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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
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▽=☆

フローズン・リバー

2013年04月07日 17時55分22秒 | 洋画2008年

 ◎フローズン・リバー(2008年 アメリカ 97分)

 原題/Frozen River

 staff 監督・脚本/コートニー・ハント 撮影/リード・モラノ

     美術/インバル・ウェインバーグ 音楽/ピーター・ゴラブ、シャザード・イズマイリー

 cast メリッサ・レオ ミスティ・アップハム チャーリー・マクダーモット マイケル・オキーフ

 

 ◎1650年、イロコイ連邦、成立

 無知というのは、おそろしい。

 アメリカとカナダの間に国家(独立自治領)が存在してるってことを、ぼくは知らなかった。

 このアメリカ独立にもかかわった連邦に、映画に登場するモホーク族が加わってる。

 けど、映画で主題になってるのは、モホーク族の現状だけじゃない。

 ていうより、たしかに、北米原住民の現在の暮らしぶりについても描かれてるし、

 貧困層にある白人労働者たちの暮らしぶりについても描かれてるけど、

 それだけじゃない。

 主人公メリッサ・レオは、トレーラーハウスに住んでて、ふたりの息子を育ててる。

 夫が生活費を持ち逃げしちゃったせいで、借金の支払いもままならない。

 車はあるけど、お金になる仕事はない。

 一方、モホーク族のミスティ・アップハムは、夫が息子を残して他界し、眼も悪い。

 カナダからの密入国の手口はわかっているものの、それに使う車がない。

 で、ミスティの案内で、メリッサの車に不法移民を乗せ、

 凍ったセントローレンス川を保留地まで渡る闇の仕事に従事するんだけど、

 赤ちゃんを隠した荷物を氷の上に捨ててしまい、結局、その命は助かるんだけど、

 このことから、母同士の奇妙な友情が芽生え、

 足を洗おうとした最後の仕事のときに警察に見つかり追われることになるって筋立てだ。

 よく、できてる。

 母親という絆でもって、佳境まで引っ張るんだけど、

 凍結した川が、アメリカの辺境で実際に起きている問題を象徴している。

 寒々しく、なにもかもが凍てついた静寂に包まれている世界は、

 つまり、生きることが凍結されてしまいそうな現状をなんとか打開しようと足掻く世界だ。

 ひるがえって、ぼくたちはこうした国境線の問題について、かなり疎い。

 樺太の50度線がいまだに存在していれば話は別だけど、

 もはや、そんなものはないから、実際に、日本人のぼくらでは見聞しにくいからだ。

 そうした分、たしかにかっちりまとまった佳作ではあるけれど、

 この映画のせつなさは、ただ想像することしかできないんだよなあ。

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グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち

2013年04月06日 00時08分44秒 | 洋画1997年

 ☆グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997年 アメリカ 127分)

 原題 Good Will Hunting

 staff 監督/ガス・ヴァン・サント 脚本/マット・デイモン、ベン・アフレック

     撮影/ジャン・イヴ・エスコフィエ 美術/ミッシー・スチュワート

     音楽/ダニー・エルフマン 音楽監修/ジェフリー・キンボール

 cast マット・デイモン ロビン・ウィリアムズ ベン・アフレック ステラン・スカルスゲールド

 

 ☆誰にでも一度はある旅立ちのとき

 ぼくにもあった。もうずいぶんと昔のことになるけど、田舎から上京したときが、たぶん、旅立ちだったんだろう。布団一式と押入箪笥、それと当面の着替えを運送会社に託して、身ひとつで上京した。当時は宅配便とか引っ越し屋とか聞いたこともなかったし、たぶん、なかったんだろう。だから、運輸会社に荷物を取りに来てもらい、縄で縛って運んでもらった。

 映画の中でマット・デイモンは、自分の下宿をひきはらうとき、荷物は処分した。そして、真っ赤なんだけど、ところどころシミのついた車一台で、さっそうと旅立っていった。けど、おもってみれば、人間が生きていくには、それだけの荷物でいいんだよね。おそらく、軽自動車に積み込めるくらいの量、一間の押入にきっちり収まる量、それくらいの荷物で、人間は生きていけるんだろう。

 上京してから色んな物が増えたけど、そのほとんどは余分なものなのかもしれない。

 映画の中で、なにが好いって、労働者階級の親友ベン・アフレックだ。100年にひとりの天才マットが、幼いころに両親と死に別れ、養父に虐待されながらも、勉学への志を持ち、本という本を読み漁り、そこらの大学教授よりも知識と応用に長けているのを、ベンは、ずっと見てきた。マットが、大学に金銭的な事情から入りたくても入れないことも知ってたし、でも、大学の清掃員をしながら、大学の空気に触れているのもよく知ってた。だから、マットが、その才能を生かそうとせずに、ビルの壊し屋をやって生きていけりゃいいんだよとうそぶいたとき、こんなふうに、いう。

「おれは、あほうだ。20年後も、この町でこうしてビルを壊してるだろう。だがな、もしも、おまえが20年経ってもここにいたら、おれはおまえをぶっ殺す。おまえは、おれたちとはちがうんだ。おまえは、その手に、当たりくじを持ってんだ。誰にもできねえような未来をつかむことができるんだ。だから、行け。さっさと、旅立て。このくそばかやろう」

 泣けるぜ、ベン。

 旅立つときのマットの車は、ベンが悪ガキ仲間と金を出し合って、プレゼントしてくれたポンコツ車だ。

「おれはな、いつもスリルを味わってる。朝、おれが、おまえを迎えに行くとき、おまえがいなくなってるんじゃねえかってな。だけど、おれは、待ってんだ。おまえの部屋が空っぽになって、おまえがいなくなってる日が来るのを」

 これも泣けるぜ、ちくしょう。 ちなみに、この映画の成立過程で常に語られることだけど、無名時代のマット・デイモンが、ハーバード大学に在学しているとき書いた短編を、幼馴染のベン・アフレックとふたりで書き直し、それが回りに回って映画化されたって話がある。マット・デイモン27歳、遅咲きの旅立ちって感じになるんだろうけど、ぼくは、かれがこの映画の4年前に出演した『ジェロニモ』はけっこう気に入ってる。ジェロニモを護送する青年少尉の役だったけど、話をひっぱるモノローグはかれの役目で、ある意味、主役のひとりだった。だから、この『グッド・ウィル・ハンティング』の時期、かれはもはや無名ではなく、とうに旅立ってたってことだよね。

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遠い空の向こうに

2013年04月05日 01時15分19秒 | 洋画1999年

 ☆遠い空の向こうに(1999年 アメリカ 108分)

 原題 October Sky

 staff 原作/ホーマー・H・ヒッカム・Jr.『ロケット・ボーイズ』

     監督/ジョー・ジョンストン 脚本/ルイス・コリック

     撮影/フレッド・マーフィー 美術/バリー・ロビソン 音楽/マーク・アイシャム

 cast ジェイク・ギレンホール クリス・クーパー ナタリー・キャナディ ローラ・ダーン

 

 ☆1957年10月4日、スプートニク1号、打ち上げ

 このアメリカに先駆けてソ連が打ち上げた世界初の人工衛星を、ウェスト・ヴァージニア州の炭鉱町コールウッドから見上げてる少年がいた。映画の原作者にして、のちにNASAの技術者になるホーマー・ヒッカムだ。空をゆく人類初の人工衛星を見、感動したことで、自分たちもロケットを作ろうとしてしまう少年たちは、実に素朴で美しい。かれらはやがて、その手作りロケットで、全米科学コンテスト(インテル国際学生科学フェア)の栄冠を手に入れるんだけど、この映画が感動的なのは、そんなことじゃない。

 炭鉱の監督として働く父親との確執、女性教師の愛情、町の人々の理解、彼女の協力、ロケット作りの仲間との友情、そしてさらに父親との融和が、やがて閉鎖されてゆくであろう炭鉱町の悲しさとともに描かれ、それがすべてきらきらと輝いているためだ。

 高校生の作るロケットは、最初はうとまれ、ばかにされながらも、それが次第に、町そのものの希望に変わり、家族や友達の夢に昇華する。誰もが経験したはずの青春時代は、親に反抗し、故郷を嫌い、隣人を疎ましがり、ともかく苦しみ悶え、夢だけ見てた。でも、その夢を手に入れることのできる人間は数少ない。みんな、どこかで、大小の縛りを受け、挫折し、妥協し、現実に甘んじ始める。けれど、もしも、その若者の才能を、まわりの人々が見抜き、心から応援したら、若者は夢をつかみ、人々もまたその夢がまるで自分の夢であったかのように喜ぶだろう。これは、そんな高校生の話だ。

 ただ、町で暮らしている高校生とちょっとだけ違うのは、町で暮らす高校生よりも困窮し、将来は炭坑夫になるべくして育てられた若者ってことだ。でも、かれの旅立ちにおもわず拍手したくなるのは、誰よりも尊敬し、自慢できる存在が、炭で薄汚れた父親だといいきることだろう。もちろんそうした考えに到るまでには紆余曲折あるんだけど、それを気恥しくないように描き切っているのがいいんだよね。

 あ、そうそう。邦題はともかく、原題の『October Sky』って、原作の『Rocket Boys』のアナグラムなんだね。内容とばっちり合った鳥肌が立つようなアナグラムじゃん。そういうのが、これまたいいんだよな~。

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マネーボール

2013年04月04日 13時20分50秒 | 洋画2011年

 ◎マネーボール(2011年 アメリカ 133分)

 原題 Moneyball

 staff 原案/スタン・チャーヴィン 原作/マイケル・ルイス『マネー・ボール』

     製作/マイケル・デ・ルカ レイチェル・ホロヴィッツ ブラッド・ピット

     監督/ベネット・ミラー 脚本/スティーヴン・ザイリアン アーロン・ソーキン

     撮影/ウォーリー・フィスター 美術/ジェス・ゴンコール 音楽/マイケル・ダナ

 cast ブラッド・ピット ジョナ・ヒル ロビン・ライト ケリス・ドーシー

 

 ◎1997年10月、ビリー・ビーン、アスレチックスGM就任

 昨日のお昼前、何気なくテレビをつけたら、とんでもないことが起きてた。

 米メジャー・リーグ、レンジャーズ対アストロズ戦、七回裏。

 ダルビッシュが完全試合を目前にして、投げてた。

 結果、完全試合はならなかったものの、

 9回2死まで無安打、無四球、自己最多の14奪三振にくわえ、

 最速97mph(約156km/h)を記録するという快投だった。

「背番号11で111球目に打たれるってのは、やっぱ、ぞろ目はなんかあるな~」

 とかいった呑気な話をしようとしてるんじゃない。

 このところ、なんだか、野球の話題が多い。

 選抜高校野球で、

 最速152km/hという済美の安楽智大投手が、5戦772球でちから尽きたとか、

 長嶋茂雄と松井秀喜に国民栄誉賞が贈られることになったとかで、

 それぞれについて、いろいろと議論が交わされてる。

 高校野球にも制限球数を取り入れて、故障を未然に防いだ方がいいとか、

 そんなことになったら、

 完全試合、ノーヒットノーラン、完封完投、奪三振数とかいった記録が無くなるだろとか、

 長嶋はわかるけど、人生の半ばにも達していない松井はまだ早いんじゃないかとか、

 ほんとかどうか知らないけど、国民栄誉賞ってなんで総理の一存で決まるんだとか、

 そんなふうに報道されてるのを見たり読んだりするだけでも疲れちゃうくらいだ。

 ぼくだって、こうして駄文を書いてるんだから、世の中には無数の意見がある。

 けど、個人の意見や主張をそのまま押し通せる人間はかぎられてる。

 この映画の主人公ビリー・ビーンがそうした限られた人間かどうかはわからないけど、

 すくなくとも、自分の信じる野球理論セイバーメトリクスを実践して、

 オークランド・アスレチックスに奇跡的な白星を積み重ねさせたのは事実だし、

 貧者の野球理論を駆使して自チームを勝利に導くという筋立ては、

 弱者が強者に打ち勝つのが大好きなぼくみたいな人間の好むところだ。

 けど、世の中、難しいのは、他球団がこうした理論を取り入れ、

 やがてメジャーの中では当然の理論のようになってきた今、

 金満球団が出塁率の高い選手を一手に取り込んでしまうのが明らかなことだ。

 映画とちがって、現実は終わりがないから、ほんとに難しい。

 でも、アメリカの好いところは、こうした理論を取り入れようとする姿勢にある。

 根性や気合だけじゃどうにもならない世界があるんだって話は、

 努力もせずに、ぼんやりと「いいことないかな~」とかって暮らしてるぼくには、

 ちょっとばかり手厳しいんだけどね。

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沙羅双樹

2013年04月03日 15時31分24秒 | 邦画2003年

 ◇沙羅双樹(2003年 日本 99分)

 staff 監督・脚本/河瀬直美 撮影/山崎裕 音楽/UA

 cast 福永幸平 兵頭祐香 河瀬直美 生瀬勝久 樋口可南子

 

 ◇1997年夏、神隠し

 好きな映画のひとつに『萌の朱雀』がある。

 ずいぶん前に観たんだけど、観たとき、なんか懐かしいな~と感じた。

 同時に「これ、好きだわ~」とも感じた。

 映画っていうのは、たぶん、そんな感想が出れば充分に成功なんだろう。

 出来がいいとか、不出来だったとか、技術がどうのとか、演技がどうたらとか、

 そんなことは、もしかしたら、二の次なのかもしれない。

 で、この映画の場合、透明感のある雰囲気がとても好かった。

 ぼくはめんどくさがり屋なので、映画を観る前に情報を得ることはまずない。

 監督や俳優に取材したものも見ないし読まないし、あらすじも聞かない。

 だから、なんとなく面白そうかどうか、というだけで判断する。

 沙羅双樹、ええ題名やんかとおもえば、もう観たくなる。

 けど、どうしても内容や批評とかいった情報は入ってくるもので、

 双子の片方が神隠しに遭う話らしいと知ったとき、

 あ、だから、沙羅双樹なのね、とおもってしまったし、

 奈良町でロケしてるんだし、なんとなく線香臭い死生観が語られて、

 もしかしたら転生輪廻の話とかに持っていくのかな、とちょっぴり期待してた。

 で、

 冒頭のややハイキー気味の長回しが始まったとき、

 双子の少年の声が聞こえてきた。

 おお、はやくも双樹かとおもってから、ずっと長回しの連続に眼を凝らした。

 身代わり猿、地蔵盆、町家、土間、坪庭、百万遍(数珠回し)と、どれも好きなアイテムだ。

 ふむふむとおもいつつ、UAの音楽とアドリブ(もしかしたら、書の陰光も?)を聞き、

 同時録音で入ってくる町の音と、あとで付け足されたのか、特有の効果音を聞き、

『萌の朱雀』では風を感じたけど、こっちでは空気と時間を感じるな~とかおもい、

 健康的な性のおとずれを感じさせる自転車ふたり乗りの長回しは、

 もしも、風のいたずらによってスカートが捲れあがるのでなく、演出だったとしたら、

 すげ~何度も撮り直したんだろうな~とかおもったり、

 なにより、

 河瀬直美の異様に上手な腹ぼてで立ち上がるところとか出産シーンとかに感心し、

 ラストは、どんなふうにするんだろう、ということだけに関心を向けてた。

 主題については、たぶん、映画が始まる前から自分なりに想像してた。

 墨職人の父親は、等身大の兄弟の絵を描き続ける息子に、淡々とこう語る。

「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、ほれから忘れなあかんこと」

 それが、たぶん、主題なんだろう。

 家族にとって、周りの人々にとって、町にとっての思い出のことだろう。

 最後の長回しは見事だった。

 出産の場からカメラを引き、冒頭の失踪現場まで移動するんだけど、

 途中、双子の会話がすうっと囁かれる。

 あとは、昇天。

 やっぱり、自主製作映画のようでいて、玄人でしか撮れない映画だよね。

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ハート・ロッカー

2013年04月01日 22時58分39秒 | 洋画2008年

 ☆ハート・ロッカー(2008 アメリカ 131分)

 原題 The Hurt Locker

 staff 監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール 撮影/バリー・アクロイド

     美術/カール・ユーリウスソン 音楽/マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース

 cast ジェレミー・レナー アンソニー・マッキー ガイ・ピアース デヴィッド・モース

 

 ☆2004年夏、イラク、バグダッド

 少年だった頃、ぼくは兵器にまるで興味がなかった。

 友達の中にはめったやたらに戦闘機や戦車や軍艦に詳しいやつがいて、

 プラモデルもそういう類いのものばかり作ってた。

 ぼくは、だめだった。

 なんでだろうとおもうんだけど、いまだに理由はわからない。

 戦争に興味のない少年は、おとなになってもなかなか興味が湧かなかった。

 それでも長く生きてれば、すこしは戦争や兵器について知識がついてくるものだ。

 でも、そんなものは単なる付け焼刃でしかなかった。

 IED(即席爆発装置)とかEOD(爆発物処理)とかいう単語も知らなかったし、

 イラク戦争において、

 アメリカ兵のIEDによる死傷者が凄まじい数に上っているなんてことも知らなかった。

 だから、爆発物処理班がどのような活動をしているのか、

 この映画を見ながら、ああ、そうなんだ~となんとか理解できたくらいだ。

 まったく、自分のことが情けなくなってくるけど、事実なんだから仕方がない。

 で、この映画なんだけど、

 主題の受け止め方について、なんだか、いろんな意見があるみたいで、

 それはつまり、おのおのの観客がおのおのの意見をいわざるを得ないほど、

 強烈な映画だったってことなんだろう。

 実際、映像は、衝撃的ですらあった。

 じりじりした緊迫感もさることながら、爆弾が爆発する瞬間のスローモーションとか、

 ぞくっとするほど強烈だったし、美しさすら感じとれてしまった。

 実際に戦場に送り込まれている兵士たちに、美しさなんていったら怒られるだろうけど、

 それは、演出のちからづよさを証明するものだから、仕方がない。

 でも、たしかにリアルなんだけど、ドキュメンタリーを見ているような印象は受けなかった。

 全体の構成にしても、いくつかの挿話にしても、むろん会話にしても、計算されたものだ。

 で、ジェレミー・レナー演じるところの、

 イラク駐留アメリカ軍爆発物処理班B(ブラボー)中隊に途中から配属された、

 爆弾処理の熟練ウィリアム・ジェームズ一等軍曹のことなんだけど、

 兵士の誰もが精神が崩壊してしまいそうな戦場で、彼は偏執的に職務をこなしてる。

 心が病んでしまっているのか、それとも自暴自棄になっているのか、判断はつかない。

 ただ、原題から、なんとなく想像することはできる。

 原題の「Hurt Locker」というのは、辞書によれば、米軍の俗語で、

「極限まで追い詰められた状態。または棺桶のこと」らしい。

 ということは、

 戦場という地獄に放り込まれ、異常な緊迫感の中で爆弾を処理している内に、

 徐々に心を閉ざし、愛情とか憐憫とかいった物柔らかな感情を失ってしまった主人公が、

 アメリカの家族も含めて誰とも打ち解けられない荒々しい日々を送っていたんだけど、

 あるとき現地の少年と出会ったことで、少しだけ人間的な感情を取り戻したのも束の間、

 その少年までもが殺され、体内に爆弾を埋め込まれるという、

 あまりにも惨たらしい目に遭わされたために常軌を失い、かつ、心の底まで蝕まれ、

 ひとたびは母国アメリカに帰ったものの、穏やかな生活にはもはや馴染めなくなり、

 ふたたび死の崖っぷちに立たされるイラクの地へ戻ってゆかざるを得なくなるんだけど、

 主人公にとって、棺桶のような戦場は、実は彼が生を実感できるところで、

 つまり、戦争の恐ろしさは、そうした人間を生産してしまうところにあるというのが、

 もしかしたら、この映画のいわんとしていることなのかもしれない。

 よくわからないのは、

 殺されたはずの少年、あるいはその子に酷似した少年が、

 主人公の前に現れてDVDを売ろうとするところで、

 ジェレミー・レナーは唖然とするのと同時に、少年を拒むような態度に出る場面だ。

 これは、

 たとえ、その少年が以前の少年であろうがなかろうが、

 二度とふたたび子供の死をまのあたりにしたくないという彼個人の防衛本能なのか、

 あるいは、自分が新たな少年に接してしまえば、

 今度はこの少年が犠牲になる恐れがあるんじゃないかとおもい、

 そうした悲劇をふたたび起こさないために配慮して拒んだのか、ということだ。

 ぼくは、人の顔がよく憶えられないものだから、

 余計にそんな曖昧なことをおもってしまうのかもしれないけど、

 ただ、監督のキャスリン・ビグローの意図しているのが、

 アメリカに対する反戦の主張なのか、それとも普遍的な意味での戦争反対なのか、

 いまのところは、どちらとも判断がつかない。

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