Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Village Design7. 今在家(横江浜)

2007年10月19日 | field work
 南舟木を下ると今在家という集落がある。この集落の特徴は、琵琶湖と中湖(ないこと言う)の間の細長い、浜堤上に立地していることだ。写真左側の民家の裏は琵琶湖、右側の民家の裏は松の木中湖に面している。地形図[注1]をみると、集落の両端が、これらの湖に挟まれた狭隘な土地に集落が立地している特徴がよくわかる。中湖と琵琶湖とは水路でつながり、中湖自体が良好な船着き場として利用されている。こうした特徴的な地形に集落が立地していることは興味深い。 
 最近のアメリカ・ニューアーバニズム住宅のデザインみても、ビレッジの両端が水辺に接するといった立地は、私の記憶にない。唯一リゾート地であるスペインのコスタ・デル・ソルが道沿い両端の建物の背後に、それぞれヨットハーバーを設けた堤上のビレッジを、大規模に連続させた配置としている。在家は、規模の違いがあるが環境形成という視点では、こちらに類似している。
 安曇川町史[注2]によれば内湖は、琵琶湖の沿岸流によって湖岸に土砂が堆積したことによって、本体の湖から半ば区切られて形成された湿地帯や遊水池であり、集落や条理制遺構が湖岸付近の湖底に水没しているなどから、過去に琵琶湖の異常水位変動があり、そのため内湖が遊水池としての役割を果たしてきたことを記している。明治期に南郷洗堰が建設され、琵琶湖の水位変動による水害もなくなり、干拓化が進んだため、消失した内湖も多く、現在では23箇所[注3]だけである。
 では今在家は、何故琵琶湖と内湖の間に立地したのだろうか。これに関する記述は、もう少し詳しく調べてみないとわからない。居住性よりは作物の収穫が優先された結果ではないかと、私は推測している。開墾された平坦な土地は、収穫量を上げるために作物用途として最大限に使用され、作付けできない浜堤上に住まいを構えた。湖に接しているから漁も可能である。といったところが、フィールドを歩きながら考察した点である。
 私が尋ねたときは曇り空であったが、今在家の居住者によれば、この辺は景色がとても良いという話であった。民家の隙間からは琵琶湖を望み、田園風景と琵琶湖固有の景観要素である中湖の背後には、比良山系の北端がそびえる様相は、季節や光次第では、美しい風景であることを想像させてくれる。
 
 注1.国土地理院地形図1/25,000,勝野.
国土地理院が試験運用している地図閲覧サービスのURLは以下.
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
注2.安曇川町史編集委員会:安曇川町史,安曇川町役場,1984.
注3.滋賀県琵琶湖研究所公表値による.
 
2007年6月撮影.
FinePix S5pro,NikkorF2.8/35-70mm.
コメント
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