21世紀の私達の暮らし方について、不定期であるが考察してゆきたい。というのも、20世紀、1970年代以降、全国の自治体をはじめとし、街づくりプロジェクトが盛んに行われてきた。実際に中心商店街を主な整備対象として、拠点的ではあるが多くの整備が実施され、快適性や賑わい性ある都市魅力を形成してきた。先駆けプロジェクトとしての横浜伊勢佐木町モールや横浜元町商店街、さらに神戸三宮界隈、或いは滋賀県長浜市の黒壁スクウェア、伊勢おはらい町おかげ横町、青森市新町商店街・・・といった具合に成果をあげてきた街も多い。
そうした街の中心が整備される一方で、私達の暮らしの中心である住宅街はどうなったかといえば、実は商店街ほどには整備されていない。もちろん住宅自体が個人資産であるために、公共事業は、せいぜい街路と緑化環境の整備に留まらざるを得ないといった制度上の限界がある。しかし実際の住宅街を見れば、1つ1つの個別的な住まいは、よりよくデザインされたものがあるが、それらが集合した住宅街の景観全体という視点で見れば、一部地域を除き個人の思惑が表出し、多様性ある統一や住宅街としての個性形成、環境魅力の創出には至らない。居住者も個人の住まいが不自然でなければ、住宅街全体がどうなろうと関知しないというのが現実である。そんな住宅街が実は日本の殆どなのである。
そこで21世紀は、私達の日々の暮らしの場である面的広がりを持った住宅街を、そろそろ本格的に整備してゆく時期だと私は考えている。私はそれを「むらづくり-Village Design」と呼ぶことにする。まちづくりよりも、小さい生活スケールの単位をさぐると、「村」という生活原単位があった。まちづくりから、むらづくりの時代、それが21世紀の整備課題であると私は考えている。
上図(撮影:2007年5月)は、琵琶湖西岸を走るJR湖西線、近江舞子以北の風景である。今なお開発で荒らされていない、湖西地方に残されている優れたエッセンスを尋ねつつ、これからのVillage Design の知見としたいと思う。
2007年5月撮影.
FinePix S5pro,DistagonF2.8/25mm.
そうした街の中心が整備される一方で、私達の暮らしの中心である住宅街はどうなったかといえば、実は商店街ほどには整備されていない。もちろん住宅自体が個人資産であるために、公共事業は、せいぜい街路と緑化環境の整備に留まらざるを得ないといった制度上の限界がある。しかし実際の住宅街を見れば、1つ1つの個別的な住まいは、よりよくデザインされたものがあるが、それらが集合した住宅街の景観全体という視点で見れば、一部地域を除き個人の思惑が表出し、多様性ある統一や住宅街としての個性形成、環境魅力の創出には至らない。居住者も個人の住まいが不自然でなければ、住宅街全体がどうなろうと関知しないというのが現実である。そんな住宅街が実は日本の殆どなのである。
そこで21世紀は、私達の日々の暮らしの場である面的広がりを持った住宅街を、そろそろ本格的に整備してゆく時期だと私は考えている。私はそれを「むらづくり-Village Design」と呼ぶことにする。まちづくりよりも、小さい生活スケールの単位をさぐると、「村」という生活原単位があった。まちづくりから、むらづくりの時代、それが21世紀の整備課題であると私は考えている。
上図(撮影:2007年5月)は、琵琶湖西岸を走るJR湖西線、近江舞子以北の風景である。今なお開発で荒らされていない、湖西地方に残されている優れたエッセンスを尋ねつつ、これからのVillage Design の知見としたいと思う。
2007年5月撮影.
FinePix S5pro,DistagonF2.8/25mm.