喫茶 輪

コーヒーカップの耳

やり手

2019-01-31 18:05:25 | 懐かしい話
一枚の写真を探しているのだが見つからない。
ところがこんなのが見つかった。
全く忘れていたもの。

確かに私が撮ったものだが、まったく覚えがない。
しかし貴重だ。
左の胸をはだけた老女は、西宮の遊郭の最後の「やり手婆」さん。浅井きくさん。
男にちょっと触れただけで、懐具合が分かったという。
今生きておられたとしたら、130歳ぐらいだろうか?
もちろん一人暮らしだった。
お米を買ってもらっていたのだが、行くと、長いキセルで煙草を喫っておられた。
そして、「ちょっと兄ちゃん、男はな」とお説教が始まる。
世の中の酸いも甘いも噛分けた人だった。
右隣のおばあさんは、近所の竹谷さんという、これまたなかなかの人だった。
わたしはそれほどゴンタではなかったと思うのだが、よく叱られた覚えがある。
こんな写真が残っていたとは!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別冊・コーヒーカップの耳 36

2019-01-31 08:18:18 | 別冊・コーヒーカップの耳
別冊・コーヒーカップの耳
~塀のうちそと~
36「ガラウケ」

会社(組)やめて 東京におるころ えらい貧乏しとってな。息子 中学生やった。万引きで捕まりよって。東村山署にガラウケ(身柄引き受け)に行ったんや。帰りにラーメン屋で息子に言うてやった。「こんなことばっかりしよったら しまいにチョウエキやぞ。代わってやりとうても 代わってやられへんからな」そう言いながら 貧乏はつらいなあ 思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別冊・コーヒーカップの耳 35

2019-01-30 06:46:35 | 別冊・コーヒーカップの耳
別冊・コーヒーカップの耳
~塀のうちそと~
35「三回半」

ダンプカーに乗ってる時やった。仕事仲間が「今日、何回走った?」て訊きよったから 四回の意味で 指四本立てたんや。ほんならそいつ「三回半でっか?」て言いよった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬枯れの道

2019-01-29 19:57:26 | 日記
先日出した宮崎修二朗翁への手紙に、体調不良のことを書き、検査結果が今日29日に出るとお知らせしていた。
なので、今日の結果をハガキでお知らせ。
ポストへの道で写した六湛寺川の写真です。

正に冬枯れの道です。
しかし、あと二月もすれば桜の花が川面を飾るでしょう。
「冬来たりなば春遠からじ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三日月をけずる』

2019-01-29 18:30:50 | 
未知の人から詩集が贈られて来た。

『三日月をけずる』(服部誕著・書肆山田刊・2018年年9月)
著者の服部誕さんに覚えがない。しかしどこかで聞いた名前ではある。
そして、送られてきたスマートレターの宛名が「喫茶輪」気付け「出石アカル」となっている。
「え?」と思った。
開けてみてわかった。手紙が入っていた。
《謹啓 (略)本日、たまたま貴ブログ「喫茶輪 コーヒーカップの耳」を拝見しましたところ、昨年11月に拙作「大空高く凧揚げて」をご紹介いただいていたことを知りました。(以下略)》
ということなのでした。
そのあとも文が続いて丁寧なお便りである。
ご指摘の拙ブログ。→ 「大空高く凧揚げて」

この詩「大空高く凧揚げて」は、お贈りいただいた詩集『三日月をけずる』の巻頭を飾るものでした。
全文読ませていただきましたが、思いのほか言葉が多く、詩とすればもう少し削った方がいいのでは?とわたしは勝手な感想を持ちました。
しかし、これはこれで「読ませる詩」だとも思いました。
そして、詩集、全部読ませて頂きましたが、たしかにこれは詩としては「書きすぎでは?」と思わぬことがないのですが、
やはりなぜか「読ませる」のでした。飽きないのです。
わたしに元々散文志向があるからかもしれませんが、読んでいて楽しいのです。
特に、お母さんのことを書かれた作品は温かみがあって胸に沁みました。
年齢はわたしより10歳ほどもお若いのですが、子ども時代のことを書かれた作品には、わたしの体験と重なるものがあり、とても共感しました。
「千九百五十九年の釘の話」に出てくる、「ぺちゃんこの釘」なんてのはわたしも体験しました。大きな声では言えませんが、電車のレールの上に釘を置いて、電車に轢かせてぺしゃんこの釘を作り「手裏剣だ」と言って遊んだこと。また「釘刺し」という遊びも隣の地蔵さんの境内でよくしました。ここに書かれているよりわたしたちはもっと複雑なるルールでやったことも思い出しました。そして「字隠し」はすっかり忘れていましたが、これもたしかにやりました。懐かしい懐かしい思い出です。よくぞ思い出させてくださった、という感じです。
ほかにいくつかの散文体の作品もあり、どうもこの人は、散文を書かれた方がいいのでは?という感想を持たされました。
これはわたしの勝手な読みかもしれませんが。

この詩集については先に「座布団の行方」と題してちょっと書いています。


思いがけない人から、思いがけない詩集をお贈りいただき、楽しませて頂きました。
服部さん、ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再発か?

2019-01-29 13:21:41 | 健康・病気
先週のこと。
胸が痛くなった。
土日と続けて二日就寝前に。
二日目は特に痛く、昨年救急車のお世話になった時と同じ質の痛さだった。
ニトロを服用して落ち着いた。
なので、狭心症の再発かと思った。
翌朝、病院に行き、救急で診てもらった。

検査色々。
I川医師の見立ては「多分一過性のものだと思いますが、再発も考えられます。なので秋に予定されているCT検査を前倒ししてやりましょう」と。
その結果を聞くのが今日だった。
今日は主治医のI尾先生。
11時15分の予約。
わたしは、あの痛さから考えて、再発の可能性が50%以上あると覚悟していた。
I尾先生は多分「結論から先に言います」とおっしゃるだろうと思っていた。
予約15分前の11時に診察室の前で待つ。
しかし11時半になってもわたしは呼ばれない。
次々と別の人の名前が呼ばれる。
11時45分になり、前の人の診察が終わり、もうそろそろと思っていた。
ところが、ドアは閉められたまま、なかなか次が呼ばれない。
10分以上も誰も入らない。ということは、次がわたしだとしたら、先生は何かをためらっておられるのか?
どのように説明しようか?と検討しておられるのか?
要するに問題があるのではないか?と。
そして、わたしが呼ばれた。
あ、やっぱり、わたしに問題があるのでは?入院か?手術か?
ある程度の覚悟を持って入って行った。
「大変お待たせしました」とI尾先生。
「結論から申し上げます」
やはり想像した通りだ。
「CT検査の結果は、良かったです」
思わず「ありがとうございます」と声が出た。
I尾先生のお陰!と、そんな気になった。
「一時的に血管が狭くなったのでしょう」
画像を見ながら、このあともいろいろ説明してくださったが、本当にホッとした。
次は一ヵ月先にまた診察を受けるということになった。
一週間余り、落ち着かない日々を過ごしたが、やれやれでした。

ところが、会計を待つのにまた時間がかかった。
12時半を過ぎてしまっている。
ケータイは持っていなかった。
家では家内が心配して待っている。
こんなに遅くなっているのを、悪い方に思っているだろう。
院内を探すと公衆電話があった。
10円コインを入れて電話した。隣にも人がおられたので、手短に「心配ないから。また帰ったら話す」と言って切った。
帰宅すると一時を過ぎていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「座布団の行方」

2019-01-29 08:53:05 | 
全部読んでから紹介しようと思っているのだが、
さっき読んだ詩が良かったのでちょっと。
←クリック

←クリック

服部誕詩集『三日月をけずる』より「座布団の行方」です。
少しも技巧を凝らしたところのない、自然体の詩。
だれにでもわかるやさしい詩。
解りすぎて困ると言われそうな詩。
でも、読む人の心にじわりと沁み込む詩。
この『三日月をけずる』はタイトルが奇異だが、内容は実に自然体。
また改めて紹介したいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別冊・コーヒーカップの耳 34

2019-01-29 06:55:25 | 別冊・コーヒーカップの耳
別冊・コーヒーカップの耳
~塀のうちそと~
34「塀のうちそと」


あの塀が なんともいえまへんなあ。工場の高い塀が。ここからは建物の窓が見えまへんやろ。つい思い出しまんがな。なーんもない刑務所の塀を。そやけどここは 外です。間違いのォ ここは娑婆ですわ。ほんで わしは今 ここに座ってコーヒー飲んどります。しみじみ旨いコーヒーを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『篝火の森へ』

2019-01-28 18:19:27 | 
神戸の詩人、江口節さんから届いた詩集です。

きれいな本です。敢えて腰巻を外してスキャンしました。『篝火の森へ』(江口節著・編集工房ノア刊)。
~生田薪能詩篇~とサブタイトルがあります。それにピッタリの森本良成さんの装丁。
品が良くて、幽玄。
能についてはわたし門外漢です。3度くらいは実際の舞台を見たことがあるという程度。
そして、西宮の詩人、K山さんの能の詩を思い浮かべて、怖気づいていました。
しかし、K山さんの能の詩とは趣が違っていて、読みやすいものでした。
巻頭の一篇を紹介します。

  「しらじら明けの山の端に」

あの時は違った

気が付くと絵が完成していた

色と線を選んだのは 誰か

この指に添えられた手



彫刻家もうなづく

自分が彫り出したのではない

遥か昔より 木の中に俟つ像が

おのずから現れてきたと


詩人は知る

意を尽くしたスタンザは美しい

廻りくる「時」の針にもろもろと突き崩される

永い時を漕ぐ手が 詩を立たせるのだと


すべからく

創る手を与えられた者は待つ

ひたすら待つ

遠くから降りて来るもの 降りて来る手


しらじら明けの山の端に祈り

中天に耀う月に仰向き 瞼を閉じる



一日 一年 もっとだろうか

ついに 大いなるものの気が満ちる時

一心不乱に制作する人間の手に

もう一つの手が重なる

絵は絵に 剣は剣に



見たか? 狐を

               ―――「小鍛冶」




意外にもわたしの頭にスルスルと入って来ました。だからといって平板というのではなく、十分に深みと拡がりを備えています。「見たか?狐を」が印象的です。
このあと、わたしは感想を書くつもりで読み進めたのですが、感想というよりも、読んだ詩から連想が浮かんできて、それが興に乗って面白く、江口さんにはそのまま送ることにしました。
見当はずれのトンチンカンかもしれませんが、まっ、いいか、と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「木想」第9号

2019-01-28 09:47:17 | 
垂水の詩人、高橋冨美子さんから詩誌「木想」第9号をお贈りいただきました。

表紙の写真、凄いですね。撮影は高橋さんのご子息、俊仁さんによるもの。
兵庫県養父市、樽見の大桜(エドヒガン)とのことです。樹齢は千年を超えると。衰えが見られるとのことで保護策が取られています。

さて詩です。
高橋さんの詩はいかにも現代詩。わたしには理解がむずかしいのですが、今回の4作はまだ解る方かな?
紹介はしませんが、「五月」は昔の若い自分に寄り添うような作品。そして今へと続く次の「遠くへいってしまった」。
「旅先にて」は女性独特の感覚の詩。
そしてわたしが良かったと思うのが、「秋の眼」です。
←クリック
これ、いいですねえ。ユーモアがうれしいです。わたしは詩の中にユーモアを感じられるとうれしくなります。

「木想」は二人誌です。ということでもうお一人。
山下寛さん。詩も一篇「ものがたり」というのを載せておられますが、わたしはこの人の小説が好きなのです。
力量のある人だと思っています。
ところが今回の作品「夢層」は、わたしには正直面白くありませんでした。
刺激的ではあるのですが、なぜか退屈しました。
そして、山下さんが書いておられる「まえがき」を読んで解りました。
こういうことだったのです。
←二段階クリック
一種の実験?能動的な。

ほかに高橋さんが「小野十三郎と『風景詩抄』」と題して、小野の論考を載せておられます。力作です。

高橋さん、ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さあいな」

2019-01-28 08:13:57 | 
今朝の神戸新聞「読者文芸」欄、詩の部。
その入選三作目。

丹波の山内昌子さんの「父さんの畑」です。
わたし、一読して笑ってしまいました。
そして傍らにいた家内に読んで聞かせました。
タイトルは「父さんの畑」となっていますが、わたしなら「さあいな」にします。
この「さあいな」という言葉、阪神間に育った人には伝わらないかも?
丹波但馬に縁のない人には解らないでしょうねえ。
もしわたしが今、子どもに「長生きしてよ」と言われたら、
「さあ どうかなあ」と言うでしょう。
同じ意味でも但馬(丹波)弁のニュアンスは微妙に違います。
「さあいな」でしか伝わらない微妙なニュアンス。
方言は大切にしたいものです。
その言葉が消えると、その情感も消えてゆくのでは?

さて、選者はどのように評しておられるだろう?と思って読んでみると、

《「父さんの畑」は、「さあいな」と答える父の言葉に味わいがある。》

時里さん、流石です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別冊・コーヒーカップの耳 33

2019-01-28 07:19:46 | 別冊・コーヒーカップの耳
別冊・コーヒーカップの耳
~塀のうちそと~
33「死に方」

ヤクザの死に方には二通りおます。親分の前に立ちはだかって撃たれて死ぬのんが一番カッコええ。そやけど わしの兄貴分の一人は 違いました。現役の時 総理大臣と一緒に写真に写るほどの力持ってましたけど ある時 なに思うたんか 足洗うたんですわ。ヤクザはつぶしが利きまへん。いっぺんに貧乏ですわ。病気しても見てくれる者おらんし 一人で死にました。それも 死んでから三月もしてから見つかりましてん。検死でも死因が分からんほど腐ってしもて。これもヤクザの立派な死に方やとわしは思てます。わしでっか?わしも足洗うてから やっぱりこないして貧乏やし そのうえ病気持ちです。そやけど そんな 誰にも知られんと腐るような カッコええ死に方はできまへん。夜寝るときは 部屋の鍵 開けて寝ます。救急隊が来てくれた時 すぐに入って来れるように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鶺鴒」11号

2019-01-27 14:23:18 | 
神戸の詩人、江口節さんからお贈りいただいた詩誌「鶺鴒」11号です。


18人の同人が作品を寄せておられます。
みなさん素朴な詩風で穏やかな心で読ませて頂けます。
1篇、短い作品を紹介しましょう。
山口芳徳さんの「「詩人」」です。
タイトルにことさらカギカッコがついてます。
 
     「詩人」

   入院して三日目に一編の詩ができた

   嬉しかった

   病院に入ってから詩が書けたら

   「詩人」だ となぜか思った


   そしたら 「詩人」になれば

   いつかは多分よい「しにん」にも

   なれるやろ と思えた

   嬉しかった



わたしにも昨年、入院経験があります。
そして、詩作品も出来ました。
が、このような感慨は起こりませんでした。
そうか、「詩人」になれば、よい「しにん」になれるのか!
ここにきて、カギカッコの意味がおぼろげに解る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公害都市・西宮

2019-01-27 13:29:06 | 新聞記事
今朝の神戸新聞「わが心の自叙伝」10です。
←二段階クリックで。
辰馬章夫さんの自叙伝ですが、今日は「日石誘致」問題のことが書かれています。
わたしはまだ未成年でした。が、この時の西宮を二分しての争いは記憶に残っています。
選挙権のないわたしにまで。市長選の投票依頼があったり。
結果、酒造業界が推す辰馬龍雄さんが当選したのでした。
そして西宮は文教住宅都市を標榜し、今のような「関西住みたい街」上位にランクされる街になったのです。
あの時、反対運動の強い西宮をあきらめた日石は、四日市に用地を求め、後に「四日市ぜんそく」という言葉を生みました。
あの時、西宮にコンビナートが誘致されていれば「西宮ぜんそく」などという言葉が生まれたのでしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別冊・コーヒーカップの耳 32

2019-01-27 07:40:24 | 別冊・コーヒーカップの耳
別冊・コーヒーカップの耳
~塀のうちそと~
32「学校」

小学校の将棋クラブの指導に連れて行ってくれて うれしおました。わし 自分の子どもの参観にも行ったことおまへん。そやから学校行ったん久しぶりですわ。高校ンとき センコどついて退学して以来やから ほんま久しぶりや。そやけど わしみたいな風体の者(もん) よう連れて行ってくれよった。父兄にバレたら 校長困りよるんとちゃうやろか。小指千切れとるんは隠しといたけどな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする