詩集『いきている』(荻野ゆう子著・編集工房ノア刊)・1980円税共)を読ませていただきました。
まず驚いたのが発行日。
8月16日だというのだ。これはびっくり。
著者の荻野ゆう子さんは、詩人江口節さんが主宰する詩誌『鶺鴒』の同人。
『鶺鴒』はいつもお贈りいただいて楽しませていただいています。
荻野さんは現役の教師らしい。
わたしが若き日になりたかった職業。
全て読ませていただいて感じるのは、難しい詩はないということ。
「現代詩」を書いてやろうという気負いなんかは全くありません。
ごく自然体で書かれています。なので安心して読めます。
詩集は三章に分かれています。
その第一章。身辺のことがどちらかといえば淡々と書かれています。
ものごとを大げさにとらえるのではなく、心に響いたことをさりげなくと言った感じで。
これが好感度を上げているのかな。
巻頭詩「いきている」です。
日ごろ小学生の子どもと接しておられるのが、こんな文体を生むのかもしれません。
この詩だけが平仮名で書かれています。そのせいか、柔らかで平明な感じがします。
第一連の素直さ、伸びやかさ。
が、「じっと とまっているのに/もとのばしょに いない/ちきゅうが まわっているあいだは」
などと、心の襞も少しのぞかせて。
「牛脊雨」には「小学生の頃から/夢を聞かれる度に/学校の先生 と答えていたが」とあります。
いいなあ。夢が実現して。でもこの次の行には「一番の夢は別にあった」なんて思わせぶりなことが書いてあります。
「揺れ」には阪神大震災のことが書かれていて、「少ししか離れていないのに 地震なんか無かったみたいやな」という言葉があります。これはわたしも体験したこと。大阪へ風呂に入りに行った時、武庫川を超えると、まるでなんにもなかったかのようにカラオケの音楽が鳴っていたのでした。
第二章は、お母さんのこと、お父さんのこと、祖母のこと、いずれもすでに亡き人のことが書かれています。
中でも「年越しそば」は、しんみりと、そしてあたたかで好きな詩でした。
お父さんお母さんへの思いの深さが思われます。祖母のことを書かれた「丸い背中」は描写が具体的で思いが良く伝わりました。
そして第三章は、待ってましたの子どもの詩。受け持ちの小学生の生き生きとした姿が見えます。
「女やなあ」は好きでした。なんでもない、普通は聞き逃してしまいそうな子供の言葉をしっかりとアンテナに受信して詩に昇華したのは、やっぱり長年の教師生活の賜物なのでしょう。羨ましいことです。
そして特に好きだったのが「はじめてのけしき」。
発見の喜びを「かわいい」という言葉で伝えるトオル君。これを詩にしてしまう荻野さん。これも普通は見逃してしまいそうな場面ですが。
ほかの多くの詩、いちいち紹介しませんでしたが、興味のある人は入手して読んでください。
編集工房ノア 電話番号06―6373-3642
荻野さん、ありがとうございました。