聞記事のコピーです。
これ、この前、H見さんが、わたしが杉山ファンと知っておられて切
り抜きを送って下さいました。
そうなのだ、わたしが杉山ファンなのは、杉山先生ご自身がよくご存知なのだ。
ただし表書きは、多分娘さんの代筆。
そして、もう一枚コピーが同封されていました。
ポチッ、して読んで下さい。
朝日新聞の「天声人語」です。
杉山先生の詩が紹介されてたと、どなたかに聞いてはいましたが、未見でした。
いいですねえ!
先生、ありがとうございます。
どうぞ、お元気で。
明日28日(火)の「輪」のおすすめ定食は、
「うどん・松茸ごはん」の予定です。
よろしくお願いいたします。