我々は、昆明からボロ飛行機で雲南省の奥地へ飛んだ。大理は、山岳地帯の中に出現する、洱海(じかい)という湖の周囲に広がる標高2,000m弱の高原地帯である。唐時代に築かれた王朝があった経緯の故か、この地域の少数民族であるペー族固有の文化が舞踏、工芸、料理などにみられる。特にペー族の若い女性が着ている民族衣装は、白地全体に刺繍が丹念に施されており華麗である。中心である大理古城は、観光地として整備されている。
上の写真で右半分が、大理古城地区である。城壁に囲まれた街は、五番目状の路で構成され、長安などの古都の空間構造と類似している。街には、観光施設が集約し、目抜き通りには、中国民居様式によって再生された店舗建築ファサードが連なり統一感もあり、古城を演出しているのだろう。中国の街としては清潔感があるが、それも観光地故だろう。こうした手法は、タレントショップが連なる日本の観光地商店街よりはましかもしれないが、アメリカやヨーロッパでも用いられており、私にとっては退屈な風景であった。
私達が撮影していた中和寺の背後には、4,000m前後の山脈が連なる蒼山がある。その麓に多くの集落が点在しているのである。私達は、大理古城を足場にして、洱海周辺の山麓集落を探し歩くことにした。
参考文献
1)陰 劼,鳴海邦碩 澤木昌典, 岡 絵理子:中国・大理古城における歴史的市街地の変容と保存施策に関する研究,日本建築学会計画系論文集,No.583. pp. 83-90
2)陰,劼; 鳴海邦碩; 澤木,昌典; 岡,絵理子:中国・大理古城における歴史的市街地の変容と保存施策に関する研究,No.583, pp. 83-90.
1999年8月撮影.
EOS3,F2.8/EF20-35mm,コダクロームⅡ.
上の写真で右半分が、大理古城地区である。城壁に囲まれた街は、五番目状の路で構成され、長安などの古都の空間構造と類似している。街には、観光施設が集約し、目抜き通りには、中国民居様式によって再生された店舗建築ファサードが連なり統一感もあり、古城を演出しているのだろう。中国の街としては清潔感があるが、それも観光地故だろう。こうした手法は、タレントショップが連なる日本の観光地商店街よりはましかもしれないが、アメリカやヨーロッパでも用いられており、私にとっては退屈な風景であった。
私達が撮影していた中和寺の背後には、4,000m前後の山脈が連なる蒼山がある。その麓に多くの集落が点在しているのである。私達は、大理古城を足場にして、洱海周辺の山麓集落を探し歩くことにした。
参考文献
1)陰 劼,鳴海邦碩 澤木昌典, 岡 絵理子:中国・大理古城における歴史的市街地の変容と保存施策に関する研究,日本建築学会計画系論文集,No.583. pp. 83-90
2)陰,劼; 鳴海邦碩; 澤木,昌典; 岡,絵理子:中国・大理古城における歴史的市街地の変容と保存施策に関する研究,No.583, pp. 83-90.
1999年8月撮影.
EOS3,F2.8/EF20-35mm,コダクロームⅡ.