喫茶 輪

コーヒーカップの耳

『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~を読む「追記」

2019-04-09 17:12:03 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』だが、三浦照子さんに関しての箇所に著者に思い違いがあることを指摘した。
『雑誌渉猟日録』を読む①である。

その後、著者の高橋さんと何度かやり取りしたのだが、思い違いをお認めになりました。
そして頂いたお葉書に「三浦さんの消息、わたしも知りたいものです」とありましたので、
わたし三浦さんに電話しました。そしたらお元気な声だったので「あ、お元気そうで」と言いました。
すると「元気じゃないわよ」と急に力ない声に。
でもやはりご自宅で生活なさっていて、「老人ホームになんか入ってませんよ!」とのこと。
ことの詳細を話すと、「その高橋さんにお会いしたい」とおっしゃる。
そして、いろんな情報を教えてあげたいそぶり。それは高橋さんのお役にも立つこと。
で、わたし高橋さんに電話して、「一度三浦さんに電話してください」と言って電話番号をお教えしました。
あとはもうお任せです。
このような資料的な本を出すということは大変なことです。高橋さん、ご苦労様。
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『雑誌渉猟日録』を読む⑩

2019-04-06 07:55:56 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』を読む⑩です。

「あとがきにかえて」より抜き書き。

《今後も新たな出逢いを期待して古本屋に足を運ぼうと思う。読者の皆さんも各々の「マイ フェイバレット ポエット」に出逢い、探求されることをお勧めします。》

《さて、私は昔から機械音痴なので、ワープロもパソコンも全く使えず、未だに原稿をシコシコと手書きで書いている。》

これは逆にスゴイことだと思う。わたしなら到底無理だ。

《執筆に際し、今回も多くの方々にお世話になりました。(略)『風神』の資料を送って下さった詩人、今村欣史氏にも…。お名前はあげませんが、本文で取り上げた詩人たちからのお便りやご親切にも忘れがたいものがあります。》

《こうして書いてきますと、一冊の貧しい本をつくるにも、何と多くの方々の御力添えがあって成り立っているのか、と改めて感慨深いものがあります。あとは読者の皆さんが本書を読んで少しでも楽しんで下さり、探書の参考にもしていただければ、まことに幸いに思います。高橋輝次 二〇一九年二月一七日 》

と、こうして一冊読んできたのですが、わたしは、わたしに関することだけをここに書いてきました。
それでもこれだけの記事になりました。
だから、この京阪神に住む詩人文人は、その人個人に関することだけでも多くの情報が詰まっているということです。
それと思うのは、著者の高橋さんが、詩を愛し詩人を愛しているということがよくわかります。
これだけ好意的に詩を読んでいる人は滅多にないと思います。
ご自分は詩を書かないのにです。
そして、その文体。お人柄同様に、ゆっくりとぼつぼつ歩くと言った感じで、急きも慌てもせずに叙してゆくさまが微笑ましくさえあります。
それは詩と詩人を愛しておられるからに違いありません。古本屋での新たな詩人との出会いを、心から楽しんでおられる様子がよくわかります。
これは詩人必読の書といっていいでしょう。
いや、楽しかったです。高橋さんありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
また新たな発掘渉猟を期待しております。
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『雑誌渉猟日録』を読む⑨

2019-04-05 18:41:43 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』を読む⑨です。
「中・高時代の母校、六甲学院の校内誌『六甲』を見つける!」
―わが「センチメンタル・リーディング」体験―

これが面白い。この本の中で最も面白い項かもしれない。少なくともわたしはそう思った。
こんな風に始まる。
《私が中・高時代六年間通った六甲学院は、六甲山系の灘区伯母野山中腹にある、カトリック系の男子校である。神戸市街が校舎から広く見渡せる景色のよい場所にある。》
この学校へ行く途中の坂に陳舜臣さんの家、「六甲山房」があったなあ。そのこと『触媒のうた』の211ページに書いてます。
この後も母校の紹介があってこのページに。
←二段階クリックで。
母校の校内雑誌を大阪四天王寺の古書祭りで見つけたというのだ。
「この雑誌は私のために、じっと待っていてくれたのかもしれない」と青年に戻ったような表現。
二十数ページも思い出などが続く。独りよがりかというと、そうでもなく、わたしが読んでも面白い。
ご自分の高校時代の文章も載せておられて、それが上手いんですよね。今の氏の文より読みやすい、と言ったら叱られるだろうな。
いや、これは悪い冗談です。
そこでわたしに思いが。
わたしが大いに懇意にしている人もまた六甲出身なのだ。だからうちの家にもその縁で校内誌『六甲』が六冊あります。

パラパラと見てみましたけど、立派なものです。
ほかにも六甲の資料はありまして、高橋さんが21期卒業生だと名簿に載っているのを見つけましたよ。
(つづく)
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『雑誌渉猟日録』を読む⑧

2019-04-05 17:47:44 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』を読む⑧です。
「エディション・カイエの編集者、故阪本周三余聞」

ここで出てくる、清水裕也という人。
先日お会いしたばかりです。
「街の草」さんにお伺いしていた時にご夫婦でいらっしゃって、加納さんが紹介してくださいました。
以前、「街の草」さんで拙詩集『コーヒーカップの耳』を購入して下さったことをすぐに話してくださいました。
ありがたいなあ!と思っていたら『ライオンの顔』も、と。
「え?あれは出ない本でしょ」と言ったのですが、「街の草」にはあったのだと。
『ライオンの顔』はわたしが書いたものが最初に一冊になったものだったと思う。
もちろん手作りの私家版だから配った先は限られている。
つくづく「街の草」という古本屋さんは恐ろしい店だ。
その清水さん、一度「喫茶・輪」にご来店くださったそうだが、店は閉まっていたとのこと。
すみませんねえ。今、開けているのは、火、水、木、金の午前中だけなのです。
ただし、「喫茶・輪」の書斎に御用の方は予めご連絡をいただきましたら、扉を開けてお待ちいたします。

あ、そうだ、本の本文。
《ところが、である。その数日後、阪神沿線の甲子園にあるみどり文庫に出かけ、女性店主さんと本談義を交わしているとき、共通の若い古本仲間である清水裕也君(通称、ゆずぽん君)―私の冊子『古本こぼれ話』も彼の努力で出来上がった―のサンチカでの収穫をしりたくなり、彼女の携帯で氏のツイッターを見せてもらった。すると画面に、彼は初日と次の日も早くから出かけ、その二日目の収穫の一つとして、私が未見の『ペルラス』二冊(5号と6号)の書影を上げていたのである。私は「あっ」と驚き、正直、「こりゃ、やられた!うらやましい1」と思った。まだ三十代なのに、その蒐集力のすごさにはいつもかぶとを脱ぐばかりだ。》とあって、高橋さんを古本蒐集の鬼だと思っているわたしは、清水裕也という人のことをどう言えばいいのでしょうか。それこそ「鬼か神か」ですね。
またうちの店にも顔を出してくださるとのことでしたが、恐いなあ、怖ろしいなあ。
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『雑誌渉猟日録』を読む⑦

2019-04-05 17:11:55 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』を読む⑦です。
「柘野健次『古本雑記―岡山の古書店』を読む―

岡山の本といえばわたしには「岡山文庫」が思い浮かぶ。
その中の『逸見東洋の世界』
逸見東洋とは、「鬼か神か」と恐れられた幕末から明治にかけての刀鍛冶で明治正宗とも呼ばれた人物。
岡山文庫の本ではわたしはこれしか持っていない。
というのも、この東洋のご子孫が「喫茶・輪」の常連さんなのだ。
拙詩集『コーヒーカップの耳』が新聞に紹介されたときにご来店下さり、お買い上げ下さってからのお客様。
この本はその方から頂いたもの。
で、うちの店で宮崎翁とお知り合いになって、それがまた奇遇。
宮崎翁は東洋のことよくご存じだった。
さらに「岡山文庫」は宮崎翁がご指導なさって創設されたもの。
というのも、宮崎翁が全国に先駆けて地方文庫「のじぎく文庫」を創設され、岡山でもそれにならおうとの機運が盛り上がり、
宮崎翁に教えを乞いに来られたのだと。
そうして成ったのが「岡山文庫」だったというわけ。
なので、「ずっと送ってきてくれます」と言っておられた翁のお家には「岡山文庫」がズラリといっぱい並んでいたのを覚えている。
あれらもみんな大阪の古書店Kに行ってしまったのだろう。
高橋さんの本の内容からは離れたが、こんなことを思いました。あ、そうだ。この項には、出久根達郎さんのお名前が出てきた。
出久根さんは拙著『触媒のうた』の帯文を書いてくださった作家。
先に出てきた間島保夫さんとも縁があり、追悼文集に追悼文を寄せられている。
ああ、いろいろとつながりがあるなあ、この本に出てくる人たちは。
(つづく)

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『雑誌渉猟日録』を読む⑥

2019-04-05 15:59:16 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』を読む⑥です。

「戦後神戸の書物雑誌『書彩』二冊を見つける!」―神戸古本屋史の一齣―
ここに出てくる雑誌では、わたしは「書彩」には馴染みがないが、「歴史と神戸」は購読しているし、たまには寄稿もすることがある。そして「半どん」にはここ何年か続けてエッセイか詩のどちらかを載せてもらっている。

この項で気になるところ。
《林さんの文章によれば、竹中郁、落合重信(この人のこと、宮崎翁からお聞きして、書いておきたいことがあるのだが、まだ果たせていない。いずれ)、亜騎保、足立巻一、宮崎修二朗氏らが書いているという。》
これは「書彩」の話。124ページから125ページにかけて載ってます。どんなことを書いておられるのだろうか、気になります。

それから加納さんが「半どん」142号に「間島さんの手」と題して追悼文を書いておられるとのこと。
その引用文を引用します。
《古本屋という仕事は、一冊の本を眼で見ると同時に、手で見る。たとえその内容を読むことが少なくとも、手で触れ、その重みを量り、用紙の手触りを確かめ、記憶する。頭が覚えると同時に、手が記憶する。そういったものだと思う》
これは宮崎翁も信頼を寄せていた間島保夫さんのことだが、加納さん自身のことでもある。加納さんとは、先日このようなことをメールで会話したばかりだ。
そしてこのあとのこんな記述に注目。
間島氏は沢山の文章は残さなかったが、彼の最大の表現は三十六号で終った「間島一雄古書目録」であったろうとも語っている。これも目録を出している多くの古本屋さんに共通する見方だと思う。》
この間島さんの最後の古書目録、わたし最近、加納さんの「街の草」さんに持ち込んだのではなかったかな?わたしが持っていても仕方がないので。
(つづく)
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『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~を読む⑤

2019-04-05 15:31:52 | 『雑誌渉猟日録』

『雑誌渉猟日録』を読む⑤です。 
「神戸の俳句同人誌『白燕』(代表、橋閒石)を見つける」―坂本巽の生涯と仕事―

ここでも、この前「KOBECCO」に三回にわたって書かせていただいた海尻巌さんの名前が。
そしてそして、やっと宮崎修二朗翁のお名前が。
《(略)以前、原稿の資料に使ったことがある『半どん』七十七号を何げなく見返していたら、五十三年度の「半どん文化賞」受賞者のうちの美術賞受賞者として、奥村氏が挙げられているではないか!ちなみに、同年の文化功労賞を宮崎修二朗氏が受けられている。》
この時のことです。わたしが『触媒のうた』の236ページ~238ページに書いている、宮崎翁が受賞を固辞したが、足立先生の説得で仕方なく受けたという賞は。今となっては誰もそんなこと知らないですよね。
(つづく)
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『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~を読む④

2019-04-05 15:08:35 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』(高橋輝次著)を読む④です。
「戦後神戸の詩同人誌『航海表』の航跡を読む」
―和田英子『半どん』連載から―
和田さんは『風の如き人への手紙』のお仕事で兵庫県文化賞を受けておられる。
わたしはその和田英子さんとも親しくしていただいていた。
甲子園におられたころに知り合ったもので、輪にもよくお越しいただいた。
お宅にもよく車でお送りしたものだった。
球場のすぐ近くだったので、庭にジェット風船が落ちてくると言っておられた。
わたしにとっては、「気のいいおばちゃん」といった感じの人だった。
いつも気さくに声をかけてくださって。

この項には海尻巌さんの名前もチラっと出てくる。
(つづく)
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『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~を読む③

2019-04-05 13:25:30 | 『雑誌渉猟日録』
『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~(高橋輝次著)を読む③。

「関西の戦後雑誌、同人誌を寸描する」の項に、三浦照子さんが登場。
これはわたしも高橋さんに電話による取材を受け、その縁でこの本を贈呈いただいた。
先に、…を読む①でもちょっと触れた。
三浦さんとはけっこう親しくお付き合いをさせていただいていた。
彼女、クリスチャンである。
その縁でわたしが敬愛していた神戸の洋画家、菅原洸人さん(洸人さんも敬虔なクリスチャン)とも親しい人だった。
洸人さんの葬儀でも一緒になり、帰りに芦屋までわたしの車でお送りしたことがある。
もっと前にはご自宅のギャラリーでの個展に寄せていただいたことも。
また拙詩集『コーヒーカップの耳』を読んでの感想は「わたしの詩集なんか捨ててしまいたくなりました」と絶賛して下さったのだった。
”ヨイショ”だとしてもうれしかったのを覚えている。
もちろん、わたしの出版記念会にも出席していただいた。
それと、西宮でも小学校の教員をしておられたことがあった。
後に「大谷記念美術館」で学芸員をなさっていた時には大活躍され、その話は、当時の教育長、小林久盛さん(わたしの恩師・今、がん治療で世界的に話題になってきている小林久隆博士の父君)からも直接お聞きしている。ちょっと面白い話だったが、公開ははばかられます。

この「同人誌を寸描する」には三浦さん以外にもわたしが直接お会いした人のお名前がたくさん登場する。以下。
中村隆さんとは親しく話したことはなかったが、拙詩集『工場風景』を神戸新聞で取り上げてくださってうれしかったことを覚えている。
「街の草」の加納さん、「編集工房ノア」の涸沢純平さん、細見和之さん、足立巻一先生、「みどり文庫」の井上さん、扉野良人さん、小野十三郎さん、岡見祐輔さん、桑島玄二さん、小林武雄さん、渡辺信雄さん、安水稔和先生、津高和一さん、亜騎保さん、米田透さん、伊勢田史郎さん直原弘道さん、たかとう匡子さん、松尾茂夫さん、以倉紘平さん、鈴木漠さん、松本昌子さん、福井久子さん、などなど。ということで興味深く読ませていただきました。しかしこうしてみると、わたしも古い人間になってきたものだ。
(つづく)
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『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~を読む②

2019-04-05 11:53:50 | 『雑誌渉猟日録』

『雑誌渉猟日録』を読む②です。
「詩同人誌『季』で二詩人の追悼号を読む」の項に備前芳子の名前があって、これはうれしい。
備前さんといってもご存じの方は少ないだろうが、わたしは一度お会いしている。
「喫茶・輪」にご来店くださった。杉山平一先生の紹介だった。
備前さんがまだ『缼席』を出される前のことだった。
もういいかな?こんなこと書いても。
わたしの私家版『工場風景』を杉山平一先生が見て、「こんなのを出す方法を備前さんに教えてあげてほしい」とおっしゃった。
そして備前さんがお見えになったのである。
詩集を出したいが資金が…、ということだった。
『工場風景』はわずか30部ほど、しかも簡易な製本のもので、費用がかからなかったのである。
お教えしたが、結局は後に編集工房ノアから立派なものを出された。
それが『缼席』。いい本だった。表紙絵は杉山先生によるもの。
というより内容が良かった。
シンとしたお人柄を表すような作品が並んでいる。
この項には、チラっと山南律子さんのお名前も出てくるが、山南さんとも一時親しくさせていただいていた。

次の項「『季』に集う俊英詩人たち」に小林重樹さんが登場。
『季』では重要な役目をしておられたようだ。
この人とは親しく話したことはないが、わたしが詩を書き始めたころに思い出がある。
西宮市が文教住宅都市宣言20周年記念に市民の文芸を募集したことがある。
それにわたしも応募したのだが(のちにそれが宮崎翁との縁に)、小林氏も応募しておられて、「夏の酒蔵」という詩で第一席に入っておられた。
その時わたしは「甲山」という詩で第二席だった。第三席が香山雅代さん。
これは忘れられない出来事だった。
その時の選者は、井本木綿子、岡見裕輔、鳥巣郁美の三氏。
ちなみに散文部門の選者に宮崎翁がおられた。

(つづく)
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『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~を読む①

2019-03-31 21:56:21 | 『雑誌渉猟日録』
高橋輝次さんの新著『雑誌渉猟日録』~関西古本探検~。
パラパラとページを繰ってみたが、わたしにとっては興味深い。
ただ一般的には少々マニアックかな?
でも京阪神で活動している詩人、文人には大いに興味が湧く内容だ。
これから読み進めるのが楽しみ。
しかし、「ちょっと待って!」というところがあった。
87ページ。三浦照子さんについての記述。
《今村欣史氏によれば、現在九十歳近くながら老人ホームで過ごされ、お元気そうだとのこと。》
え?これ、わたし全く知らないぞ!
言った覚えはないし、言うわけもない。
高橋氏のなにかの勘違いだろう。
三浦さんとはここ何年かお会いしてないし(2,3年前に神戸文学館でお姿に接したことはあるが)、実は消息もよくわからないのである。
一昨年、拙著『触媒のうた』をお贈りしたのだが、返事がなかった。いまだに反応がない。
お気に召さなかったのかな?と思っていたら、昨年年賀状(印刷だけの)は来たので少しは安心したのだが。
ところが今年は来なかった。わたしが出したのは返って来なかったので、届いてはいるのだろうが。
というわけで、三浦さんが今どうしておられるかは知らないのだ。
因みに、わたしが所持する最も新しい兵庫県現代詩協会の会員名簿(2018年4月)を見てみると、ちゃんと名前は載っていて、以前のままのご自宅がご住所になっている。

追記
 この記事に著者の高橋氏よりお便りをいただきました(4月4日)。
《三浦さんの件、「風神」についてお電話で伺った際、「よく分からないが…」お元気じゃないですか、というようなお話をされたと記憶しているので、私はそれをつい断定的に書いてしまいました。(略)ただ「老人ホーム」におられるのは詩に出てくるので、事実ではないでしょうか。》

この「老人ホーム」が出てくる詩をわたし知りません。ので、高橋氏にその出典を問い合わせてみようと思っています。
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『雑誌渉猟日録』

2019-03-31 19:45:45 | 『雑誌渉猟日録』
届いた本、『雑誌渉猟日録』(皓星社)。
高橋輝次さんの新しい本です。
装丁は林哲夫さん。

わたしの名前もチラっと出てきます。

目次を見てみると、「中・高時代の母校、六甲学院の校内誌「六甲」を見つける!」という項目があった。
←二段階クリックで。
ちょっと驚き。
まだ届いたところで内容はまた改めて。
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