Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Village Design9. 北小松

2007年10月24日 | field work
 司馬遼太郎の長編歴史紀行「街道をゆく」(注1)は、湖西のみちからはじまる。冒頭の章である「楽浪(さざなみ)の志賀」とは北小松周辺のことを取り上げたものである。冒頭の章を引用する。
 
「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。
 
 朝鮮半島に存在する同名の地名であり、この地域でも古くから呼び習わされている「楽浪」という枕詞。この地方に多数ある朝鮮式の古墳群。大陸からの渡来人。渡来人の村出身であり、天台宗を開祖し比叡山延暦寺を建立してきた最澄。この地方特有の石垣や石積みのうまさ。こうした幾つかの史実を語るキーワードが冒頭の章には、ちりばめられている。それは大陸と日本という司馬特有のダイナミックな歴史観を、これから語ってゆこうとする布石だと私は理解した。司馬長年のテーマの1つである「日本人は何処からきたのか」。これを解く手かがりがこの地方にはある。そのことが司馬を、この国すなわち近江が好きであると言わしめているのだろう。
 志賀町史[注2]には、小野神社古墳をはじめとする多くの古墳群の存在や、古代史資料に登場してくるこの地域の記述などを明らかにしている。律令時代にはすでに豪族らによる支配確立が伺えるなど、この地域沿革の歴史の長さが伺える。同町史は、1634年(寛永11年)の石高を記載しているが、北小松は1,076,420石と、この地域最大の農業生産地であったことがわかる。
 北小松は、現在大津市に編入されている。湖西地方のいくつかの集落を尋ねていると、隣接京都が平安時代の、新都だったことを実感する。それ以前からこの地方では、大陸から渡来してきた古代人が、この地での暮らしを長らく築いてきた。湖西地方の濃厚な古代史の臭い。臭いの先には大陸がある。それを感じさせてくれるところが湖西地方の魅力なのである。
 
 注1.司馬遼太郎:街道をゆく1.甲州街道、長州路ほか,朝日文芸文庫,1978.
注2.滋賀県市町村史編さん委員会:滋賀県市町村沿革史,非売品,1967.
 
2007年8月撮影.
FinePix S5pro,NikkorF2.8/35-70mm.
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